mixiユーザー(id:3341406)

2013年03月20日17:40

1811 view

ハイビジョン特集『ピアノの詩人ショパンのミステリー』

NHK=BSの<プレミアム・アーカイブス>で、2007年に放送されたハイビジョン特集『ピアノの詩人ショパンのミステリー』が、3/9(土)再放送された。

ピアニスト仲道郁代が、関連の地を訪ね、フレデリック・フランソワ・ショパン(1810-49)の音楽についての不思議を考える。
丁度この年、彼女は、「ショパン、鍵盤のミステリー」という一連のリサイタルを国内各地で行っていて、それは、TVドキュメントと音楽会と形式は違えど、テーマは共通していた。私はリサイタルの方は行っていないが、放送の中で、2007年7/28しらかわホール(名古屋)の、また同年11/11サントリーホールのそれの映像の1部が使われていた。

ピアノという楽器の音の特性、限界というところから、仲道はスタートした。
ピアノは、発音したら、後は急速に減衰していくだけである。いくらピアニストが頑張っても、その原則は変わらない。
弦楽器や管楽器は、1音の中で音量の持続が可能だし、頭より後でクレッシェンドする事さえできる。
この能力の違いは、音楽表現において極めて大きい。
ピアノは、したがって、何台集めようが、交響曲を表現する事はできない。

この限界からスタートしているのが、ショパンの作曲である。
それでいて、ショパンは99%、ピアノ曲しか作らなかった。
番組ではこれには触れていないが、翌年に生まれたフランツ・リスト(1811-86)は、「ピアノの魔術師」と呼ばれたけれども、彼は、ピアノの可能性をもっと大きく捉えていた。言い方を換えると、彼はピアノの限界を、ショパンのようには考えていなかった。だから、ベートーヴェンの第5番交響曲をピアノ独奏用に編曲したりもする。
私には、それはまるで誇大妄想狂の行為のように思える。彼のそうした行為によってピアノという楽器の表現力が大きくなったとは考えない。
ただ、ベートーヴェン(1770-1827)以降、この頃にピアノという楽器が次々と改善され、変化していった時代である事は、認識しておかなければいけない。

ショパンは、ピアノの音の限界をベースに、だから、左手と右手の音をどう絡め、メロディをどう紡ぎ、どう装飾音符を使い、どういう運指しなければならないか、どうぺダリングしなければならないか迄、考えに考えた。1小節の作曲を進めるのに苦悩し、何時間も何時間もかけた。
ショパンの楽譜には、不思議な、非合理的とも言える指使い指示がある。ペダルをいつ踏みいつ離すか、実に微妙なタイミングの指示がある。それらは、ピアノを知悉するが故の指定だという事を、仲道はこの旅の中で確認する。
したがって、それらをただ弾き易いように変えてしまうのは誤りであって、ショパンが何故そうした不思議に辿り着いたかを解明する事でこそ彼の音楽が理解できる、という気付きに到達しなければならない。
それは、旅の中で、ショパンが愛したプレイエルのピアノに出逢う事で、可能となった。

当時のピアノフレームは木でできていた。張力は、現代の鋼鉄製フレームに比べたら、各段に低い。
キー自体も今より低かったし、音量も出なかった。
200人程度迄のサロンでの演奏がその時代のピアノには最も適していて、現代のような数千人も入るコンサートホールでの演奏等考えもしない事だった。
しかし、逆にそんなピアノが醸し出す繊細さ、独特の柔らかな響きは、現代のピアノは失ってしまったのである。
謂わば木製の小舟と鋼鉄の戦艦程にも、ピアノは変わってしまった。

ショパンが苦心したあの不思議な指示の前提には、当時の木のピアノがあったのである。
プレイエルのピアノでこそ、ショパンのかそけき繊細さ、微妙なニュアンスは表現できるものだった。
とするなら、仲道は1つの結論に辿り着くのだが、逆に現代のピアノを使って、どのように弾く事でショパンの世界が表現できるか、その事を現代のピアニストは考えなければならない。
2007年の彼女のシリーズリサイタルは、その思考の成果だったのだろう。


ディレクター 小林悟朗
撮影 大橋正尚,地主浩二
編集 楠本知子
出演 仲道郁子

2007年/日本
 
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2013年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31