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2022年03月26日18:29

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西洋絵画 巨匠たちのダメ!?対決 レオナルドVSミケランジェロ<その2>

<承前>
レオナルドと対照的に、ミケランジェロは貴族の出身。父親は村の執政官でした。
石材店である乳母の実家で育てられ、これが彫刻家になるきっかけだったかもしれません。
13歳で工房に入り、わずか一年で認められ、メディチ家に「出向」します。
でも彼はナマイキで傲岸なタイプ。先輩の絵を笑ったことで殴られ、鼻が曲がってしまったと伝えられ、肖像画も曲がった鼻になっています。

10代から仕事をこなし、わずか15歳の時に制作した彫刻が「階段の聖母」(画像が映し出され、会場からため息、実はわたしも9年前に東京で、これを見たことがあります)。
そしてローマへ行ってあの有名な「ピエタ」像を作ったのが24歳の時。
いきなりバチカンデビューですよ。
そしてフィレンツェに凱旋し、ダヴィデ像を制作。これ、5m17�僂發△襪鵑任后�
これを作ったあとに、冒頭話したエピソードですが、レオナルドに会うんですね。

「トンド」と呼ばれる、まん丸の構図に描く作品も残していますが、ローマ教皇ユリウス2世から呼ばれて、システィーナ礼拝堂の天井画に取り掛かることになります。
彼は「オレは彫刻家なのに・・」という気持ちだったみたいで。
あれは天地創造というより、創世記ですね。
弟子6人を連れて行ったんですが、弟子の作業がうまくいかないと「どけ! オレがやる!」と言ってやっちゃうタイプ。
この天井画、入り口側から見ると、だんだんとうまくなっているのが判ります。
フレスコ画なのに、透明感あふれる出来栄えで、まさにミケランジェロが、ルネサンスの頂点を飾った、というべきでしょう。

ところが天井画が完成したら、レオ10世に呼ばれ、メディチ家の礼拝堂の絵画を頼まれる。
1527年に神聖ローマ帝国軍が、イタリア・ローマに侵攻。フィレンツェにはハプスブルク家が援助します。
そんな中、クレメンス7世から「祭壇画描いてくれへん?」と依頼が来たりします。

「最後の審判」を描いた時、ミケランジェロはもう66歳になっていました。
この中に「アトリビュート」として、聖バルトロマイが抜け殻を持っている図が描かれていますが、これ、ミケランジェロ自身の姿だとも言われています。へとへとになって「もう、あきまへん」といったところ(笑)。
パオリーナ礼拝堂の作品も、弟子が描いたんちゃう? と思わせる気の抜けたもの。
でもなんやかやで完成させるのが、ミケランジェロなんです。
サンピエトロ寺院のドームも、ミケランジェロの設計です。

彼は当時としては相当長生きで88歳まで生きてるんですが、兄弟にも弟子にも先に死なれてしまいました。
ミケランジェロは6歳の時に母を亡くしているので、「ピエタ」像に固執していた、とも言われています。
それにしても神のごとき仕事量です。

レオナルド、ミケランジェロについて面白いのは「パラゴーネ論争」。
要するに彫刻と絵はどっちがエラいか!?というものです。
レオナルドは「絵はなんでも描ける。でも彫刻だと作れないものがある」、ミケランジェロは「絵は紙の上でだけの表現。彫刻は実体もあって触れる」と主張していますね。


1時間半にわたる、ルネサンスの2大巨匠の人生の講義、大阪弁を交えて大変分かりやすくとても面白かったです。
どんどんいろんなエピソードが出てきて、ここに書ききれなかったりしたものもあります。また「パラゴーネ論争」など、あたらしく知る美術史の知識もあって勉強になりました。
山田五郎さんはYouTubeでも、美術の講義を発信しているので、こちらも面白そうです。
山田さん、実は梅田にやってくる際、新幹線の中にスマホを忘れてしまったとか。
「ああいう、ひとつのものにぜーんぶ、情報を集約させるというのも問題でんなあ。スマホは見つかったので、これから新大阪駅に取りに行きます!」と、あわただしく教室を出て行かれました。
(3月19日、梅田阪急ビルオフィスタワー17階)
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