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2019年12月31日23:01

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猪木とビンス(635)最終章

98年4月4日、東京ドームでの猪木引退試合は70,000人の大観衆を集めました。引退試合の相手については日本プロレス時代決着のついていないドリー・ファンク・ジュニア戦をリクエストする声もありましたが猪木は過去の郷愁的な試合を望まず、8選手によるトーナメントにおいて決められました。 

3月22日の愛知県体育館と4月4日の当日に分けて行われたトーナメントではドン・フライが小川直也を破って引退試合の相手に。4分9秒、猪木がコブラツイストでフライを破り38年のレスラー生活に幕を閉じました。

引退後、猪木は10月にUFOを旗揚げ、また猪木事務所を起ち上げる一方で新日本プロレスのオーナーとして引退後も度々介入していきます。99年に坂口から藤波に社長が交代した時も、坂口、テレビ朝日から出向していた辻井博会長が猪木の新日本プロレスヘの現場介入を拒否したことによる強権発動で、傀儡人事と言われました。

また00年8月27日、西武ドームで行われたPRIDE10からは「総合格闘技の祖」としてPRIDEエグゼクティブ・プロデューサーに就任しています。

新日本プロレスは坂口社長体制になってから武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の「闘魂三銃士」を全面に打ち出すマッチメークでテレビ型からライブ型プロレスへビジネスモデルをシフト。91年にスタートした真夏の最強選出決定戦「G1CLIMAX」が興行的に大ヒット、隆盛を極めましたが、01年に橋本がゼロワンを旗揚げ、翌02年には武藤が全日本プロレスに移籍すると求心力が低下、また年3回行っていた東京ドーム興行が負担となりました。

猪木の方針もあって所属選手が総合格闘技の大会に出ては負ける事態が続き、プロレスラーの関節技の技術は総合格闘技では通じない、という風評が起きストロングスタイルを売りにしていた新日本プロレスは大きなダメージを受けました。

また、元新日本プロレスのレフェリーを務めていたミスター高橋が「流血の魔術、最強の演技」という暴露本を講談社より出版し、プロレスは全て嘘、ヤラセと仕組みを公開してしまった訳ですが、これによってダメージを受けたのは新日本プロレスだけでした。

そんな状態から新日本プロレスは暗黒時代に突入、新日本プロレスの社長も03年には藤波から猪木ルートで入ってきた経営コンサルタントの草間政一、04年には猪木の娘婿であるサイモン・ケリー・猪木に交代、サイモンは債務超過に陥った新日本プロレスがこれ以上単独で生き延びるのは困難と判断、大阪のゲーム会社「ユークス」に身売りをすることを猪木に提言。

猪木はタニマチである佐川清、佐川急便会長に個人的借金の担保として自身の新日本プロレスの51.5%の株式を預けていましたが、佐川会長からは「会社の運営は好きにやっていい」と委任状を預かってオーナーとして振る舞っていました。02年に佐川会長が亡くなると遺言で新日本プロレスの株式を無償にて返還してもらっていましたが、それを簿価にてユークスに譲渡、創業以来33年関わった新日本プロレスから身を引きました。

07年に猪木は新団体IGFを旗揚げ。6月29日両国国技館で旗揚げ戦を行い、ブロック・レスナーがカート・アングルに敗れました。前年新日本プロレスから「持ち逃げ」したとされる三代目IWGPヘビー級ベルトはレスナーからアングルの手に渡りましたが新日本プロレスに返還されたかどうかはわかりません。

外国人選手のブッカーはサイモンが務めていました。08年2月16日、有明コロシアムで行われた猪木の65歳のバースデーを祝った記念興行では、多くの選手、ゲストからビデオレターが寄せられましたが、最後にビジョンに登場したのはWWE会長のビンス・マクマホンでした。

「親愛なる友人、アントニオ、おめでとう」

サプライズ演出をしたのはサイモンでした。業務提携解消から22年4か月、絶縁状態だった猪木とビンスに接点が出来たのです。

10年2月、WWEは日本人として初の「ホールオブ・フェイム」(殿堂入り)に猪木を選出。3月27日、アリゾナ州フェニックスではセレモニーが行われ、かつてのライバル、スタン・ハンセンがコンダクターとして猪木を招き入れ、スピーチを行いました。

本連載は猪木のWWE殿堂入りを契機に足掛け10年に亘り連載をしてきました。ビンスが猪木を「ウチの親父を騙そうとした奴」と酷評していた時期もあり、79年11月30日、徳島市立体育館でボブ・バックランドを28分16秒、体固めで破りWWFヘビー級王座を獲得したことはビンスの手により「なかったこと」にされてしまいました。

ビンス発言の真意を探る為に始めた連載でしたか、最後にそれがわかったのでお伝えしておきます。

「猪木と新間はタダみたいなブッキング料でウチの親父から多くのレスラーを呼び、タイトルマッチを開催した」

つまりは猪木、新間とビンスの「相場観」の違い。これに尽きた訳でありました。
           (完)

「猪木とビンス」は今回で連載終了させて頂きます。9年9か月間の長きに亘りご覧頂きありがとうございました。
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