■「法華経」連想
●きょう(4日)は、
妹の一周忌で、義弟の住む大東市まで、妻といっしょに
行ってきた。
四、五日まえは、
「あんた、いまの胃の調子だったら、Tさん(義弟)に、
行けませんと、電話しておいたほうがいいんじゃないの」
と、言われていた。
ところが、その次の日あたりから、私は自分の胃の調子を
事前に、少し察知できるようになり、胃酸が胃壁から急にドバッと
出そうなときは、その前に何かを食べて胃袋に送り込んでやると、
胃がシクシクと泣き始めるのを防止することができることに
気づいた。
その食べ物として、「すいか」が胃に大変よく、また大変おいしい
ことを再認識した。
そんな折も折、「
丘の向こうのすいか畑」の「
さぼさし」さんから
メールをもらった。
●そして、きょうは帰ると
「アッキー」さんの日記に、私への
返信があった。
それで、返信を書き込んだ。
2006年06月04日22:31 narato | 削除
「
散歩の変人」
すごいサイトですねー。
びっくりです。
教えられること、いっぱいです。
ありがとうございます。
きょう、妹の一周忌があり、
坊さんの
法華経を聞いていたら、淡路の坊さんの
ブレスするところがちがっていたので、家に帰ってから
「
日蓮の本」という「本」を読んで、読んでいたら
「妹尾義郎」のことが書いてあり、またまた
『
仏陀を背負いて街頭へ』をパラパラ読んだりしています。
●忘れないうちにメモしておくが、ブログ「
散歩の変人」のページを
見たついでに、ヤフーで「
妹尾義郎」を検索したら、これまた
新発見のいろんなページが「連凧」のように釣り上がってきた。
・「
ブッダ ワールド」(
第18回 妹尾義郎)
・「
アーユス」(
妹尾義郎 その1,2 新興仏教青年同盟委員長)
(副産物)
・「
東亜文字処理 ライン・ラボ」
(前田年昭「
全共闘運動再検証の契機に・・・」)
(同「
死者は生者を捉え,妄想は遅れてきた全共闘を走らせた」)
(同「
読書録1968-2006 人名索引」)
・「gooウィキペディア記事検索」(
「西暦1945年」私の生まれた年)
●私が淡路・隆泉寺の「檀家」となったのは、母が亡くなったとき、
その墓を建立するにあたって、父は宮崎に墓地を手当てしていたが、
それに反対して、私は母の出生の地・淡路の津井の寺に葬ってやろうと
考えたからだ。
その辺の事情は日記「
春を待つ雨」に書いた。
で、前掲の「
日蓮の本」によれば、私の属している宗派は
「法華宗本門流」で、室町時代に活躍して法華宗を再興した
「日隆」を門祖とする四本山、静岡・光長寺、千葉・鷲山寺、
京都・本能寺、兵庫・本興寺がそれぞれの末寺と一体となって
本宗を形成。総本山制度や一山一宗制度をとらず、それぞれが
独立しつつ互いに団結し合っているユニークな宗派、となっている。
そういうことで、隆泉寺の本山は「
本能寺」であり、法事には、
「法華経」の読経ということになるが、これは何も、私が選り好みして
「法華宗」を選んだわけでなく、墓を作るための、たまたまの
偶然である。
しかし、一応は檀家になるということで、私は宗派関係の「本」も
読んだりした。ついでに言えば、「
日蓮の本」もそのような関係で
買ったが、この「本」は要領よく「日蓮」「日蓮宗」「法華宗」
および「日蓮系新宗教」の流れ、系譜・人物・論争について
書いてある。
たとえば、近代思想と日蓮主義との関連で「熱狂的日蓮主義者」とも
言える次の人たちを採りあげ、論評を加えている。
田中智学/木村鷹太郎/北一輝/鷲谷日賢/井上日召
石原莞爾/妹尾義郎/宮沢賢治/江川忠治
●で、亡くなった妹の婚家の方も、これまた偶然のこと「法華経」を
読む宗派であり、私は隆泉寺の住職からもらった「妙法蓮華経要品」
という折りたたみ式の経本を持って行った。お坊さんが読経する
に合わせ、それを目で追い、クチパクでお経を唱えたのだ。
しかし、どうも息継ぎが合わない。このお坊さん、第一拍目で
ハッと息を継ぐ。そのため、出だしの漢字一文字分が飛ぶ。
音楽で言う「弱起の曲」といった感じ。
