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2015年11月08日21:19

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香嵐渓へ

先週11/6(金)、愛知県足助市の「香嵐渓」に行ってきた。

JR在来線の豊橋で名鉄名古屋本線に乗り換え東岡崎からはバス。
浜松を08:32発の各駅停車で出発、香嵐渓のバス停に到着したのは11:16、2時間40分強の行程だが、そのうち1時間6分が東岡崎からの名鉄バスである。
私のいる浜松周辺の人は、普通、車で行くと聞く。車でどのくらいかかるか知らないが、紅葉のシーズンは物凄い渋滞になるらしい。それではたまらないし、お酒も呑めない。
そんな訳で逡巡し、私は香嵐渓に行った事がなかった。

しかし、車以外の方法もあるのではないかと、今回調べてみた。
それで判ったのが、今回のルートである。
朝出れば昼前には着く。案外近い。

しかし、よくよく考えると、紅葉の盛り、道が渋滞するならバスも同じ筈。バスならスイスイという事はあり得ない。
そんな事で、ルートだけでなく、日程についても考えてみた。
紅葉の盛りはまだ先、11月中〜下旬がいいのだろうが、その前に行ってみよう、且つ、平日に。
11/6(金)というのは、そうした熟慮の結果である。  オオゲサだね。(笑)

確かに紅葉はしばらく先だろうが、しかし、行ってみて充分に愉しめた。天気も良かったし、お酒も呑めた!
入口の「巴橋」上から眺める「飯盛山」には、様々まだ淡い色が並存し、それを取り巻く「巴川」の水は澄んで美しく、モミジやカエデの色を映していた。
人出は結構あったが、歩くに困る程ではない。盛りの週末等、川の両側の細い道は人でいっぱいだそうだ。それは初詣の参道を想い浮かべればよい。

まだ3割程の色付きの「もみじのトンネル」を潜り、赤い「待月橋」を上から眺め、香嵐渓広場に降りる。そこでは猿回しの芸等もやっていた。
広場の先にある「三州足助屋敷」は茅葺の屋根のラインが柔らかで、重要文化財にも指定されている由。
前庭には食べ物屋が何軒か出ており、ちょうど昼の時間、人々が様々な物を食べ憩うている。
私はアユの塩焼き、味噌田楽、どて煮を肴に缶ビール。
屋敷の中庭に面したいくつもの小屋では、炭焼き、染めもの、竹細工、和傘、紙漉き、鍛冶等々の手仕事を演じ、遠足の子等は竹トンボを飛ばしたり、藍染めを試したりしていた。
庭の中央には大きな黒牛。
如何にも昭和初期の日本の生活風景を見せる工夫がなされていた。

飯盛山山頂(標高254m)への急で長い階段の途中にある「香積寺(こうしゃくじ)」のモミジは、パンフレットの写真では素晴らしいが、11月下旬が見頃とて、登らなかった。
巴川を更に回り、「薫風橋」、吊り橋の「香嵐橋」、こちら迄来る人は少ない。
「一の谷」を右に見て、真っ直ぐ更に行くと、県道420号に出る。
写真は一の谷の脇道に被さるモミジ。
フォト
 
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この道は飯盛山の麓を西から北へとゆるやかにカーブを描く。
路端のほんの些細な草木や落葉等自然の景物に季節を感じ、シダやコケ類にまとわりつく空気に湿り気を感ずる。

飯盛山の麓を結局一周し、そして、足助の街に出る。
「足助川」が巴川に合流する地点を跨ぐ「落合橋」を渡り、「馬頭観音」から街道に歩き入ると、古い街並みの中に出る。
木塀の家々の間には、そこかしこに坂の小路があって、そこは人が擦れ違う程の幅しかない。何故かそんな小路は人を誘い込む魅力を持っている。
「マンリン書店」脇の狭い路は、「マンリン小路」と言って、そこを上ると、脇に「蔵の中」という茶店があった。
つい同名の小説(1935/昭和19)と映画(1981/昭和56)を思い出す。横溝正史の原作を高林陽一が監督をした耽美的で官能的な…。
「マンリン」とは、その店の旧屋号「萬屋」と代々の当主名「林右衛門」に由来するらしい。

パンフレットに「カラクリの小路」という名を見つけ、そそられて更に裏手の小道に入る。
道の脇に、小さな展示屋台がいくつかあり、その中に、干支の動物や富士山、標語、漫画のキャラクター等をモチーフに使った動く仕掛けがある。ランプが光ったり、歌が流れたりもする。
屋台に「浦野」という名が何ヶ所にも書かれているので、その名の方が手作りしたのだろうと勝手に想像する。
ふと道の反対側を振り向くと、そこにその名を付けた家があるではないか。
きっとその家のどなたかが趣味で作ったに違いない。ここを通る子供達の驚きの声や笑い声が、彼の製作のモチベーションになっていると思うと、微笑ましい。

街には古い旅籠風の旅館も何軒かある。玄関も2階の窓も開け放たれて、今は使われているとは思えない。
タイムトンネルに入ったような街並み、それらを残す事自体が足助の街興しの一策になっているのだろう。
黒塀の小さな小さな菓子舗のガラスケースには、和も洋も並び、若い2人連れの女性が「ここで食べさせてもらおう」と言って買っている。
「抱き地蔵」の「おびんずる」さん、常夜塔、大正の板ガラスが波を打つ旧家、どの角で違う時代に紛れ込んだものか、そんなイリュージョンの中にいる事が何とも懐かしく愉しいひと時だった。

足助の街から再び香嵐渓に戻る。
先程歩かなかった、もみじのトンネルの反対側の道をそぞろ歩き、小腹が空いたので、並んだ店々の売り物を覗く。
1軒の店に入り、串の焼き物と味噌カツ(味噌を使ったものが多い)を求め、今度は熱燗で一杯。
愛想のいい店の女性は中国人か台湾人か、アルバイトかお嫁さんか、それは判らない。
店の前の巴川では、水に浸かり、大きな岩に取り付いて作業をしている男達が4〜5人。
何をしているのだろうと、女性に訊くと、明日の土曜から、夜間、巴川にランプを流すのだそうだ。もみじ祭り恒例のデモンストレーションになっているらしい。
ランプが下流に流れてしまわないようにと、網を付けているのだそうで。
それは確かにファンタジックで美しいだろうけれども、何かやり過ぎではないかと、熱燗1合で気持好くなった私には思えたのだった。

15:31、同じ名鉄バスに乗り、東岡崎に向かって帰路に着く。
乗った時間にはまだ明るかったが、終点に着く前に、バスの窓から、夕陽が街の向こうへ静かに落ちていくのが見える。
 
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