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2015年10月18日14:36

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映画『ルック・オブ・サイレンス』/ジョシュア・オッペンハイマー

10/16(金)、シネマe-ra浜松で『ルック・オブ・サイレンス』を観る。

怖ろしい映画だ。

この映画は『アクト・オブ・キリング』(1912)の続編、というより姉妹映画である。
本来それとの違いからレポートすれば要領がいいのだろうが、私は観ていない。
したがって、どうしても『アクト・オブ・キリング』を含めた記述にならざるを得ない。

このドキュメンタリー映画は、1965年のインドネシア政変に及んで実際に起きた事件(9.30事件)を、現在の地点から掘り起こしている。
第2次世界大戦はその20年前に既に終わっている。日本の暦でいうと、1965年は昭和45年。
日本の経済白書に「もはや戦後ではない」との記述が載ったのは、その9年前1956(昭和31)年である。
50年前に起こった事件だが、表面的には経済発展で賑わうインドネシアで、今もその真の解決は程遠く、影で心身を病む人も多いらしい。

朝鮮戦争(1950-53)やベトナム戦争(1960-75)は知っていても、平和ボケした私は9.30事件について何も知らなかった。
ベトナム戦争に絡めて言えば、1960年は米軍による北爆が開始された年である。資本主義と共産主義の衝突がピークを迎えている。

1965年、スカルノ大統領(インドネシア初代)の治世、大統領の親衛隊の1部がクーデターを起こす。軍のスハルト少将(当時)がこれを鎮圧する。スハルトはこの事件が共産勢力によるものとし、共産党員狩りが始まった。これによって虐殺された人数は、100万とも200万とも言われている。正確なところは判明していないが、ともかく膨大な数だ。
スカルノは失脚し、スハルトが第2代大統領になる。彼は結局1998年迄、30年以上独裁政権の座に着く。
9.30の後の虐殺事件において、スハルトは表向き自ら手を下さず、プロパガンダにより市民団体が殺戮行動を”自主的に”続ける事となる。

『アクト・オブ・キリング』では、実際に殺人を犯した男達にインタビューをしている。彼等は、カメラの前で、嬉々として、自慢話をするかのように、如何に殺人を行ったかを話し演じてさえみせた。
映画の目的が、彼等の偉業を称えるものと思い込んだのだ。
彼等は社会的な制裁を受ける事なく、今も権力に近い側にいる。罪悪感の意識を持つ事もない。

『ルック・オブ・サイレンス』は、兄を殺されたアディが、虐殺を行った者達に会いに行き、彼等に話を聴く様子を撮っている。
アディは、前作の制作に関わっており、その膨大なフィルムの中から、兄の名が出てくるのを発見する。実際に手を下した男が、詳細にその殺戮の様子を語り演ずるのを見る。
アディは、オッペンハイマーにこの映画を撮る提案をした。オッペンハイマーは、危険過ぎるとして1度は断るが、アディの強い意志を理解し、撮影を敢行する。

町では、殺した側の人間達と殺された側の人間達が、今も混在して住んでいる。殺した側の人間が、町の、地方の権力に近い場におり、殺された者の家族や縁者は、小さくなり、事件については黙して暮らしている。実際は、アディの兄も家族も共産主義者ではなかったのである。
アディの子供は、学校で、共産主義者の残酷さや悪を教えられている事を無邪気に話す。
そんな構図の中で、今回の映画の企画の危険さは言う迄もない。

アディは、殺戮を行った本人や家族に、それとなく事件の質問を始める。彼等は、前作と同様自慢話のように応対する。
ある男は、殺した人達の血を飲んだと。それは、気が変にならない為の特効薬で、そのおかげで悪者達を殺し続ける事ができたとのだと言う。
部隊の司令官をしていた男は、毎晩共産主義者達のリストにサインし殺戮を指示した、その数は600人にも及んだ。彼は言う「国際的な問題を解決したんだ、褒美にアメリカ旅行くらい欲しいね」。

しかし、アディが実の兄を殺されたと話すと、空気は変った。
アディは、彼等を訴えたい訳でもないし、復讐したい訳でもない、ただ、罪を認めて欲しい。
しかし、彼等は、誰ひとり当然の事を行った迄だとして、罪を認めず、反省の色も示さない。
怒り出す者もいる、そんな質問をするなら帰れ、と。
また、地方議会議長を務める男は、また同じ事が起こるぞ、と暗に脅迫しようとする。
叔父に当る老人は、「私は誰も殺していない、見張りをしていただけだ」と、立場を理由にして笑った。

事件の背景には、東西冷戦下の国際的圧力があったかもしれない、
スカルノの共産主義を容認する姿勢を危険視した米CIAの関与説もある。
上に書いた司令官の言葉は、深読みすると、根がアメリカに到るような筋書きを感じさせないでもない。
何れにしても、人間というのは何と怖いものか。
何かを理由にすれば、大義があれば、何人人を殺しても罪悪感を持たない。
それは、軍人でない一般人も全く同様だ。
人間は闇である。

そんな中で、生きていくしかない残された家族の心理をどう表現したらいいだろうか。
アディの母は、50年間ただ沈黙を守って暮らしてきた。そして息子の行動に注意をする。
アディの父は、認知症が酷くなり、今は事件の事も忘れ、息子の事も判らない。認知症がだけ救いか。

しかし、この映画は、インドネシアでも上映された。
上映の邪魔をする勢力もあった、実際ある地方では上映禁止となった。
が、ジャーナリスト達や、知識人達も、真実を明らかにすべきだと声を上げ始めている。
世界でも、メディアが取り上げている。
2つの映画は、世界で多くの賞を獲った。
人間の闇に僅かずつでも光が射す事を望んでやまない。


監督 ジョシュア・オッペンハイマー
撮影 ラース・スクリー
編集 ニルス・アンデルセン

受賞 ヴェネツィア国際映画祭審査員大賞他全5部門、その他多数

2014年/デンマーク,インドネシア,ノルウェー,フィンランド,イギリス

現地の共同監督他、多くのスタッフの名が伏せられている。
 
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