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2021年02月26日22:31

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ありがとう!横浜文化体育館(115)

横浜文化体育館のブログの最終章をかざるのは横浜を拠点として活動しており、横浜市都筑区に本社と道場を構える大日本プロレスです。大日本プロレスは95年3月16日、横浜文体で旗揚げ興行を行っており、20年8月30日、最後の横浜文体でのプロレス興行を締め括ったのも大日本プロレスでした。

90年にメガネスーパーが経営母体となって設立されたSWSは週刊プロレスによる強烈なバッシングもありましたが天龍源一郎、ザ・グレート・カブキ、石川敬士(隆士、孝志)、阿修羅・原らのレボリューション、ジョージ高野、高野俊二(拳磁)らのパライストラ、ケンドー・ナガサキ、谷津嘉章、ショーグン・KYワカマツらの道場・激の3つの部屋のリレーションがうまく取れず、僅か2年後の92年6月19日、長崎国際体育館大会を最後に解散。

後継団体として天龍のWAR、ナガサキのNOWに分裂、さらにそのどちらにも所属しなかったメンバーと一旦はNOWに合流したものの、92年8月9日、後楽園ホールでのプレ旗揚げ戦の前に離脱した高野兄弟達のグループがPWCを旗揚げ(93年2月13日、東海市民体育館で旗揚げ)の3つが誕生しています。

メガネスーパーはWARとNOWには最初の1年間は運転資金を支援、新日本プロレスとの対抗戦に活路を見出したWARは何とか残っていましたが大きな話題性に欠けたNOWは94年に活動休止。

大日本プロレスは旧NOWメンバーが中心となり、88年7月に全日本プロレスで引退し、WARの営業マン、パチンコ店、飲食業をやっていたグレート小鹿(小鹿信也)が代表取締役となり設立され、NOW末期には社長をやっていた登坂栄児(現代表)が統括部長として実務面を取り仕切ることになりました。

旗揚げメンバーは所属選手はNOWからナガサキ、谷口裕一、山川征二(竜司)、元UWFだったブルーザー岡本、生え抜き練習生の小林洋輔(アブドーラ)のみ。後はIWAジャパン、SPWF、東京プロレス等から選手を借り受けて旗揚げ戦開催にこぎつけました。

大日本プロレス旗揚げ興行「95旗上げシリーズ 激闘」開幕戦、3月16日、横浜文体大会は観衆3,550人(満員)発表。社長となった小鹿が挨拶、当時はコワモテ系でサングラスにパンチパーマ風ヘアスタイルでした。

メインイベントはバラ線パーフェクトフォールデスマッチ、ナガサキ&中牧昭二(IWAジャパン)組とロン・パワー&アイスマン(リッキー・サンタナ)組が対戦、「バラ線」とは有刺鉄線のことで、FMWとの差別化を図る為に「バラ線」という言葉を使いました。試合は9分50秒、ナガサキがドリルアホール・パイルドライバーからの体固めでアイスマンを降して旗揚げ戦を白星で飾っています。

セミファイナルは谷津(SPWF)とクリプト・キーパーのシングルマッチ。7分5秒に川畑輝鎮、三宅稜、ダンク・タニの3人が乱入して谷津に攻撃を加え、谷津の反則勝ち。

石川孝志(東京プロレス)とハンソンのシングルマッチは僅か1分59秒に石川がスモーピオン・デスロック(サソリ固め)でギブアップ勝ち。外国人同士のトニー・ノーリスvsマイク・デービスは4分25秒にノーリスがタイガードライバーからの体固め。

高木功(SPWF)とダンク・タニ(東京プロレス)という初代・嵐(タニ)vs2代目・嵐(高木)という非常に興味深い対戦が実現しており、9分27秒に両者リングアウトの引き分けに終わりました。高木は後にWAR参戦時に嵐を名乗り、タニは本名・小谷一実。WARで相撲軍団・覆面力士の嵐でデビューし石川の東京プロレス移籍と共に素顔になりダンク・タニを名乗り大黒坊弁慶としてIWAジャパンを経て大日本プロレスに入団しています。

岡野隆志(ジ・ウィンガー)と田尻義博(後のTAJIRI)のIWAジャパン同士のシングル戦は12分53秒、ジャーマン・スープレックスホールドで岡野の勝利。田上泰助(IWAジャパン)&山川組vs韓国のナム・デジュン&キム・ソンポ組は14分39秒、ナムが山川をブロックバスターからの体固めに決めて韓国組に凱歌が上がりました。

第1試合、谷口と川畑(東京プロレス)のシングルマッチは7分31秒、川畑がセントーンからの片エビ固めで勝利し、キャリアの差を見せつけています。

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