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2014年06月11日13:59

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ある手紙型の詩について

http://mixi.jp/view_diary.pl?&id=1926621638&owner_id=60260068

下記は、詩のサイトで、上に示した詩に対して感想を下さった方に宛てた文です。
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手紙という枠を外した主観の詩として書くことも可能だろうと思います。しかし、手紙になる。手紙だから相手に読んでほしい。でも出さない。住所も知らない。でも知らなくていい。今の「あなた」を知りたくない。「あなた」は何十年も前のままの笑顔で「私」に微笑みかける。時が経てば立つほど「私」の中で神格化されていく存在。宗教的な「女神」「羊」「穢れ」「餓鬼」「永遠」「光」「信じる」という言葉が自然に出たということは、実際に私(游月)がそう感じているからなのでしょう。「あなた」に、私、「私」、は会った事がありません。もの凄く会いたい反面、会いたくありません。
憧憬、も長く続くと、崇拝、に近づくのだ、ということに気づかされた詩になりました。「私」は「あなた」の前で、「偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ(←平家物語冒頭のしめ)」→「(ただひたすら)メー/とだけ独り鳴く羊」

皆さんに、そういう気持ちを起こさせる方は居ますか?もしかしたら、一人の人にそんな感情を抱く人は少ないかもしれません。


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