また、淡路であれば、年配の人たち(主に女性)はお坊さんに合わせ
みんなで読経するのだが、ここではみんな聞き役で雰囲気が
ちがう。
それと、気づいたのは、お布施が多かったのか、きょうは
普段は読まない「如来神力品、第二十一」も全部通しで唱えていた。
ずいぶんと長い読経だった。
みんな疲れた。
●帰ってきて、「法華経」の連想ゲームのようにいろいろなことを
思い出した。
稲垣真美「
仏陀を背負いて街頭へ」(岩波新書892 1974第1刷)
をひっぱり出してきて、赤線を引いてあるところを読んだ。
妹尾義郎は、当時の時代にふさわしい新興仏青(「新興仏教
青年同盟」)の実践形態として、消費組合運動をも重視して
いたように思われる。彼自身の日記にも、1936年(昭和11)の
1月27日付けで、「仏教の現代的実践としての主流は
消費組合にむけるべきだ」と記している。
消費組合といえば、大正末期から昭和初年にかけての
妹尾の愛読書のなかに、経済学者・本位田祥男『消費組合巡礼』
の一書もあったが、それは時代思潮的なものに促された
知識層のぎりぎりの実践運動の一方式ともみられた。
たとえば、京都でも1929年(昭和4)10月ごろから
同志社大学の法学部教授だった中島重(しげる)、能勢克男らが
抵抗運動で大学を追われたのち、「京都家庭消費組合」を
創立発足させている。
当時の中心にいた人の思い出話によると、(この協同組合は)
河上肇、末川博、佐々木惣一、恒藤恭、朝永三十郎、
西田幾多郎、和辻哲郎、戸坂潤、中井正一、新村猛、
柳宗悦、須田国太郎、衣笠貞之助、等々
京都大学関係の人々や文化人を主に、600軒ほどの
多方面の知識層・小市民の家庭からなりたっていたそうで
ある。
●「京都家庭消費組合」や「中島重」や「能勢克男」は、
大正10年(19321年)の「
神戸購買組合」「灘購買組合」設立から
そう離れてはいないし、涌井安太郎「
星をめざして 私の生協運動」
へも、そう遠くはない。
・
協同組合人物略伝
妹尾の愛読書「
本位田祥男」は、私の本棚にある
本位田祥男『協同組合総論』につながっている。
そして、稲垣真美『仏陀を背負いて街頭へ』を読んだ年、
1974年、私は「灘神戸生協・理事会」に対し、いま必要なのは
自分の職場を自分たちで管理する「365日闘争宣言」だと
思い、労組・執行部は72時間ストを第一波の24時間で
「スト中止」を決定した年だ。
また、1969年に青年・大学・学問が「
売られて」、
つぎに、労働者・労働組合が「
売られた」年だ。
母が亡くなるのは、
1982年の年末だが、鬱々としながら
読んだ「妹尾義郎」や「法華経」は、その「さきがけ」だった
のかもしれない。
●「仏陀を背負いて街頭へ」から、稲垣真美の文章を拾い、
また、「日蓮の本」の「妹尾義郎」の項の結びをつなぎあわせれば
大意は次のようになる。
あるときは朝鮮人の味方にもなり、
水平社運動や無産運動にもかかわり、
僻村に協同組合をつくるなどして
常に、人間的に弱く貧しいものの側に立ち、
差別のない共同社会の実現を希求し、
仏教者の良心に恥じない社会変革活動を貫いた。
だからこそ、妹尾は「日蓮」を深く敬愛しながら、
それをあえて捨てて、新興仏青で諸宗派を超えた
仏教の統一を唱えのであろう。
日蓮も、親鸞も、法然も、道元も捨てて
仏陀の名による連帯を提唱することは
たいへん大きな意義のあることと思う。
その意味で、妹尾の思想や新興仏青の運動は
ひとつの今日の仏教の原点になるものではないか。
反戦にせよ、日常生活の改善にせよ、協同組合運動にせよ、
新興仏青が、啓蒙的に仏典の読み直しを通じて訴えかけて
いた時点にもどって、そこから具体化にとりかかる
べきではないか。
昭和36年3月、妹尾義郎は人知れず死んでいった。
しかし、妹尾が突きつけた問題は、稲垣真美の「本」が
出版されたときも、私がそれを読んだときにも、
そして、今現在も、手つかずのまま放置されている、
ということではないのか・・・。
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