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2026年01月03日21:24

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映画「プラハの春 〜不屈のラジオ報道」

1967年のチェコスロバキア。
トマーシュ(ヴォイチェフ・ボドホツキー)は、両親を亡くし、学生の弟パーヤ(オンドレイ・ストゥプカ)と二人暮らし。
トマーシュは「チェコスロバキア放送」というラジオ局の通信局で働く技術者だったが、上司の命令で報道部へ。
報道部は、部長のヴァイナー(スタニスラフ・マイエル)が社会主義下でも自由な報道を目指して奮闘していた。
上司は、学生運動をしているパーヤを見逃す代わりに、トマーシュを国家保安部に協力させ、ヴァイナーの監視をする心づもりだった。

しかし、トマーシュはヴェラ(タチアナ・パウホーフォヴァー)ら報道部スタッフの、真実を国民に伝えようとする熱意を目の当たりにし、心が動く。
折しも、チェコスロバキアは、言論の自由を求めて、民衆が動き出していた。
68年、ソ連に忠実なノボトニー大統領が退陣し、ドゥプチェクが第一書記に就任。
彼は「人間の顔をした社会主義」を掲げ、スヴォボダ大統領とともに、民衆の支持を得る。
「プラハの春」だった。

パーヤはひそかに、ドゥプチェクの大量に印刷されたポスターを自宅に隠し持つ。
トマーシュは弟を案じるが、パーヤも民主化運動に奔走していた。

しかし、ソ連は黙っていない。
このままではチェコスロバキアが西側陣営に組み込まれてしまう、と軍事侵攻を決め、ワルシャワ条約軍を8月にプラハへと進軍させる。

この非常事態に、ラジオ局は最後まで抵抗。
通信を妨害されるが、トマーシュや技術者たちは非常用の軍事通信施設があるのを思い出し、そこへと向かい、ラジオ局の電波を乗せようと奮闘。

プラハの街を蹂躙するワルシャワ条約軍に、市民はほぼ丸腰で抵抗し、また難を逃れるために、教会へ逃げ込んだ。そこで神父や信者たちはラジオに耳を傾けた。
トマーシュたちがつないだ電波がそこへ届き、皆固唾を飲んで、「市街戦」の様子を知るのだった。
ラジオ局にも被害が及び、市民らがラジオ局を守ろうとするが、軍隊はビルに侵入。スタッフたちはイタリア大使館へ逃げ込む。
世界に、この暴挙を知らせないといけない・・
そしてトマーシュも必死に、電波をつなぐ努力を続けていた。


「プラハの春」といえば思い出す映画は「存在の耐えられない軽さ」である。
あれを見た1988年は、「プラハの春」から20年目だったが、ふたたびそれが巡って来るとは思いもしなかった。ところが、翌年、ご存知のように「東欧革命」で、チェコスロバキアもフサーク政権が倒れ、民主化が実現。「ビロード革命」とも呼ばれた。

本作は、当時の史実をベースに、ラジオ局のスタッフたちの「プロパガンダでなく、真実を伝えたい」という思いをサスペンスフルに描く。
自分は、実のところ、この映画の結末を知っている。「プラハの春」が夏に敗れ去ったことを。
しかし、それでも、トマーシュもパーヤも無事でありますように、と祈るようにして見ずにはいられなかった。

ドゥプチェクが実写映像をまじえて登場した時、やはり胸が熱くなった。
彼が唱えていた「人間の顔をした社会主義」とは、本来形容矛盾でもある。
もともとは社会主義とは「人間らしく生きる」ことが理念なのではなかったか。
だからこそ、根本に立ちかえろうとしたのだけど。
彼はソ連に連行され、事実上の降伏文書に署名させられる。
しかし、ハンガリー事件のナジ・イムレのように処刑されないだけまだマシだったかもしれない。
政治の表舞台から去り、軟禁状態のような生活をその後21年送ることになる。
だからこそ、1989年に、プラハでふたたびドゥプチェクが大勢の市民の前に姿を現したニュース映像を見たときには、これこそ奇跡! と感動した。

しかし、今も、ロシアはウクライナに侵攻を続け、戦闘はおさまらない。
やはり映画の中のプラハがキーウに重なって見えると、やりきれない思いだった。
(12月30日、KBCシネマ)


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