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2015年11月15日23:11

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大学時代の文学仲間との例会〜川越/その1

11/13(金)〜14(土)、大学時代の文学仲間と埼玉県の「小江戸」と言われる川越に行ってきた。

この仲間とは毎年1回、秋から冬にかけて1泊の旅行をしてきた。
もう10年くらいになるだろうか。その間で、1人メンバーが減った。
今年は私が幹事の番なので、川越を提案した。
この地にある仙波東照宮には岩佐又兵衛の『三十六歌仙』の額絵があるとの事で、いつか是非行って観てみたいと思っていた。
今年6/20だったが、NHK-総合の番組〈ブラタモリ〉で川越の特集があった。「小江戸」と呼ばれるその町の謂われを知り、魅力を感じた。
今回の集いの場所をここにしたのは、そんな訳からである。

今回参加したのは私含め4人。
正午に、宿泊予約をとってある川越東武ホテルのロビーで集合する事とした。
私以外は東京の住人なので、川越は案外近いらしい。私は今回生まれて初めてなのでその辺のイメージがないが、友人達は昔に何回か来ている由。地図で見ると、確かに同市の南端は東京都と接している。

私は、7:30に家を出て浜松駅行きバスに乗り、9:11発のひかりに乗った。
品川で山手線に乗り換え、池袋で更に東武東上線へ、急行に乗ると30分で川越駅に着く。
駅ビルを出て見上げると、川越の空は曇り。翌日は雨の予報、今日は何とかもって欲しい。
駅から5分程歩いてホテル着は12:00僅かに過ぎたところ。4時間半の行程である。
新幹線がディスカウントショップで片道7,150円、東上線が470円也。

東上線の車中でメンバーの1人からメールが入り、奥さんが風邪で、病院に連れていく為遅れる、と。
到着時間によって合流場所を考えるので、目途が立ったところでまた連絡を寄こすようにと返信。

取り敢えず落ち合った3人、ホテルに荷物を預け、まずは「一番街」へ歩いて行く事とする。
ここは、蔵造りの街並みで有名になった場所である。
その手前でひと筋西に入り、「大正浪漫夢通り」をそぞろ歩く。
川越商工会議所は1927(昭和2)年、シマノコーヒー大正館は1933(昭和8)年建造だそうで、当時はハイカラな建物だったのだろう。前者は旧武州銀行川越支店である。
今はこういう風情を「レトロモダン」と言うのだそうだ。
景観の為電線は地中に埋め、道路は御影石で石畳に。

遅れて来る友人からメール、13:00には川越駅に着きそうだとの事。
「一番街へ来い」と入れると、観光マップは持っているというくせに、「一番街ってどこ?」と。呆れて、一番街の顔である「時の鐘」と言うと、理解した様子。昼食を遅らせ、4人揃ったところで一緒に取る事とする。

大正浪漫夢通りの突き当りをクランクして曲がり、一番街に入る。
角は「亀屋」本店、川越藩御用達の和菓子の老舗である。「店蔵」と脇の「袖蔵」とは、中で連結している。
フォト

壁は黒く、重みのある風。この黒を「江戸黒(えどぐろ)」と呼ぶのだそうで。江戸時代、白壁は武家と決まっていたらしく、商家は金があっても自重し、地味な目立たぬ色にした。
そのすぐ向こうにある「川越陣力屋」というのは、人力車乗り場である。

一番街は、金曜日だが人は多い。年齢性別は大変に幅広く、欧米らしき人も、爆買いの途上らしき人達もいる。
土日ともなれば、もっと人出は凄いだろう。
一番街に来た事のある友人によると、昔はこんな賑わいはなくただの古い街並みだった由。
町興しの成功した例と言えるだろう。
前週に歩いた愛知県の足助の町並みも、古びて風情はあるが、これ程人を呼ぶ力はなかった。

