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2006年06月05日09:23

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●身辺雑記(66)/■「法華経」連想

■「法華経」連想

 ●きょう(4日)は、妹の一周忌で、義弟の住む大東市まで、妻といっしょに
  行ってきた。

  四、五日まえは、

   「あんた、いまの胃の調子だったら、Tさん(義弟)に、
    行けませんと、電話しておいたほうがいいんじゃないの」

  と、言われていた。


  ところが、その次の日あたりから、私は自分の胃の調子を
  事前に、少し察知できるようになり、胃酸が胃壁から急にドバッと
  出そうなときは、その前に何かを食べて胃袋に送り込んでやると、
  胃がシクシクと泣き始めるのを防止することができることに
  気づいた。


  その食べ物として、「すいか」が胃に大変よく、また大変おいしい
  ことを再認識した。
  そんな折も折、「丘の向こうのすいか畑」の「さぼさし」さんから
  メールをもらった。



 ●そして、きょうは帰ると「アッキー」さんの日記に、私への
  返信があった。



  それで、返信を書き込んだ。



    2006年06月04日22:31 narato | 削除

    「散歩の変人

      すごいサイトですねー。
      びっくりです。
      教えられること、いっぱいです。
      ありがとうございます。

      きょう、妹の一周忌があり、
      坊さんの法華経を聞いていたら、淡路の坊さんの
      ブレスするところがちがっていたので、家に帰ってから
      「日蓮の本」という「本」を読んで、読んでいたら
      「妹尾義郎」のことが書いてあり、またまた
      『仏陀を背負いて街頭へ』をパラパラ読んだりしています。



 ●忘れないうちにメモしておくが、ブログ「散歩の変人」のページを
  見たついでに、ヤフーで「妹尾義郎」を検索したら、これまた
  新発見のいろんなページが「連凧」のように釣り上がってきた。

 
  ・「ブッダ ワールド」(第18回 妹尾義郎
  ・「アーユス」(妹尾義郎 その1,2 新興仏教青年同盟委員長)

 (副産物)

  ・「東亜文字処理 ライン・ラボ
   (前田年昭「全共闘運動再検証の契機に・・・」)
   (同「死者は生者を捉え,妄想は遅れてきた全共闘を走らせた」)
   (同「読書録1968-2006 人名索引」)

  ・「gooウィキペディア記事検索」(「西暦1945年」私の生まれた年)



 ●私が淡路・隆泉寺の「檀家」となったのは、母が亡くなったとき、
  その墓を建立するにあたって、父は宮崎に墓地を手当てしていたが、
  それに反対して、私は母の出生の地・淡路の津井の寺に葬ってやろうと
  考えたからだ。

  その辺の事情は日記「春を待つ雨」に書いた。


  で、前掲の「日蓮の本」によれば、私の属している宗派は
  「法華宗本門流」で、室町時代に活躍して法華宗を再興した
  「日隆」を門祖とする四本山、静岡・光長寺、千葉・鷲山寺、
  京都・本能寺、兵庫・本興寺がそれぞれの末寺と一体となって
  本宗を形成。総本山制度や一山一宗制度をとらず、それぞれが
  独立しつつ互いに団結し合っているユニークな宗派、となっている。

  
  そういうことで、隆泉寺の本山は「本能寺」であり、法事には、
  「法華経」の読経ということになるが、これは何も、私が選り好みして
  「法華宗」を選んだわけでなく、墓を作るための、たまたまの
  偶然である。


  しかし、一応は檀家になるということで、私は宗派関係の「本」も
  読んだりした。ついでに言えば、「日蓮の本」もそのような関係で
  買ったが、この「本」は要領よく「日蓮」「日蓮宗」「法華宗」
  および「日蓮系新宗教」の流れ、系譜・人物・論争について
  書いてある。

  たとえば、近代思想と日蓮主義との関連で「熱狂的日蓮主義者」とも
  言える次の人たちを採りあげ、論評を加えている。
   
    田中智学/木村鷹太郎/北一輝/鷲谷日賢/井上日召
    石原莞爾/妹尾義郎/宮沢賢治/江川忠治



 ●で、亡くなった妹の婚家の方も、これまた偶然のこと「法華経」を
  読む宗派であり、私は隆泉寺の住職からもらった「妙法蓮華経要品」
  という折りたたみ式の経本を持って行った。お坊さんが読経する
  に合わせ、それを目で追い、クチパクでお経を唱えたのだ。


