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2018年11月30日20:33

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文芸大聴講[保存と修復]〜第9回 《モナリザ》

11/29(木)、静岡文化芸術大学の授業[保存と修復]の聴講第9回目。
今回のテーマは、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の《モナリザ》(1503-19頃)。

講師 杉山知太郎

《モナリザ》が約500年の間どう保存されてきたか、について学ぶ。

まず、一般知識の確認。
(これについては諸説があるが、美術史の授業ではないので、杉山は簡略・単純化して話している。)

◆「ルネサンス」
日本語訳「復興」。前(の状態)に戻す事。
ヨーロッパにとって「前」=古代ギリシア・ローマ。

古代ギリシア・ローマの時代と「ルネサンス」の間に横たわる時代=中世。
中世=「暗黒時代」とも呼ばれる。
文化的停滞、経済的停滞の時代。

その原因=キリスト教。
個性の発露はいけない事。異端。
清貧の暮らしを理想とする。

紀元前を表わす「BC」=before Christ。
キリスト教発生を起源0年とし、それ以前と以後、という考え方。

ルネサンスを招来したもの=十字軍(1096~)。
オスマン・トルコに征服されていたキリスト教の聖地エルサレムを奪還しようという動き。
十字軍遠征の兵士や関係者はイタリアへ結集。イタリアから海路トルコ〜エルサレムを目指した。
イタリアの特に海運都市(ヴェネツィア,ジェノヴァ,ピサetc.)に各国の人々が集結、戦争のための事業(船舶,武器,衣食)に莫大な資金投下が興った。

結果、海運諸都市の繁栄。資金力を持った一族の発生。
ex.フィレンツェ=メディチ家。金融,医薬品,毛織物等で財を成し、政治的力を持つに至る。
資金の芸術への投下=古代ギリシア・ローマの美術品収集。パトロンとして、新しい芸術家支援。

ルネサンスの時代分類
・初期ルネサンス
・盛期ルネサンス
・マニエリスム

古代ギリシア文化との類似傾向。
・初期≒ギリシア建築ドーリア式。簡素、重厚、荘重。
・盛期≒イオニア式。バランス、優美。
・マニエリスム≒華麗、複雑化、装飾過多。

代表的芸術家
・初期=ジョット,マサッチョ
・盛期=レオナルド・ダ・ヴィンチ,ミケランジェロ,ラファエロ
・マニエリスム=ティントレット,パルミジャニーノ,ブロンズィーノ

◆レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の《モナリザ》(1503-19頃)。

現在はルーヴル美術館所蔵。
フランスのフランソワ1世(1494-1547)は、イタリアのルネサンス文化を自国に取り込むための一策として、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘。
レオナルドは、フランソワ1世に看取られて死ぬ。
レオナルド没後、フランソワ1世は愛する絵画《モナリザ》を浴室に架けていた。
《モナリザ》表面の細かい亀裂やヒビは、この湿度の過大な変化のせいで起こったと言われる。

《モナリザ》の材料=板絵。板はポプラ材使用。
当時北方はオーク材、南方はポプラ材を使う事が多かった。
木材による問題は別途。

その後も盗難に遭う等、保存という面では、悪しき経歴を歩む事になる。

レオナルドの作品は、他にも痛みの激しいものがある。
それは、彼の新技法を開発しようとする姿勢にも原因がある。彼は誰もやっていない手法を試そうとした。技法として固まっていない方法を採るのはリストがある。

ex.1 ミラノのサンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院の食堂にある《最後の晩餐》(1495-98)。
壁画にはフレスコ画の技法を用いるのが一般的だった。この技法は、壁に漆喰を塗り、それが乾き切る前に顔料を載せて壁自体をその色にする。これによって描かれた壁画は永く保存されてきた。
が、使用できる色数に制約があり、また、漆喰を塗ってから乾く迄の時間(8時間程度)内に絵を仕上げなければならない。
レオナルドは、時間をかけて重ね塗りや描き直しをして描きたいという本音から、完全に乾いた壁の上にテンペラ画の技法でこの絵を描いた。
しかし、テンペラ画や油絵は温度や湿度の変化に弱い特性を持つ。
レオナルドの実験的な手法は、激しい損傷を受ける事となった。
レオナルド存命中の1510年頃には既に顔料剥離が進んでいたとの記録がある。

壁画の場所が食堂であった事も災いした。
また17世紀末、ナポレオンの時代には馬小屋として使用された。第2次大戦下にはアメリカ軍のミラノ空爆で建物の屋根が半壊する等もした。

ex.2 フィレンツェ政庁舎(ヴェッキオ宮殿)の大会議室(500人大広間)に描き始められた《アンギアーリの戦い》(1504頃)。
フィレンツェ共和国は、この大広間の向かい合う壁に、レオナルドとミケランジェロに壁画制作を依頼した。
レオナルドは、《最後の晩餐》の失敗から、フレスコ画でもテンペラ画でもなく油絵でこれを描こうと、実験的手法を試みた。
しかし下塗り(ろう?)に油絵具がなじまず、表面から流れ落ちてしまった。
レオナルドはこの壁画制作を諦める事となった。

一方のミケランジェロは《カッシーナの戦い》の下描きを始めたが、1505年、ローマ教皇ユリウス2世にローマへ呼び出され、中断したまま終わってしまう。

《モナリザ》の問題は次週に続く。
 
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