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2023年03月21日21:18

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361冊目『太平洋の試練 レイテから終戦まで』

イアン・トール著 村上和久訳

『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』→194
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『太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで』→221
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に連なる、著者入魂の太平洋海戦史三部作も遂に今作にて完結。
第一弾から足掛け六年、奇しくも第二次世界大戦に並ぶ長大な読書期間となった。

1944年昭和19年6月、史上最大の空母決戦「マリアナ沖海戦」に於いて日本海軍は大敗。
これにより制海空権を失った絶対国防圏の要衝マリアナ諸島が陥落、日本全土が戦略爆撃機B-29の爆撃圏内に入った。
事実上ここに太平洋戦争の趨勢は決した。
しかし日本は、この後一年間も無謀な戦争を継続することになる。
本土空襲や原爆、民間人をも巻き込んだ沖縄戦、そしてソ連参戦と目を覆う惨禍がアメリカ人歴史家の視点から語られる。
私は太平洋戦争に関して基本的な知識を有しているので、これから何が起こるのかをほぼ完全に把握した上で今作を読み進めたわけだが、予想通り大変辛い読書となった。

著者のイアン・トール氏は、第二次世界大戦を扱う書籍が欧州戦線の陸戦に偏り過ぎていることが今作の執筆動機だったと述べているが、太平洋戦争はまさにその名が示す通り“海の戦い”であった。
海の戦いであるからには生身の兵士が相まみえることはなく、戦場を支配するのは軍艦や航空機ということになる。
そして太平洋戦争は、この海戦の主役が戦艦から航空機へ完全に移行した戦いでもあった。
概して言えば、太平洋で繰り広げられていた海戦は科学技術的により高度な段階に突入していたということである。
更に直截で身も蓋もない言い方をするならば、圧倒的物量と先進科学技術力の前には、日本海軍が最後に縋りついた精神主義などお話にならないということだ。
戦場で勝敗を分けるものは、最新鋭のレーダーや高性能の航空機であり、そしてそれらをいかに大量に投入出来るかであって、決して大和魂ではない。
著者に勝者側の驕りは微塵もなく、日本人に対する差別意識も皆無である。
今作で語られるのは、丹念に調べられた記録と客観的なデータから浮かび上がった厳然たる事実そのものである。
そこに日本人特有の死生観や、滅びの美学といった感傷的な要素が入り込む余地は全くない。
我々は八十年の時を経て再び、日本人の精神主義がアメリカ人の合理性の前に完膚なきまでに叩きのめされる様を追体験させられるのである。

「マリアナ沖海戦」で虎の子の機動部隊が壊滅した日本海軍に、最早まともな作戦計画は望めない。
連戦連敗、戦闘のたびに数倍の損害を出し惨敗。
何隻沈めた、何機墜としたと米軍の得意げな戦果報告の引用を読む度、まるでゲームやスポーツの様なその感覚に日本人読者としては虚無感が漂う。
敗戦がほぼ確定した以上、後は敗北を認めるしか道はないのだが、軍の面子がそれを許さない。
勝てないと解っていながら面子のためだけの虚しい戦闘は続く。
投入戦力、兵器の性能、戦術、情報収集分析力、戦闘を構成するあらゆる要素で劣ってる以上、頼れるのは将兵の敢闘精神のみ。
この考えが究極の形で先鋭化したものが特攻ということになる。

アメリカ人であるイアン・トール氏が特攻をどのように記述するかについては、今作における大きな注目ポイントであった。
あらゆる思いが絡み合う非常に繊細な事柄、日本人であってもその実態に迫るには困難を極める。
結論から言えば、イアン・トール氏は事実を淡々と記述している。
そこには良くも悪くも日本人が特攻に抱く複雑な感慨はない。
日本軍はパイロットと引き換えに戦闘機を誘導ミサイルに替えたと。
沖縄戦における戦艦大和決死の出撃も、海軍の面子を保つ為だけの作戦で数千名を無駄死にさせたと一刀両断である。

確かに特攻が米艦隊に甚大な損害を与えたことは紛れもない事実である。
しかし特攻の推進者である大西瀧治郎中将自ら「統率の外道」と自嘲したように、体当たり攻撃はパイロットの命を部品に変換してしまった狂気の発想に他ならない。
大西中将は終戦時、前途ある多数の若者を死に追いやった自分を責め、介錯を拒み割腹の末苦しみ抜いて亡くなった。
氏の血染めの遺書を靖国神社の遊就館で拝見したこともあるが、どうしても感傷的な思いが先に立ってしまう。
先程から精神主義と合理性を対比してきたが、まさに我々日本人が太平洋戦争を振り返るとき、頭で考えるよりも心で感じることが多いように思われる。
戦場で倒れた者を想い涙を流したその後には、やはり事実と真摯に向き合わねばなるまい。
二度と過ちを繰り返さないためには、その失敗を徹底的に分析することが必須である。

