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2019年10月14日22:13

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猪木とビンス(556)最終章

79年国際プロレス「新春パイオニア・シリーズ」は1月5日、宮崎・高千穂町体育館で開幕。

同シリーズには元ラグビー日本代表から国際プロレスに入団した原進改め阿修羅・原が凱旋帰国。原は前78年6月26日、大阪府立体育会館で寺西勇と15分時間切れ引き分けでデビュー戦を終えた後、カナダのカルガリー、ニューブランズウィック地区で修行、「ファイティング・ハラ」のリングネームで活躍。

前年暮に帰国を果たしました。作家の野坂昭如が名付け親になり、リングネームを「阿修羅・原」に改名。横文字リングネームが主流のこの時代には斬新と言えますが当初は違和感がかなりありました。

開幕戦では原はカルガリーで対戦経験のあるキューバン・アサシン(1号、後に新日本プロレスに参加した選手とは別人)を破っています。

1月21日、後楽園ホールではグレート草津&アニマル浜口組の持つIWA世界タッグ王座に新日本プロレスの星野勘太郎&山本小鉄組のヤマハ・ブラザーズが挑戦。

1本目は15分23秒、浜口が山本をエアプレーン・スピンからのブロックバスター(サモアン・スープレックス)で体固め。2本目は7分46秒、山本が浜口をダイビング・ボディプレスから体固め。

決勝の3本目はヤマハの連携が冴え渡り、山本が浜口をペンデュラム・バックブリーカーで固定しておいてから、星野がコーナーポスト最上段からのフライング・ニードロップ。3分18秒、星野が浜口を体固め。2−1で星野&山本組のヤマハ・ブラザーズが勝利。1発でベルトが移動してしまいました。

星野&山本はプロレス界においても、草津&浜口よりも先輩に当たりますが、新日本プロレスでは中堅のポジション、山本はフロント業務多忙によりあまり試合には出ておらずセミリタイア状態。そのチームに国際プロレスの看板タイトルであるIWA世界タッグ王座を奪われてしまったのですから、国際プロレスのファンには衝撃的な出来事でした。

吉原は試合後「さすが、力道山に鍛えられたレスラーは違う」とヤマハの実力を認めています。

この日は寺西と新日本プロレスの永源遙がシングルで対戦、12分11秒、回転エビ固めで寺西がフォール勝ちを収めました。 

東京初試合となった原は、外国人エースであるアレックス・スミルノフとシングルマッチを行い、流血戦の末8分30秒、反則負け。スミルノフ相手にフォール負けしなかったのは会社側の期待が大きかったことを現しています.
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