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2014年06月04日17:33

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小説『人力宇宙旅行』−1


     『人力宇宙旅行』



 外壁の煉瓦色のタイルが所々剥がれた、死臭漂うレジャー施設『高村お楽しみワールド』。名前もダサいが、屋上にそびえるボーリングのピンは、ひときわ奇妙である。しかし、あまりにも製作費用を掛けた分、廃業してからかなりの年月が過ぎた今でも、強烈に太陽光を忠実に跳ね返してピカピカと光っている。そばを通る車の走行にも支障を来していて、施設の取り壊しを希望する声が多数あがっている事は、この町で知らない者がいないほどである。しかし、この廃業施設に不釣り合いのピンが、まさか惑星間移動人力ロケットであることを知る者は数名しかいないのである。
 
 現在もここの所有者である、白髪の老人高村楽次郎は、屈強な体と、ずば抜けた知能の持ち主でもある。彼が全国123ヵ所に全て同じ形のレジャー施設を建てた理由は他でもない、惑星家族旅行を実現させるための衛星ロケット発射基地、管制システムの充実、他のレーダーからのロケット感知の妨害工作等のためである。
 この計画の発案者、楽次郎の誇る、(と言いたいところだが秘密裏に進めたい)人力、という突拍子もない宇宙飛行理念の発想は、少年の頃に学んで感動した格言「来た時よりも美しく。お土産は無事故でいいのお父さん。」に起因する。
 宇宙空間には何も無く、有るとしても極微量の宇宙塵くらいのものであると考えてしまえば、地上でのカモメやアヒルが空気や水を後方に追いやって進むような、人力飛行の夢は到底叶わない。が、しかし、そこは極めて非凡な楽次郎。彼は、宇宙空間のみならず、地球上にも空気とは別次元の、「宇宙空気が存在する筈である」と、小学校五年のアブラゼミの鳴く昼下がり、彼の家で数日前にデビューした電子レンジが、前日の残り飯を温め、湯気がラップを曇らせるのを見て確信したのである。

「ラップが電子を通さず、超高速の電子の僅かな質量を大量に受けとめるとどうなるか。」
時々このようにぶつぶつと物に話しかける事があるのだが、この時も、そんな息子に気づいた母親は、予め質問豪雨との遭遇を避けるため、
「楽ちゃん、醤油を買って来るわね。」
と、そそくさと出掛けようとしていたが、楽次郎はリミット直前に呼び止めた。
「あ、母さん、」
震え上がった母親は、後ろ姿のまま固まった。「何?楽次郎。」
「醤油ならサン菱の買い置きが流しの下にあるよ。」
楽次郎は母親を引き留めるかのように答えた。
「中村のお婆ちゃんにジョーチュウ醤油を買ってきて欲しいって言われたから行ってくるわね。」
母親は、家に買い置きがない醤油の名前を咄嗟にあげて難をのがれた。



 母親を悩ませた楽次郎の小学生時代は過ぎ去り、中学校に入ると彼は恋をした。告白の代わりに詩を書いた。


    『僕の幸よ』

 衛星軌道上に歳をとった君と僕の
 二人が向かい合って死んでいる
 僕らは永遠に見つめ合うために
 二人同時に体を凝固させた
 手を繋いだ二人は一つの物で
 隕石でもぶつからない限り
 この愛のカプセルは永遠に
 青く美しい地球を回りつづける
 僕たちは愛と平和を願ったままの
 神という物になって
 この星を見守りつづけよう


この中学生の恋の詩とは到底思えない手紙を受けとった幸代は、こともあろうに頬に輝く流れ星を伝わせ、楽次郎の手をとり、「一緒に死にましょう」と言った。
この時二人は共に14歳。二人一つになって死ぬために生きることを誓ったのである。