おのぼりさんの態で、観光本を手にあちこち見回して歩く。
しばらく進み、角から右手を見ると「時の鐘」、地元の人は「鐘つき堂」と呼ぶとの事。
フォト

単独の木造建造物でこれ程の高さのものはなかなか大変だった事だろう。
現在耐震の為、土台部分のみフェンスが覆っている。どのような工事をするのか興味深い。地中に杭を打ち込むのだろうか?まさかコンクリート造りにする事はあるまいが。
江戸初期の1627〜34(寛永4〜11)年に建てられたものだが、現在のものは4代目。1894(明治27)年の川越大火で消失後、建て替えられたとの事。
本来は堂の下をくぐるのだが、今はフェンスの隙間に小路が設えてあって、そこから奥に入ると薬師神社の小さな祠がある。
ここから振り向くと、鐘つき堂を後ろから見上げる事となる。
鐘は現在自動で日に4回鳴らしているそうだが、そのタイミングには合わなかった。

一番街の通りに戻り、更に北進すると、右側に大沢家住宅がある。
この建物はここらで一番古い土蔵造りで、1792(寛政4)年に建てられた。築223年目という計算になる。国指定の重要文化財。今は、民芸品や和雑貨を商っている。
中に入ると、売り物を入れたガラスケースの向こうは、江戸時代の帳場そのもの。畳に敷いた座布団にはお歳をめした女店主が背中を丸めて座り、その背後の急な階段には引き出しが設えられている。

「札の辻」で一番街を折り返し、道の反対側を歩いて戻る。

「川越市蔵造り資料館」となっている建物に入る。入館料100円也。
先に書いた川越大火の直後に建てた家だとの事。一番街の蔵造りの家々は、この大火の時類焼を免れた土蔵造りの家を倣って建てたものが多い。
その時、既に江戸は東京と名が変わっていたが、いわゆる江戸大工や左官等が多く東京から集められた。為に、街並みは江戸、特に商いの街である日本橋の通りにその風景が似る事になったとようである。
蔵の窓は大変に厚く立派なもので、閉じた時には、その左右の段違いの蛇腹形状がぴったりと合い、紙1枚通さないらしい。普段は開けておくが、火事等の時は窓を閉めると防火防災に役に立つ。

資料館となったこの家は、明治時代、官営(専売)となる迄は煙草の商家だった。
蔵造りの家の構造を内部から隅々迄確認できるのは大変に面白い。
土地は、間口に対して奥行きが3倍程あって、奥に長い。
「添屋」付きの「店蔵」の奥に2階建ての住居、その奥に、「文庫蔵」「煙草蔵」等、蔵が3つも連なっている。
部屋の隅に設置した、途中で曲げた狭い階段が興味深い。スペースをなるだけ広く取ろうという意図からだろうか。
町火消しの道具等も置いてあるが、大火の時等、殆ど消火の役には立たず、火消し人夫の着物やまといに水をかけて濡らすくらいが実態だったようだ。
とにかく火事は多かったらしい。壁に貼り付けた年表には、江戸時代から大火の名がぎっしり。

友人からまたメール。「一番街に入った」との事。
時の鐘に曲がる角の前で、たくさんの通行人の向こうに友人を発見。無事会う事ができて良かった。

昼食は、一番街入口方向に戻って「浪漫茶房 右門」。ここは大正末期の町屋造り。
予約の客も多かったが、少し待って2階に入る事ができた。町屋の2階は天井が低く、狭い畳張り。窓からは、通りを歩く人波が見える。
頼んだのは「町屋御膳」1,100円也。4人揃ったところでまずはビールで乾杯。
小鉢に入っているのは、ウナギの蒲焼、筑前煮、他。椀はけんちん汁。そして竹皮で包んであるのは、「栗おこわ」ならぬ「イモおこわ」。これが実に美味しい。
埼玉はサツマイモが名物である。菓子屋でも、和洋共イモを利用したものが多い。
この店の1階でも、「いも恋」等、イモスイーツを各種売っていた。

