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2019年02月16日18:56

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乱世と「平等」

 室町時代後期、有力守護や守護代たちが戦国大名へと脱皮を図るなかで、無視できない存在となっていたのが、日蓮宗や浄土真宗の門徒集団であった。日蓮宗の門徒で主体となったのは、京の町衆であった。彼らは土倉や酒屋を営み、自治を行っていた。一方、浄土真宗の門徒は地域の国人たちが主体で、彼らもまた村落の自治を担っていた。
 彼らは、寺社の本山に従ってはいたものの、常に統制がとれていたわけではない。たとえば、自らが治める地域に外部から侵略を受けるおそれがある場合などは、本山の制止を振り切って行動することもしばしばあった。宗派のために、自らを犠牲にするといったような分かりやすい構図は存在しない。

 しかしそれならば、なぜ門徒集団が形成され、力を持ったのかがうまく説明できなくなる。

 日蓮宗や浄土真宗の門徒が増大したのは、応仁の乱前後のことだと言われている。日蓮宗の場合は、町衆が戦乱で荒廃した京を復興するにあたり、結びつくようになった。浄土真宗は蓮如が各地を訪れるなかで、門徒が爆発的に増えていった。これも集落の再編と無関係ではないだろう。

 相次ぐ戦乱、秩序の崩壊のなかで、門徒同士が「平等」に読経し、祈る。こうした信仰の「場」こそ、復興や秩序の再編にとって、不可欠の要素だったのではないか。だからこそ、門徒は爆発的に増え、一方で単純な本山と門徒の上意下達的組織にならなかったとも考えられる。

 「平等」というのは、もともと仏教用語である。身分制社会が長く続き、それが崩壊するなかで拠りどころとなったのが、仏の前での「平等」という価値観だったのではないだろうか。
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