明治維新から対米開戦までの流れ、そして真珠湾から終戦まで。
如何にして国策を誤り無謀な戦争に突き進んだか、戦局を鑑みず合理性を無視した過度な精神主義がどれほど犠牲を拡大させたのかを、我々日本国民は今一度しっかりと噛み締め直さなければならない。
これは何も平和主義的な意味合いのみで言っているのではない。
今も日本に蔓延る安直な精神主義への逃避、客観的な事実やデータを、感情やその場の空気が吞み込んでしまう社会を憂いてのことである。
コロナ禍や原発、近年急速に緊迫度を増す安全保障の対応でも解る通り、日本は安全よりも安心、事実よりも感情が優先される社会ではなかろうか。
一億玉砕と憲法九条、その剛柔差は天地ほどの開きがありながら、目前の現実を直視せず自分たちだけの精神主義への逃げ込んでいることに変わりはない。
組織内のセクショナリズムと隠蔽体質、同調圧力の押し付けや人材の使い捨て、問題の先送りと事なかれ主義等、当時と現在の類似はいくらでも思い付く。
差し詰め特攻は、今ならばブラック企業での過労死といったところであろうか。

過去何作も第二次世界大戦を扱った書籍の感想文を書いてきた。
日本軍の敗因を考察すればするほど、現在日本が抱える諸問題が垣間見え、居ても立っても居られなくなり声高に叫んでしまう。
とは言え、毎回同じことばかりでは芸がないので、ここからは今作で印象的だった点について列挙していきたい。

先ずは、一人一人の兵士という戦争の最小単位に対する日米の接し方の大きな違いに触れる。
兵器の防弾装備は勿論、医療や衛生管理、負傷者の救助後送態勢、出撃の輪番制などのシステム面に至るまで、米軍のドクトリンには人命重視が貫かれているのは十分に既知であったが、まさか死後の尊厳をもこれ程までに留意されていたとは驚きであった。
曰く、戦地で簡易埋葬された兵士を遺族の依頼があればわざわざ掘り返して米本土に埋葬し直したという。
戦場で雑に埋められた死体の身元を特定し、掘り起こすという作業の困難さは想像に難くない。
それに引き換え、今も南海のジャングルで野晒しにされている数多の英霊たちは何を思うのか。
人的損害が世論に反映され、それがそのまま為政者にフィードバックされる民主主義国家では無謀な作戦指揮は許されない。
結局一人一人の兵士の命を守ることが負けないことに繋がり、それが最終的に勝利へと結実していく。
勿論これは、米国が持てる国だからこそ執り得た戦略であった。
日本は持たざる国であったが故に、その国力差を補うには精神主義に逃げ込むしかなかったのだ。
逆を言えば、圧倒的物量で押し寄せる米軍をあそこまで苦しめた日本軍の不屈の精神力には畏敬の念を抱かざるを得ない。
アメリカ人は認めたがらないだろうが、大日本帝国に止めを刺した最大の要因は偏に戦線に投入されたその圧倒的物量にある。
イアン・トール氏もそこを十分に理解しているからこそ、前作にも増して今作では局地的な米兵の英雄的行動を殊更に取り上げている節がある。
私は決して精神の力を否定するものではない。
しかし現実に存在する今そこにあるという物質の重み、即ちそれらを生み出し流通させることが出来る経済の力は、精神と同等のパワーを有していると言いたいのだ。
要はバランスである。
精神と物質、目に見えない世界と見える世界、理想と現実、未来と現在、どちらも等しく重要であるということ。
得られない物質の力から目を背け、ひたすら精神主義に逃避する。
悲しい哉、それが当時日本の国力の限界であった。

次に圧倒的物量繋がりで、B‐29の中国輸送作戦について。
マリアナ諸島が失陥する以前、中国から九州を爆撃する作戦が立案され、それに伴い中国にB‐29が輸送されるわけだがこの輸送方法が凄まじい。
米本土の工場から中国へ安全に輸送するため、戦闘地域の太平洋を避け東回りに地球を半周、エジプトからインドを経由し中国に入るという壮大さ。
これを読むにつけ、真に第二次“世界”大戦と呼べる戦争を戦っていたのは米国だけだと驚嘆した次第である。
そもそもB‐29単機でも、当時の日本からすれば異次元の高性能機である。
それを数千機運用しての全世界規模の輸送計画、まさに桁違いの国力、アメリカ合衆国という国家の底知れなさが窺い知れるエピソードであった。
余談ではあるがこの中国に展開されたB‐29は、日本陸軍の大陸打通作戦の成功により飛行場を占領され無力化される。
しかし先に述べた通り、マリアナ諸島の失陥によってこの貴重な勝利も虚しいものになってしまうのだが。