 それからというもの、二人は放課後からはいつも一緒だった。楽次郎は人力飛行のために必要な未知の宇宙空気を捉える実験に明け暮れたが、そのかたわら、幸代が退屈しないようにと、実験で得られた知識をもとに「宇宙玩具」なるものを数多く作った。それが、後に一大ブームを巻き起こす、宇宙玩具レジャー施設「高村お楽しみワールド」の基礎となったのだ。
 楽次郎は極めて薄い素材の開発に取りかかっていた。宇宙空気を感知する物を探し続けた。楽次郎と幸代にとって、中学校教育で出される問題など子供騙しのように感じていた。授業中も教室に実験道具のミニチュアを持ち込み没頭していた。ただ、煩わしいのは体育の授業であった。美術、技術などでは、教師の与えた課題を大きく超えて、宇宙旅行に役立つものを作れば良かった。しかし、体育には、彼がスポーツ万能であるにしても、宇宙とはあまり関係ないのである。関係ないと思えば思うほど、逆に彼はその答えに疑問を抱くようになった。これは、物体の運動の現実的な力学の実験である。そう思い始めてからというもの、彼は、無駄に激しく、速く、高く、限界で動き回るようになり、いろいろな運動部の試合に引っ張り出されるようになってしまった。彼にとって本意ではなかったが、仕方がない。幸代が大いに喜び、応援するのだから。
 楽次郎と幸代は高校受験の際、二人の研究のため進学校を避け、適当にいい加減な高校を極めて熱心に探した。その二人の行動に、教師は不思議がり、数々の、運動部に力を入れていた高校の担当者と同様に大変残念がっていた。楽次郎の目的はそこにはないのである。授業に厳しくもなく、生徒も荒れていない、さらに、幸代と一緒にいられる、そんな「環境」があればいいのである。
 二人は結局、家から近くて目立たない何でもない高校を選んだ。



 二人にとっての高校とは、単に昼間も会える場所いうものでしかなかった。楽次郎の親は、母親は勿論のこと、父親にしても、息子の夢を叶えられるよう、進学について理解をしていた。幸代は、両親がどう思っているかという話しをしたがらなかったので、失望したであろうことは薄々察することができた。だからこそ、宇宙人力飛行計画を成功させる必要があった。

 高校に入学した頃の事だった。
「やった!凄い、凄い!」
楽次郎がいつになく感情をあらわに喜んでいる姿を見て、幸代は悟った。
「宇宙空気を捉えたのね。」
「冗談でつけた羽毛布団の羽毛が揺れているよ。」
楽次郎は宇宙空気と思われる物質を捉えるのに成功したのだ。真空のドームの中のプロペラとして斜めにつけた「羽毛」が、回るまではいかないまでも、微かに揺らめいていたのだ。微弱なものではあったが、羽毛に僅かに含まれる物質に当たっているものと推定した。羽毛が揺らめく様子から推測すると、風は東から吹いている。つまり、地球の自転によって「見かけの」流れが生じているに違いない。そして渡り鳥はこの微弱な宇宙空気の風を感知し、方角を理解しているのだという仮説が浮上する。
「乾杯〜!」
二人はこの驚くべき発見に臨み、コーラとスナック菓子での宴会をして祝った。

 その夜の食事時、楽次郎は父親に宇宙空気の風を捉える実験に成功したことを告げ、更に動物の方角の認識方法の仮説も披露した。この世紀の大発見はノーベル賞ものであり、大学の科学者である父親にとって、非常に魅力的なものであった。しかし、楽次郎は、この発見は必ず兵器に使用されるとして公表をしないように懇願した。父親は大変残念がっていたが、息子の理念の強さに敬服して、協力を約束してくれた。
 こうなると、高校にあと3年も通わなければならない事に、楽次郎は苛立ちを覚えた。この時点で彼は、早々に父親のいる大学に入学することを誓った。
 それからというもの、楽次郎は土日、必ず幸代を連れて父親と一緒に大学に通い、羽毛の分析に取りかかった。

 微量に含まれる物質だけで薄い膜を作り、プロペラにした。そんなことを幾度も繰返した。が、しかし、プロペラが回らないというだけでなく、素材を細かに裂いたものさえピクリとも動かなかったのである。
「駄目だ、いくらやっても無理だ!」
楽次郎は初めて弱音を吐いた。
「そんな。諦めるのは早いわ。」幸代の言葉は楽次郎の胸を優しく傷つけた。
「早かろうがうが、遅かろうが、どうせ諦めなきゃならないんだ。寄せ集めの物質なんてもう、生き物のものじゃないんだ。死んだ物質なんだよ。」
楽次郎のあまりの激昂に幸代は泣きたくなったが、
「ねえ、気分転換に明日、遊園地にでもいきましょ。ね。」幸代はなだめる。
「あんな子供騙しの所になんか行けるか!」
楽次郎が幸代の前で初めて荒れていた。
「一人にさせてくれ。」
楽次郎は研究室を飛び出し、それから一月ほど誰とも口をきかない日が続くことになった。





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