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2019年05月20日23:33

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本郷恵子『院政』(講談社現代新書、2019年)を読む

 本郷恵子『院政』(講談社現代新書、2019年)を読む。平安時代後期から室町時代前期にかけての院政を中心に、上皇の成り立ちから制度までを読み解いた本である。冒頭は、古代(平安時代初期まで)の政治過程のなかで上皇がどのように誕生し、どういった役割を果たしてきたかの説明が続く。
 それが、摂関政治を経て、後三条天皇の登場あたりからぐっと情報量が濃くなる。中世のはじまりを、後三条天皇の親政に求める見方が一般的になっているけれど、それは土地制度の転換が根拠となっている。律令制から「職の体系」といわれる重層的な荘園公領制の起点であったからだ。

 院政とは直接的に関係しないかもしれないけれども、この土地制度についての説明が私の長年の疑問に答えるかたちになっていたのはありがたかった。というのも、中世は寄進地系荘園が増加したことで、荘園と国衙という二種類の領地をそれぞれ支配するかたちが生まれた。荘園は朝廷から田租の免除を受けた土地である。一方、国衙は朝廷に租税を支払う必要のある土地である。

 国衙領は一定で、そこに新たに開発された土地が荘園になっていくのかと思っていたのだけれど、どうやら事情は異なるらしい。すなわち、律令制においては国衙からあがってくる租税の一部を貴族や寺社の俸給にあてがっていた。その租税の徴収は、国司の責任とされた。しかし律令制の動揺によって、土地や人民の管理が行き届かなくなっていく。国司の負担は重く、租税がそろわない場合は借りてでも朝廷に納めなければならなかった。
 時代は下るものの、白河院政のとき、源義家が十年前の陸奥守時代に納めるべき官物をようやく完済したという事例がある。こうした義務を果たさなければ、昇進や栄転もままならなかったことを示すものといえる。

 話を戻すと、こうした場合、国司はどうやって責任を軽減したのか。それは俸給分に相当する田租を見込める土地を、国免荘といって国司の権限で貴族や寺社に譲渡したのである。要するに、国衙から荘園になる土地も多くあったことを示している。
 国免荘という歴史用語は、確かに荘園を学ぶ際の頻出ワードなのだけれど、どういう事情や背景のものかというイメージができていなかった。

 後三条天皇の親政において画期的だったのは、そうした国衙から荘園への移動なども含めた実態を、公文書にまとめていったことである。これこそ記録荘園券契所(記録所)であった。無論、これも頻出ワードである。

 ただ、後三条天皇の治世は長くなく、白河天皇に譲位したのち病没する。そして院政はこの白河の治世のなかで確立していくことになる。
 けれども、白河の政治基盤は当初、不安定であった。むしろその不安定さこそ、院政を作り上げる背景だったのかもしれない。次の鳥羽にも崇徳がいて、後白河も中継ぎで天皇になった。後鳥羽は即位に用いられる三種の神器のうち、宝剣を喪ったまま(壇ノ浦に沈んで失う)で天皇の資格を欠いたというコンプレックスに悩んだとされる。時代は下るけれども、後醍醐天皇もやはり中継ぎでの即位だった。

 そのため、白河は生まれた子供や孫たちのうち、皇太子に指名する以外も、有力寺社に入れたり、内親王にも准母などの役割を持たせて、天皇家における家長父権を強化した。また、院庁において実務官僚を側近として重用して、先例にとらわれない、専制的な権限を行使するようになった。院に集中する富は、寺社の建立などに使われていく。

 続く鳥羽も帝王として振舞っていく一方、摂関家は内紛が続き、朝廷は動揺をしはじめる。そして後白河の治世において内紛は内乱となった。このとき、後白河も貴族たちも安易に武力を用いたがゆえに、武家の台頭を招いた。
 平氏は、国司(受領)として地域を統治していた経験を拡大させ、それを全国に広げるかたちで政権を確立させた。武家政権は、院政のなかで成長し、平氏政権を経て鎌倉幕府の成立に至る。院政と武家政権は、中世社会において背中合わせの存在だったといえる。

 ただ、院政と武家政権は同時に対称的な存在でもあった。院政は専制的な面がある一方で、僧兵たちの強訴や貴族たちの中傷にもある程度、寛容なところがあった。僧兵が邪魔だからと武力弾圧に踏み切ることはせず、政敵を暗殺するようなこともない。
 逆に武家政権は徹底した弾圧、政敵を滅ぼすことも躊躇しない。このあたりのシビアさに、院は鈍感であった。後白河はもちろん、後鳥羽もまた、それによって武家政権に煮え湯を飲まされることになる。

 鎌倉時代前期に起きた承久の乱を機に、院と朝廷は幕府に依存した関係になり、両統迭立によってそれはさらに助長される。かつては女院が莫大な遺産を相続し、朝廷に強い影響力を持っていたけれども、それも失われていく。
 室町時代は、将軍家が朝廷内にも直接関与するようになり、その結果、将軍権力が衰えると、院や朝廷も自前では生きられなくなっていった。

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 単なる政治過程としての上皇という本であれば、ほかでも読めるけれども、そこに土地制度や院政の特徴、そしてそれらが中世社会にどう影響を与えることになったのかということに視野を向けているのは、さすが本郷先生というところだろう。

 天皇制から院政が生まれる、制度的な柔軟さ、それはある意味で適当さ、いい加減さによって武家の台頭を招くことにもつながっていったわけだけれども、その特質をこの本はうまく描いている。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000322699
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