続いては、このB‐29の民間人をも巻き込む戦略爆撃に正当性を与えてしまったマニラ市街戦について語りたい。
恥ずかしながら、マニラ市街戦における日本軍の残虐行為についてほとんど無知であった。
日米両軍の市街戦に巻き込まれ、逃げ遅れた多数の一般市民が犠牲になったという浅い認識はあったが、まさか「マニラ大虐殺」と呼ばれ十万を超えるフィリピン人が虐殺されていたとは。
往々にして人間というものは、被害は記憶に刻んでいても、加害の認識はかくも浅はかなのである。
このことは歴史を学ぶにあたって、もう一度深く肝に銘じておかなければならない。
日本軍の蛮行は、戦略爆撃は軍事施設や工場に限定、居住区は標的にしないという米軍上層部の配慮を一蹴し、無差別爆撃に免罪符を与えてしまう(勿論無差別爆撃を実行するため、ある種のスケープゴートとしてより煽情的に報じられた側面はあるだろうが)。

今作においてイアン・トール氏は、徹頭徹尾史実に対して公平中立に向き合っている。
当然米軍の非人道的行為である無差別戦略爆撃についても、その筆は怯まない。
アメリカ人は原爆のキノコ雲を見て、終戦の象徴と捉えているらしい。
あのキノコ雲の下に現出した地獄については、全く思いが至っていないのである。
先述した私の「マニラ大虐殺」の様に。
故に、原爆投下直後の広島の凄まじい惨状描写はアメリカ人読者にとって相当衝撃的だったに違いない。
私は原爆投下に関してアメリカ人を恨んではいないし、謝罪して欲しいとも思わない。
只、事実を知って欲しいという思いだけである。
過去様々な恩讐があったとはいえ、現在日米・日比関係共に非常に良好である。
ここに我らが目指しうる一つの方向性が示されていると思うのだが、楽観的に過ぎるだろうか。
過去に囚われるあまり、現在を見失い、未来を閉じるようなことがあってはならない。

最後に改めて、一つの戦闘や海戦に限らず膨大なる太平洋戦争通史を完成させたイアン・トール氏に敬意を表したい。
大戦略を担う国家首脳の思惑、戦闘を指揮する将軍や提督の駆け引き、実際に血を流す兵士の苦悩、そして銃後の一般市民の戦時生活まで。
これら多種多様にして包括的な内容を、日米どちらにも偏ることなく公平中立に纏め上げたその手腕に賛辞を送りたい。
今後太平洋戦争について一通りの見識を得る際、今作が選択肢の一つとなることは間違いないだろう。
上に列挙の通り、太平洋戦争について一定の知識を有する者にも何かしら新しい発見が得られると思う。
列挙には漏れたが、「レイテ沖海戦」における栗田艦隊の謎の反転に関する著者の考察など、日本人歴史学者からは中々出てこない発想が随所に散見される。
また「第三四三海軍航空隊」の活躍など日本人読者への心憎いサービスもあり、思わず唸らされること請け合いである。
欲を言えば、「風船爆弾」にも触れて欲しかったところ。

戦後占領期の米兵と日本人の交流も大変興味深かった(勿論ここでも米兵の犯罪行為に触れることは忘れない、公平中立振りは健在)。
あの島嶼戦で体験した死ぬまで戦い続ける狂気じみた日本兵の姿は何処にもなく、拍子抜けするほど円滑な占領統治に驚く米兵。
かつて鬼畜と蔑んだ米兵が、実は陽気で気さくな若者たちだと知った日本人。
本来憎しみ合う必要がなかった人々の交流は、素直に微笑ましい。

敗れたとはいえ軍国主義から解放された日本国民。
焼け野原が広がる光景には、ある種の開き直った爽やかささえ感じさせる。
戦後日本は、安全保障という厄介ごとをアメリカに丸投げし、ひたすら経済成長にひた走り奇跡の復興を遂げた。
それに引き換えアメリカは、第二次世界大戦後も朝鮮、ベトナム、湾岸、イラク・・・と世界中で戦い続け、今また新たな敵に狙いを定めている。
あの時の勝者と敗者はこれから如何なる道を歩むのか、そしてそれらを後世の歴史家は何と綴るのであろうか。


ヤード・ポンド法表記は、翻訳時にメートル法へ変換していただきたかった
★★★☆☆
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