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2019年12月21日13:03

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映画『真実』 / 是枝裕和

12/19、シネマe〜ra浜松で是枝裕和の『真実』を観る。

『真実』とは、フランスの大女優ファビエンヌが書いた自叙伝のタイトルである。(ファビエンヌを演ずるのは、カトリーヌ・ドヌーヴ。)
出版記念の祝いのために主人,子供とアメリカから帰ってきた娘リュミールは、それを読んで、嘘ばっかり書いてあると責める。(リュミールを演ずるのはジュリエット・ビノシュ。)

元々、女優が書いた自叙伝に本当の事が書かれている訳もない。
俳優とは、非現実、つまり嘘にリアリティを与える事を生業としている者達だ。
ここで是枝は、女優ドヌーヴのイメージをそのまま活用している。
観客は、時々ファビエンヌとドヌーヴの見分けがつかなくなる。

それはともかく、娘は女優である前に親であって欲しいと思うものだ。だが、女優である事を優先した親から受けた仕打ちで、娘は心中に疵を負って生きてきた。
リュミールは、ここも違う、あそこも違うとあげつらう。元夫は生きているにも関わらず死んだ事になっているし、ライバル女優でリュミールにとって母代わりでもあった親友サラについてはひと言も語っていない。彼女が死んだのはいつだったろうか。
女優と人間としてのファビエンヌの一切を面倒みてきた秘書リュックについても、『真実』は1行も触れていない。

ファビエンヌは言う、「事実なんて退屈だわ」。
リュミールは言う、「うしろめたいんだ」。

リュミールも幼い頃は女優になりたいと思っていた。が、今は脚本を書く仕事をしている。言ってみれば、女優になる事を諦めたのがリュミールである。
母と娘はこれ程違う。
しかし、傷つけ合うために帰ってきた訳ではない。
傷つけ合う事しか残されていないならば、わざわざアメリカから家族迄連れて帰ってきたりしない。

ファビエンヌはフランス語しかできない。
リュミールはフランス語と英語が堪能。
リュミールの夫で売れない俳優のハンクは英語しかできない。
娘のシャルロットは、会話ならどちらもできるようだ。
ファビエンヌとリュミールの微妙で影のある会話はハンクには分からないかと思うと、そうでもない。
疎通は言葉ばかりでない。
気の好いハンクは、心に弱さも持っているが、人を理解する事に長けているのかもしれない。ファビエンヌと2人だけで遅く迄呑む夜もある。
リュミールは、ハンクは一体分かっているのだろうかと思う。

こうした理解を阻む関係は、映画製作の場にも持ち込まれている。
どだい、是枝裕和は日本語しかできない。謂わばハンクのようなものである。
是枝は、敢えて、ここに飛び込んだのである。
家族にとって真実とは何だろうか、家族とは一体何だろうか。
是枝は、このテーマをずっと考えてきた。
前作『万引家族』も同様だった。血がつながっていれば、それだけで家族になれる訳ではない。

このテーマは、劇中劇(映画中映画)にもこだまのように響いている。
ファビエンヌが今回出演するのは、SF映画である。
是枝は、それもいい加減にただ都合よく作っていない。
原作は、ケン・リュウ(1976/中国)による短編小説『母の記憶』(2017)である。
ファビエンヌは冒頭、記者のインタビューに答え、「たいした映画じゃないわよ」と言い切っていた。
映画の中で、ファビエンヌの役は80歳になる。
その母マノンが宇宙から7年振りに帰ってくる。マノン役の女優は、映画界において名優サラの再来と言われている。
母の病は当時の医学では何ともならず、彼女は宇宙へ移住する事とした。宇宙では歳を取らない。いつ迄も若い母と、地球で80歳になった娘。見た目では全く逆転している。
老いた娘ファビエンヌは若く美しい母に言う、7年毎に僅かな時間だけ自分の都合で帰ってくる、何て勝手なの、と。その間に、地球にいる私だけ歳を取っていく。

ファビエンヌはなかなか役に入り込めず、困惑している。
それをセットの端から見ているリュミール。
この構図は、詩的で秀抜である。
ファビエンヌは映画の中でうら若い母の娘になる事ができない、彼女とどう接し、どう非難すればいいのか。
アメリカから帰ってきた娘に勝手だと非難されているのは私だ。そして、娘を通して非難しているのは親友サラかもしれない。
濃い化粧を施した女優の顔の陰に隠し、表立って言う訳ではないが、役の娘になれないのは、母になった事もなかったからではないか。

母の困惑は、シーンを遠くから見ていたリュミールに少しく沁み込んだ。

ファビエンヌの許を去った秘書リュックとの人間関係の修復のために、リュミールはシナリオを書いた。
ファビエンヌには実生活でも台本が必要なのだ。
しかし、いつの間にか台詞はリュミールの本を離れ、ファビエンヌの血の通った言葉となり、2人は和解する。
天性の俳優と言うべきか。

映画中映画の製作が終わり、ファビエンヌは家にマノンを招く。
ファビエンヌはパーティの終わりに近づいて、ある服をマノンに差し出す。
それは普段のサラが着ていた服だった。着てみるように促すと、それはマノンにこの上なくフィットした。
センシティヴな親子役を果たしたマノンは、去りがたく、しかし、この服をまとい、皆に送られて帰っていった。

ファビエンヌとリュミールはその夜久し振りで抱き合った。
書かれた言葉によらず心の通じ合う思いで、疵は癒され、リュミールの目からは涙がこぼれた。
ファビエンヌは突然言う、もう一度あのシーンをやりなおしたい、今ならできるわ、リュック、監督にすぐ電話して!
ファビエンヌの顔はいつもの大女優の顔になっていた。

苦笑いもこみ上げるラストだが、家族の復活である。
真実は多様でひとつではない。違いと不理解に神経質になる事もあるが、大らかに受け流せる事もある。信じられれば何とかなる。
日によっては会話をやめ、ただ踊ればよい。


監督・脚本・編集 是枝裕和
撮影 エリック・ゴーティエ
衣装 パスカリーヌ・シャヴァンヌ
美術 リトン・デュピール=クレモン
音楽 アレクセイ・アイギ
劇中劇原作 ケン・リュウ

出演 カトリーヌ・ドヌーヴ,ジュリエット・ビノシュ,イーサン・ホーク,リュディヴィーヌ・サニエ,クレモンティーヌ・グルニエ,マノン・クラヴェル 他

2019年/日仏合作
原題 La Vérité(真実)
 
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