『砂の女』 安部公房著
>砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに、人間存在の象徴的な姿を追求した書き下ろし長編。20数ヶ国語に翻訳された名作。
私でもその名を耳にしたことがある世界的名作。
二百項強という薄さも手伝い、遂に手に取った。
数々の激賞が否が応にも期待感を押し上げる。
そうして自身で上げに上げたハードルの下を、まさか屈んで潜ることになろうとは。
何だろうか、この溢れ出る不快感は。
悪意や暴力、嫉妬や嘘に対するものとは全く違うタイプの不快感、ゴミや排泄物に感じる生理的拒否・嫌悪それに近い。
触れたくない、近付きたくない、見たくないという単純な感情。
あまりに土着的な、どこまでも湿った空気感。
無機質で滅菌された平成の世で生きている身にとって、このむせ返るような生活臭は耐え難い。生々し過ぎる。
作中これでもかと描写されるいかにも前時代的な日本独特の因習が、西洋人の優越感を刺激し、欧米での高い評価に繋がっているのではという穿った見方さえ頭をかすめる。
過去、岩井志麻子作品では土着的描写に対し大いに好意的だったにもかかわらず、何故今作に限りこれ程迄の拒否反応が起こるのか。
とどのつまりは好き嫌い、結局のところ主観である。
私の感性と名作『砂の女』は合わない。ただそれだけの事。
小説に限らず、文化・芸術全般の評価というものは、作品そのもの内容より、如何に其の時々の権威ある批評家の趣味に適うか、平たく言えば「ツボにはまる」かなのではないだろうか。
今作より面白い作品、素晴らしい作品、真に評価されるべき作品は、世の中にいくらでもあるだろうに。
不快感と共に釈然としないわだかまりも募ってくる。
そもそも「それも貴方の主観だろう」と指摘されたならば、返す言葉も無いわけだが。
主人公の人称が統一されてない(男は・彼は)のも気になった。
何か文学的な意図でもあるのか、非常に読みづらい。
話も冗長なばかりで、感動も共感も皆無である。
結末はどうなるのかという一事のみで無理やり読書を継続したが、得られたものはあまりに生々しい描写による不快感のみであった。
純文学は早過ぎた
★★☆☆☆
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