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2009年10月07日20:09

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宮下規久朗著 『イタリア・バロック』,パノフスキー著 『墓の彫刻』

以前書いた日記で気になっているものがあった。
国立西洋美術館の常設展でジョルジュ・ド・ラ・トゥールの1枚を初めて観た後、東京都美術館の「プラド美術館展」で観たフセペ・デ・リベーラの印象が酷似しているように思えたのだ。
で、その日記の中でそれなりに分析してみたという訳。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=115292065&owner_id=3341406&org_id=114494477
生きた時代は全く同じだが、フランスのロレーヌを生涯出なかったド・ラ・トゥールとスペインの画家デ・リベーラの距離はかなり離れている。どうしたら、この酷似を説明できるだろうか、と考え、間にカラヴァッジョを置くなら可能だと思い付いたのだ。

この仮説を裏付ける書に出会った。
「世界歴史の旅」のシリーズの1冊で、宮下規久朗が書いたもの。
山川出版社から2006年11月に第1刷が発行されている。

宮下規久朗は、東大及び同大学院で美術史を専攻、イタリアのバロックを中心に、近現代美術迄造詣が深く、関連書も多く書いているし、それによって国際的な受賞もしている。
光文社新書からは、先日日記に書いた『恋する西洋美術史』(池上英洋著)と姉妹書の位置付けになっている『食べる西洋美術史』が出版されている。
こちらはまだ読んでいないが、そんな訳もあって、名前は憶えていた。
今回読んだ書は図書館から借りたもの。

私の仮説に関係する部分を引用してみる。
「カラヴァッジョは弟子をとらなかったにもかかわらず、その画風はローマにやってきた多くの若い画家を魅了し、カラヴァッジェスキと呼ばれる自然主義を流行させた。(中略)カラヴァッジョの様式は早くからフランドルやオランダ、フランスの画家たちにも熱心に模倣されたが、彼らが自国に帰るとローマでは1620年代末までに終息していった。」
カラヴァッジョは、ご存知の通りの噴火型の性格から、多くの警察沙汰を引き起こし、1606年には賭けの諍いからついに殺人を犯してローマから逃亡したのだ。この逃亡生活の中でも精力的に作品を残し、各地に大きな影響を与えた。
もう少し引用を続けると、
「むしろカラヴァッジョが滞在したナポリにおいてナポリ派と呼ばれる力強い自然主義が発展し、この様式はジュゼッペ・デ・リベラを通じてスペインに大きな影響をおよぼし、ベラスケスやスルバランたちが輩出するスペイン絵画の黄金時代を招いたのである」。

ここで、”フセペ”でなく”ジュゼッペ”と表記されてているのは、イタリアで彼が生涯を終えているからだ。

それはともかく、カラヴァッジョとデ・リベーラの接点は、こうしてナポリで実現していた事が、宮下によってお墨付きをもらえた。
また、カラヴァッジョ様式が、フランドルやフランスでも模倣者が生まれた事も示されており、ド・ラ・トゥールが一生出なかったロレーヌ地方は、フランドルに程近いフランスの1地方である事から、彼がその様式に触れたか、また模写作品を見たかした事は、かなりの確率であり得ただろう。

リベーラは後半生、ナポリに定住したが、スペイン宮廷に有力な庇護者を持った事から、描いた絵を彼はせっせとスペインに送った。そんな訳で、彼の作品は、プラド美術館でも多く目にする事ができるのである。

以下は今回の主旨とは離れるが、ドメニキーノ(1581-1641)ついて書かれた文章の中で驚くような事に触れている。
ドメニキーノは「ボローニャ派の中でもっとも古典主義的傾向が強く、17世紀以降の古典主義の大きな潮流を作り出した」人物で、ナポリのドゥオーモ装飾の為に同地に赴いたが、「地元の画家たちの激しい反発を受け、そこで没した」。
彼の急死について、別ページでこんな風に踏み込んでいる、
「リベラを中心とする嫉妬深いナポリの画家たちに毒殺されたともいわれている」。中断されたドメニキーノの絵は、「リベラとマッシモ・スタンツィオーネというナポリのカラヴァッジェスキの画家が2点を完成させた」と。
この表現からすると、史的確証はないもののその可能性は強い、という風に受け取れる。
それにしても、カラヴァッジョの荒らぶる気質は、その様式を受け継いだ者達にも舞い降りたのだろうか?


この書を読んだのは、バロック美術への理解を深める為で、ド・ラ・トゥールとデ・リベーラの画風の酷似について探るのが目的ではない、勿論ドメニキーノの死因でもない。
バロックを理解する上で、最大の柱となる人物は、カラヴァッジョとベルニーニだ。
バロックについては以前から大きな興味があり、高階秀爾の『バロックの光と闇』他、いくつか本も読んできた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=551622720&owner_id=3341406
カラヴァッジョもベルニーニも、今月下旬のイタリア旅行では大きな目的の1つとしている。
ベルニーニについては、その作品世界の”大きさ”の所為か、なかなか感想をしたためる事ができずにいる。彫刻から大規模墓碑、建築迄というスケール感だけの意味でなく。
彼の作品では、『聖テレジアの法悦』や『プロセルピナの掠奪』『アポロとダフネ』のような感傷性の強い作品が前に出ているが、次のような作品もある。
それは同時に読んだ『墓の彫刻〜死にたち向かった精神の様態』(エルウィン・パノフスキー著/哲学書房1996年6月初版発行)で知った。
写真で紹介すると、1が『ウルバヌス8世の墓碑』2が『アレクサンデル7世の墓碑』で、共にサン・ピエトロ大聖堂の最奥部にある由。
打ちのめされるような凄い作品だ。感想は実際にこの目で観てきてからにしたい。
神に最も近い存在とされた大教皇の像の前下にいる骸骨が何をしているか、この写真で見えるだろうか。
 
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