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2009年10月30日00:04

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ローマ第3日、そしてバスは北へ

ローマの3日目はパラパラと秋雨が落ちる。寒くはない。傘はささずジャンパーのフードを被ってホテルを出る。

昨夕の余韻を胸の奥に燻ぶらせて、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会へ。
ここもシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿が建てさせたものである。着工は1608年。

ファサードは落ち着いた風情で、石のグレーそのままに派手さもない(写真1)が、中に入ると一転、バロックの絢爛豪華が目に飛び込む。
正面の祭壇、八方に飛び輝く神の威光の金色をなす光線の造形始めとして、光の意匠があちこちに配されている。
振り向くと、入口の上にはオルガンのパイプの林立する銀色がそれに応えるかのよう。
天井もクーポラの内も、バロックの幻惑的な色の群れ。

司教座の左にコルナーロ家の礼拝所があって、そこにベルニーニの『聖女テレジアの法悦』がある。
いや、ただ1聖女の像ではない、この礼拝所全体の設計をベルニーニが行っている。その楕円の場全体が1つの劇場空間のようだ。
テレジアの最期を、笑むが如き天使が、手に持つ矢を彼女の胸に突き刺して、招来させようとする瞬間。
昨夕のルドヴィカ・アルベルトーニと同様、そこには病による痛み、と、死の向こうで永遠の地と同化する法悦がある。
天井からは、幾筋もの金塗装したブロンズ線が、神の招きのように、またスポットライトのように、この瞬間を照らしている。
前からは見えない位置に灯り取りの窓が開けられていて、そこから自然の光も射し込んでくる。
今日のような雨の日、晴れの日、そして朝夕の時間により、更には四季折々の変化も加えて、観る毎に異なった姿が、祈りに訪れる人々の前に展開される事だろう。

左右の上方には劇場のボックス席のような場が設えられ、礼拝所の発注主であるコルナーロ家の人々の像が、この奇跡を見守り、また語らっている。
下から見上げる我々も、彼等に交じって、この幻視の劇場の鑑賞者となり、宗教的奇跡の追体験をする。
まさにバロックの対抗宗教改革の理念の場がここに展開されている。

ベルニーニは恐らく、この建物全体の設計者カルロ・マデルノと、光の意匠について擦り合わせながら、この礼拝所を作っている筈だ。
それ程に堂内全体の印象が、天からの光線のイメージで統一されている。

昨日観た『福女ルドヴィカ・アルベルトーニ』とこの『聖女テレジアの法悦』は、テーマは同じ、狙いも同じ延長線上にある。
が、受ける印象は微妙に違うところがある。
その差は何処からくるのかと、考えてみた。

制作時期は前者が70歳代、後者が50歳前後。
もう少し時間軸を前に延ばせば、『プロセルピナの掠奪』や『アポロとダフネ』が20歳代の作品。
我々は、ベルニーニの生涯を概括して見てきた事になっている。
彼が死んだのは82歳。
サン・ピエトロ大聖堂の『アレクサンデル7世墓碑』とほぼ同時期に『ルドヴィカ・・』も作られていて、彫刻作品としては、これらがほぼ最後のものと言える。

プルートやアポロの能天気な表情、テレジアの場のやや過剰な劇的演出、四大河の噴水の隠された意思と象徴、アレクサンデルにおけるシニスム、そしてルドヴィカの枯れた静寂、・・・些か我意でまとめ過ぎだとは思うが、こんな風にベルニーニの作品と生涯を私は舐めてみた。
ルドヴィカでは、天使達が壁でささやく程度、劇場環境にそれ程演出への拘泥は見られない。結果、より静謐な空気が漂う印象を私は得た。勿論、堂全体の雰囲気の違いも、大きく観る者の心理に影響するに違いない。


