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2009年10月29日00:01

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ローマ第2日

ローマの2日目、専用バスでボルゲーゼ美術館へ。(写真1)

この建物は、もともとシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿が、ボルゲーゼ家の夏季別荘として1613年に建設を始めたもの。
シピオーネは教皇パウルス5世の甥で、パウルスはネポティズム、つまり縁故者重用の甚だしかった教皇である。まあその傾向は、彼だけではないが。
シピオーネはその後ろ盾をいい事に、飽く事なく芸術品を蒐集した。そのやり口は金と権力を駆使した大変乱暴なものだったらしい。

この秋から来春にかけて、「ボルゲーゼ美術館展」が京都国立近代美術館と東京都美術館で開催されるが、それらの作品はもう日本に移送されていてここにはない。
ラファエッロの『一角獣を抱く貴婦人』カラヴァッジョの『洗礼者ヨハネ』、ベルニーニの『シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像』等である。上野には勿論行く予定でいる。

その代わりという訳ではないだろうが、現地では「カラヴァッジョとベーコン展」という興味深い展覧会が開催されていた。
ベーコンとは、20世紀英画家のフランシス・ベーコン(1909-92)である。エリザベス朝の同姓同名の哲学者の末裔でもある。ご存知でない方は以下参。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1159483430&owner_id=3341406
カラヴァッジョとベーコンの作品を、他の所蔵品と切り分ける事なく、あちこちに併置しているのが面白い。有名な、ベラスケスの『教皇インノケンティウス10世』へのオマージュ作品もあったが、今日はベーコンには触れずにおく。

この美術館の焦点は、言う迄もなく、カラヴァッジョとベルニーニだ。この2人の作品を観る事は、この美術館に限らず、今次旅行の目的の大きなウェイトを占める。
同行の女声達の中にも強力なベルニーニファンがおいでで、嘆息と共に大理石とは思えぬ像に見入っていた。
『アポロとダフネ』『プロセルピナの掠奪』『ダヴィデ』、そして、離れて『(時が明らかにする)真理』の像を観る事ができた。
前の3作はベルニーニの若い時代のもので、何れも20代で作られた。
ベルニーニの意匠と技術は、当時も大変な驚きを以って人々に受け入れられたようだ。人物像の動きのダイナミックさ、肌や肉体の造形が、堅い大理石という素材を忘れさせる。この驚きは、当時の人々のそれと全く同じものだろうと思われる。
もう言い古されている事柄だから、私がここでそれを再度なぞるのはやめておく。

私が個人として驚きを持ったのは、男の方、つまりアポロとプルートの表情だ。
アポロを避けるダフネは、遂に月桂樹に化して迄、逃げようとする。その必死さに比べ、アポロの表情の能天気はどういう事だろうか。殆ど何も考えていないに等しい程だ。
またプロセルピナを奪おうとする冥界の王プルートの表情のコミカルな事。(写真2部分)
これらを観て思ったのは、若いベルニーニの興味は、専ら対象の動きの瞬間を劇的に捉える事にあって、人物達の内的葛藤や成長等の要素には向けられていないという事だ。
これはまさにバロックの性格のひとつで、登場人物達の動きは、まるで劇場の舞台上の出来事の1瞬間のようにも見える。
日本に帰って世界美術大全集(小学館)の第16巻<バロック1>を読むと、若桑みどりは「ここには内面の葛藤の表現はなく、外面的な力のドラマのみが表されている」と言っている。

カラヴァッジョでは『果物籠を持つ少年』『ダヴィデとゴリアテ』『蛇を踏む聖母子』『パウロの回心』等を観る事ができた。翌日行くバルベリーニ宮殿のローマ国立絵画館から『ホロフェルネスの首を切るユーディット』も来ていた。
聖書を題材にした絵でも、モデルは市井の人物である事がありありと判り、彼の、目の前の実態に迫ろうとする姿勢に、時代に抗し、並大抵でないものを感じた。当然注文主である教会からは、何度も描き直しを迫られるが、描き直しを要求してでも彼の絵が欲しいという程の沸騰的人気が当時あった。とは言ってもその人気はローマでは短い間だった。
『マルタの騎士』は本でも観た事のない絵で、新鮮だった。
ローマでの賭け事が元での殺人事件から南方に逃亡したカラヴァッジョが、マルタ騎士団の本拠地のあるマルタ島で描いたものだろう。マルタの白十字の胸マークが、暗い背景の中でくっきりと鮮やかだ。
カラヴァッジョはここでも暴力沙汰で投獄されるが、脱獄してシチリアへと逃げ延びる。
逃亡中、特にナポリでカラヴァッジョの人気は凄いものがあり、ここで出会うスペイン・バロック絵画の中心人物フセペ・デ・リベーラは彼の光と闇の描法を学び、スペインにカラヴァッジョの影響を拡げた。
こうした何人ものカラヴァッジェスキの働きで、彼の独創的なスタイルは、瞬く間に全欧州に拡がった。カラヴァッジョ風の作品は、17世紀のヨーロッパ各地で見る事ができる。それ程カラヴァッジョの影響は多大だった。

午後は、サンタンジェロ城とパンテオンへ。
その道筋の関係から、ガイドのSumikoさんが、間にナヴォナ広場とトレヴィの泉を挟んでくれた。前者にはベルニーニ設計の『四大河の噴水』がある。
Sumikoさん曰く、アフリカ・ナイルの寓意像がペールを被っているのは、向かいに建っている”ボッロミーニ設計の教会なんか見たくない”という意思表示だそうだ。教会の名はサン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ聖堂。ベルニーニとボッロミーニは、同じバロックの時代にあって、相当張り合っていたようだ。

ホテルに戻った時間が早かったので、Sumikoさんに訊く。
サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会にはどう行くの?地下鉄?
場合によってタクシーも覚悟していたが、言葉も通じない中で、ボッタクリも怖い。
ホテル近くのバスストップから、市バスを乗り換える事なく、20分程で行ける由。
皆に問うと、私も行くという人が8人程。
ならば、と、Sumikoさんが引率して下さる事に。計画にはないのに、本当に申し訳なく、ありがたい。
往復2ユーロの切符を走って買ってきてくれる。寺院の閉まる時間もあるから、急いで行こうと、慌しく出発する。
初めてのローマ市バス。混み出すと、スリに気を付けてとSumikoさんの親切なコーション。

サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会(写真3)には、ベルニーニの『福女ルドヴィカ・アルベルトーニ』の像がある。私にとっては、今回の旅程に入れられなかったのが残念でならなかったもの。
小さな堂に入ると、中は薄暗く、熱心に祈る人達がちらほらいる。
巡ってきた美術館や史跡とは全く違う静謐な空気がそこには流れている。
心を静めて中に入り、少し進んで左方に、その質素な礼拝所はある。
貧しい人々の生活を助けたルドヴィカの横たわる最期の姿がそこにある。
胸に刺す病の痛みは、彼女に死の惧れを感じさせるが、一方でイエスの磔刑に到る道程での痛みや苦しみとの同化をもたらしてくれもする。そこに痛みと死が法悦に変わる瞬間がある。その姿をベルニーニは、共感をもって彫り出している。ベルニーニ70歳代の作品だ。
今想い起こしても、瞼の裏が熱くなる気がする。ひとりで来ていたら、恐らく、この暗い堂の中で涙が流れてならなかった事だろう。

明日は同じ作者の同じテーマとなる『聖女テレジアの法悦』を観る事になる。これは基本旅程の内。
それと比較して、もう一度考えを巡らせてみようと思う。
 
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