オジサン達は昼間のビールで体がだるくなりかけたが、もう一度一番街を散策する事とする。
通りをまた北へ。時の鐘の先を左の小路に入ると、その先に「菓子屋横丁」がある。
20店程の、様々な趣向を凝らした菓子屋が軒を連ねていて、女性や子供の客がいっぱい。
麩菓子も95cmと「日本一長い」黒糖のそれ、自家製餡の「あんこ玉」、店先で素早く棒状に練り込んでカットする技を見せる細工飴、「芋大福」、手焼きせんべい、等々、毎日が祭の賑わいといったところ。

菓子屋横丁を抜けると急に辺りは静かになる。
更に少し歩くと、「新河岸川(しんがしがわ)」に出る。
フォト

新河岸川は江戸時代から昭和初期迄300年間も、川越と江戸とを結ぶ舟運(しゅううん)で大変な活気だったという。
川越からは、米,綿実,油粕等の農産物、江戸からは砂糖,酒等の加工品が行き来した。
船問屋が20店もあったと言うが、それはかなり南の方で、ここらではなさそうだ。
昔は判らないが、川は狭く浅い。カモの家族が水面を滑り、水の溜まった場所には大きなコイがたくさん泳ぐ。手を叩くと大きな口を水面に開けてうじゃうじゃと寄ってくる。

もう一度一番街に戻り、一服する事とした。
「カフェ・エレバート」はざらざらしたコンクリートのレトロな造り。
2階のアーチ型の窓の上には「田中屋」と刻まれている。
中に入ると、剥き出しの梁が見えて、そこには大正ウン年上棟と書かれている。
我々は木製の洋風階段を上がり、2階で、コーヒー500円、ウィンナコーヒー600円也。おまけのゴマクッキーの香りが好い。
テーブルの脇には、銭(せん)の桁がある旧式のレジスターが置かれている。昔は「田中屋美術館」だった時代も。

ひと息ついて今晩の予定を話す。
食事はホテルの外でと決めていたが、金曜日の晩ともなれば混む可能性が大いにある。知らない町で当てもなく彷徨うのも幹事としては避けたい。
そんな訳で、事前にネットで町一番人気の店を探し、予約しておいた。「大衆割烹TAKEYA」。ちょっと早いかもしれないが17:00とした。
カフェを出て、途中、土産物店等あれこれ物色しつつ、16:30にはホテルに戻った。
預かってもらっていた荷物を受け取り、チェックイン。
シングル朝食付き、税・サ込みで1人8,200円也。

シャワーを浴びる時間もなく、「大衆割烹TAKEYA」へと出掛ける。
人気のせいか、17:00から2時間と言われているので、時間をロスしたくない。
ネットの地図上は、ホテルから川越駅方向へ、極く近い筈である。
4人見回して歩くが、駅迄行ってしまった。
電話をして場所を訊くと、やはりホテルの近くだと言う。
再びホテル方向へ歩く。
すると、あった。見逃してしまう程の間口。電飾看板ナシ。しかも「TAKEYA」でなく「たけや」となっている。
これじゃ判らないよな、と4人口々に。
広がりは口コミのみにして、店頭含めあまり宣伝はしないという主義かもしれない。
刺身にはあまり口にする事のないシロエビが入り、焼いた下仁田ネギと味噌の風味がよく合う。よく判らないが「原始焼き」だと言う。
川越には「COEDO」という地ビールがあるので、何種かそれを呑んでみる。これは人により好みがあるかもしれない。
私は小江戸鏡山酒造の純米冷酒を。さらりとして喉越しが好い。

2時間強、大いに食べ、呑み、しゃべった。割勘にて1人当たり5,000円也。
呑む量は、昔に比べればたいした事はない。
その後、夜風に吹かれ、繁華街を遠回りにそぞろ歩き、ホテルに戻った。
コンビニで買った缶ビールとつまみ類を持ち寄って、私の部屋に集まり2次会。
眠気と伴に三々五々自室に帰り、かくして1日目はお開きと相成った。

(続く)
 
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