テレジアに別れを告げて、我々はバルベリーニ宮殿へ。
この2階が現在、ローマ国立絵画館となっている。

まだ雨が少し残る中、ローマの坂を上り下り、宮殿の裏方をSumikoさんが案内してくれたが、そこは表玄関側と違って、修理もされず痛んでいた。
ここ迄金が回らないのでしょうとおっしゃっていたが、レンガの壁の梁にはハチの紋章が寂しげに掛っている。
この紋章はバルベリーニ家のもので、同家出身の教皇ウルバヌス8世がこの邸宅を建てた。1623年の着工である。
設計者は当初カルロ・マデルノ、そしてボッロミーニがメインとなり、ベルニーニも協力している。この頃はこの2人、まだ協調していたのだとの事。ナヴォナ広場の噴水と教会の話を想い出して頂けたらありがたい。

表玄関は、前庭に緑の木々を豊かに配したヴィラ風、建物は壮麗なもの。
背の高い鋳物の柵に、絵画館の看板が掛り、ラファエッロの女が微笑んで迎える。(写真2)
建物に入ってすぐ螺旋の石階段を上る。楕円の軌道を描く吹き抜けのそれは、ベルニーニの手によるもの。

看板にあったラファエッロの女は『ラ・フォルナリーナ』である。
ラファエッロの恋人でパン屋の娘だったと言われている。
ミケランジェロと違い従順な性格できちっと仕事をこなした彼は、多くの権力者のパトロンを持つに到る。その中にビビエーナ枢機卿がいたが、彼はラファエッロに姪との結婚を持ちかける。ラファエッロはそれに従い、やむなくパン屋の娘との恋を自ら断ち切る。しかし、恋情やみがたく、極私的にこの絵を描き、最後迄手許に置いたとされている。
確かにこの絵には、時間をかけて丹念に描き込み続けた跡がある。他の彼の聖母に見られるぼやけた輪郭や紗のかかった甘い描法は見られず、実にくっきりしている。そういう意味ではいわゆるラファエッロ・スタイルとはやや感じが違う。天上の聖母ではなく、地に足をつけた下町の美人という風だ。薬指には、決して豪華でない、ささやかな指輪がはまっている。
ラファエッロの隠された恋情の悲劇の割に、女の表情には曇りがなく、明るくあっけらかんとしている。そこがまたラファエルの性格の顕れかもしれない。

カラヴァッジョ作品では、前述したように『ホロフェルネスの首を切るユーディット』はボルゲーゼ美術館に行っていたが、『ナルキッソス』『聖ヒエロニスム』『聖フランチェスコ』等を観る事ができた。
同じ部屋には、これも前の日記で描いたカラヴァッジェスキ達の絵が並べられており、フセペ・デ・リベーラやオラツィオ・ジェンティレスキの作品を続けて観る事ができる。
実はオラツィオの娘アルテミジアのユーディットの絵に、今回、私は大変に強い吸引力を感じながらこの旅に臨んだのだが、それはフィレンツェでの逢瀬を待つ事になる。
グイド・レーニの有名な『ベアトリーチェ・チェンチ』は、残念ながら何処かに貸し出し中であった。
イタリアものではないが、ホルバインの有名な『ヘンリー8世』の上半身像が、ここのもうひとつの売り。ヘンリーの押し出しの強さが画面から迸り出ている。何故この絵がここの美術館にあるのか、これもSumikoさんに訊いておけばよかった。

広間ではピエトロ・ダ・コルトーナの大天井画『神の摂理の勝利』を仰ぐ。クッションに寝て天井を観れるように配慮されているのは、サン・ピエトロとは違う。美術館とカトリックの総本山寺院との差で、当たり前と言えば当たり前だが。
天井では、あのバルベリーニのハチ達が中央で神の祝福の桂冠を受けている。


リストランテ・ナウティルスで昼食を取る間に、雨は殆ど上がる。
かくして我等シニアのローマの休日は終わりを告げ、バスは高速を北へ進路を取る。

フィレンツェのホテルはアルノ川沿いのメディテッラネオ。
夕刻到着して部屋の窓を開けると、花の聖母大聖堂のドゥオーモがすぐそこに見える。
思わず1枚。(写真3)

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