85年12月12日IWGPタッグ・リーグ戦優勝決定戦、仙台・宮城県スポーツセンター大会(テレビ収録、観衆5,420人満員発表)の試合開始前に事件が起きました。
リーグ戦1位でこの日の優勝決定戦に出場する予定であったブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカが試合をボイコットして新幹線を使って東京に戻り、会場に姿を現さず。
ブロディ、スヌーカ組の突然の試合ボイコットで優勝決定戦は2位同士の猪木、坂口組と藤波、木村健吾組が繰り上がりで争われることとなりました。
試合は31分53秒、藤波がドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で師匠猪木から初の3カウントをも奪い藤波、木村健組が優勝。
「やられた」という猪木の苦笑いが印象に残りました。藤波と木村健は勝利者インタビューで「やった〜!」と叫び、勝利の味を噛みしめていました。
ブロディ、スヌーカの試合ボイコットには諸説ありますが、ブロディは「飛行機代を立替えたのに新日本プロレスが払ってくれなかった」と後にコメントしていますが、交通費を支払わないのはいくら新日本プロレスが外国人に対して厳しい会社であれ、それはないと思います。
通説となっているのはマッチメークをブロディが飲まなかったというもの。
ブロディは、自分たちが優勝し、史上初の81年全日本プロレス、世界最強タッグ決定リーグ戦に続き、全日本、新日本のタッグ・リーグ戦両方優勝を主張。
新日本プロレス側は大量離脱後も残って新日本を支えて来た木村健を猪木、坂口、藤波とのビッグ4としてランクアップ致したく、この年5月24日、神戸ワールド記念ホールにて新設されたWWFインターナショナル・タッグ王座のベルトを巻かせましたが、WWFとの業務提携打ち切りでベルトを返上せざるを得なくなりました。
そこで藤波、木村健組を優勝させようと考えました。
前日11日、福生での坂口vsブロディでの坂口の足の負傷はその為の「仕込み」であり、猪木、坂口組と藤波、木村健組では坂口が「痛み止め」を打って試合出場も負傷箇所を攻撃されてレフェリーストップかリングアウトで負け、藤波、木村健組が優勝決定戦でブロディ、スヌーカ組と対戦。
優勝決定戦では恐らく、丸め込みによるクイックで取るのが藤波、取られるのがスヌーカだったかと思いますが、これをブロディは拒絶。
通常、会社が売り出したく、オーバーさせる方針に逆らうことは稀ですが、ブロディはジュニア・ヘビー級上がりの藤波、木村健はあまり認めておらず、協力は出来ない、ということではなかったかと考えます。
猪木が藤波からのフォール負けを飲んだのも、ブロディ、スヌーカのボイコットの印象を薄め、話題性でこれを打ち消す為のものと言われています。
この日東京では全日本プロレスが日本武道館で世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦を開催していました。
「ブロディ、スヌーカ消える」の報は馬場の知るところとなり、マスコミ関係者は東京に戻ったブロディ、スヌーカが武道館に現れるのではないか!?などという情報が錯綜したところから馬場は「絶対に中に入れるな」という指示を若手に出していたそうです。
新日本プロレスは3月にブロディを獲得し、復調の兆しを掴んだかと思われましたが、僅か8か月で裏切られてしまいました。
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