  しかし、どうも息継ぎが合わない。このお坊さん、第一拍目で
  ハッと息を継ぐ。そのため、出だしの漢字一文字分が飛ぶ。
  音楽で言う「弱起の曲」といった感じ。

  また、淡路であれば、年配の人たち(主に女性)はお坊さんに合わせ
  みんなで読経するのだが、ここではみんな聞き役で雰囲気が
  ちがう。


  それと、気づいたのは、お布施が多かったのか、きょうは
  普段は読まない「如来神力品、第二十一」も全部通しで唱えていた。
  ずいぶんと長い読経だった。

  みんな疲れた。


 ●帰ってきて、「法華経」の連想ゲームのようにいろいろなことを
  思い出した。

  稲垣真美「仏陀を背負いて街頭へ」(岩波新書892 1974第1刷)

  をひっぱり出してきて、赤線を引いてあるところを読んだ。




    妹尾義郎は、当時の時代にふさわしい新興仏青(「新興仏教
    青年同盟」)の実践形態として、消費組合運動をも重視して
    いたように思われる。彼自身の日記にも、1936年(昭和11)の
    1月27日付けで、「仏教の現代的実践としての主流は
    消費組合にむけるべきだ」と記している。

    消費組合といえば、大正末期から昭和初年にかけての
    妹尾の愛読書のなかに、経済学者・本位田祥男『消費組合巡礼』
    の一書もあったが、それは時代思潮的なものに促された
    知識層のぎりぎりの実践運動の一方式ともみられた。

    たとえば、京都でも1929年(昭和4)10月ごろから
    同志社大学の法学部教授だった中島重(しげる)、能勢克男らが
    抵抗運動で大学を追われたのち、「京都家庭消費組合」を
    創立発足させている。

    当時の中心にいた人の思い出話によると、(この協同組合は)
    河上肇、末川博、佐々木惣一、恒藤恭、朝永三十郎、
    西田幾多郎、和辻哲郎、戸坂潤、中井正一、新村猛、
    柳宗悦、須田国太郎、衣笠貞之助、等々
    京都大学関係の人々や文化人を主に、600軒ほどの
    多方面の知識層・小市民の家庭からなりたっていたそうで
    ある。





  ●「京都家庭消費組合」や「中島重」や「能勢克男」は、
   大正10年(19321年)の「神戸購買組合」「灘購買組合」設立から
   そう離れてはいないし、涌井安太郎「星をめざして 私の生協運動
   へも、そう遠くはない。

     ・協同組合人物略伝


   妹尾の愛読書「本位田祥男」は、私の本棚にある
   本位田祥男『協同組合総論』につながっている。




   そして、稲垣真美『仏陀を背負いて街頭へ』を読んだ年、
   1974年、私は「灘神戸生協・理事会」に対し、いま必要なのは
   自分の職場を自分たちで管理する「365日闘争宣言」だと
   思い、労組・執行部は72時間ストを第一波の24時間で
   「スト中止」を決定した年だ。



  また、1969年に青年・大学・学問が「売られて」、
  つぎに、労働者・労働組合が「売られた」年だ。


  母が亡くなるのは、1982年の年末だが、鬱々としながら
  読んだ「妹尾義郎」や「法華経」は、その「さきがけ」だった
  のかもしれない。


 ●「仏陀を背負いて街頭へ」から、稲垣真美の文章を拾い、
  また、「日蓮の本」の「妹尾義郎」の項の結びをつなぎあわせれば
  大意は次のようになる。


     あるときは朝鮮人の味方にもなり、
     水平社運動や無産運動にもかかわり、
     僻村に協同組合をつくるなどして
     常に、人間的に弱く貧しいものの側に立ち、
     差別のない共同社会の実現を希求し、
     仏教者の良心に恥じない社会変革活動を貫いた。


     だからこそ、妹尾は「日蓮」を深く敬愛しながら、
     それをあえて捨てて、新興仏青で諸宗派を超えた
     仏教の統一を唱えのであろう。
     日蓮も、親鸞も、法然も、道元も捨てて
     仏陀の名による連帯を提唱することは
     たいへん大きな意義のあることと思う。


     その意味で、妹尾の思想や新興仏青の運動は
     ひとつの今日の仏教の原点になるものではないか。
     反戦にせよ、日常生活の改善にせよ、協同組合運動にせよ、
     新興仏青が、啓蒙的に仏典の読み直しを通じて訴えかけて
     いた時点にもどって、そこから具体化にとりかかる
     べきではないか。


     昭和36年3月、妹尾義郎は人知れず死んでいった。
     しかし、妹尾が突きつけた問題は、稲垣真美の「本」が
     出版されたときも、私がそれを読んだときにも、
     そして、今現在も、手つかずのまま放置されている、
     ということではないのか・・・。




 
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