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2015年11月26日22:47

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現代劇『イタリアンレストラン』/梅若猶彦

11/22(日)、静岡文化芸術大学の講堂で総合タイトルを「MASK」としたSUAC×SPAC連携シンポジウムが行われた。
今更言う迄もないが、SUACは静岡文化芸術大学の略、SPACは静岡舞台芸術(パフォーミングアート)センターの略である。
この連携事業としては、昨年10月に、同じ場所で、三島由紀夫の「近代能楽集」から『綾の鼓』を上演した。演出はSPACの宮城聰だった。
参)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1933323539&owner_id=3341406

今回の概要は以下の通りである。
入場は無料。

第1部は、現代劇『イタリアンレストラン』
第2部は、シンポジウム「伝統文化と現代芸術〜仮面を手掛かりに」

『イタリアンレストラン』は、能のシテ役者であり文芸大の教授でもある梅若猶彦の作・演出である。
わざわざ「現代劇」と付けているのは、能のシテによる作・演出というと、能作品かと間違う人もいるかもしれないという配慮からだろう。

『イタリアンレストラン』は、2005年に本学講堂で初演(?)されてから、フィリピン,トルコ,イタリア他国内各地で演じられ、高評価を得てきた。10年振りの初演地帰りである。
今回は、SPAC俳優の三島景太が主演を演じた。
他の役は文芸大の学生が演じた。

物語;
大文字マリコという名の能楽師、名は女性のようだが男である。
大文字は能楽の様式に心身とも呑み込まれ、生と死の境界に生きている。
能では、一般的にシテは既に死んだ者で、この世に残した何らかがある為、亡霊となって現れる。ワキは僧等の役が多く、亡霊の思いを聴いてやり、弔って彼をあの世に送る。
大文字は、常に能面(般若)を被っている。そして、もう何年も、不眠生活を送っており、食も水も摂らないで生きている。つまり、生と死の境界に生きているのである。

大文字はある日、長野県野尻湖畔の超高級イタリアンレストラン「ベリビーヨストラスブルク」に行く。
女主も客も風変わりな人物ばかり。
大文字はそこでひっそりともの静かな女性と出会い、一緒に食事をする。
食事をすると言っても、大文字は、面を被っているから、実際はステーキをナイフで切って口迄運んでも食べる事はできない、ワインも飲む事はできない。
しかし、不思議に気が合い、映画を観る等、彼女とデートを重ねるようになり、遂に肉体関係も結ぶ。その最中も、大文字は面を被ったままである。

ある日も同じレストランで遅い時間に食事を楽しんでいるうちに、彼女はトイレに立ったまま、いくら待っても帰ってこない。
奇妙に思った大文字は、店の女主に訊く。すると、あなたはいつも1人でここに来ていて、同伴者などいた事はない、との返事が返ってくる。
彼女と昔アパートで同居していた女性の許に、警察が訪ねて来て、行方不明だった同居女性の焼死体が発見されたというエピソードが挟まれる。

大文字は、一緒にいた女性はどうしたのか、彼女は何だったのか、困惑する。
最後に大文字は赤いワインを実際に呑む。すると、それはまるで血のように喉元を流れ、厳粛な音楽の中、彼は意識を失い倒れる。

大文字の死は、何故か幸福に満ちているように見えた。
生死定まらぬ境界の上に生きてきたが、やっと死という安定した涯に落ち着く事ができたのである。彼は能シテ役者を生き、そしてそのシテの役柄通りに死んだのである。


第2部のシンポジウムは、立入正之准教授を司会進行にして、副学長の高田和文(専門分野はイタリア演劇)と、SPAC芸術監督の宮城聰のフリートークで始まり、途中から、第1部で主演をした三島景太がジョインした。
総合タイトルの通りトークは”Mask・仮面”をキーにして。

最初に高田が古代ギリシアからの仮面史を、画面に実例を映写しながら説明。コンメディア・デッラルテの例、能の例も紹介。
古代ギリシア劇の仮面は頭と顔全体を覆う形状。古代ギリシアには勿論PA等なかったが、あの古代劇場の形体が、谷底の人声をよく拾って、巨大な客席の隅迄音を届けた。劇場の構造も機能したが、フルの仮面が一種メガホンのような役割を果たしたという説もある。
当時プロの俳優は数が少なかった。仮面がそれを補って、いろんな役柄を可能とした、若者も老人も。
民主主義の生地のように言われるが、女性はギリシアでは市民権を持たず、劇場に入る事も許されなかった。
仮面を被る事で、俳優は男役も女役もできた。
呪術的な側面がよく言われるが、仮面は実用道具としても大変便利なものであったのである。

コンメディア・デッラルテはアルレッキーノ他様々なお定まりのストックキャラクターがいて、仮面は役それぞれに違う。
しかし、どれも眼と鼻のみを覆うハーフ形状で、口は出ている。役者はしゃべり易い。
眼の部分は大きく穴が開けられていて案外よく見える。
材質は皮で、使っているうちに大変に馴染んでくるそうだ。

能の面は、後頭部は覆わないが、前は頭から顎迄カバーする。材質は木であるから、各自違う顔の形にぴったりとはしない。瞳の穴は7〜8mm四方くらいしかなく、大変見にくいものだ。
能役者の摺り足は、舞台がよく見えない中で安全に動き回る為の必須の手段だった。
能面も役柄で面が決まっている。が、実用性だけでは説明できないところがある。額の瘤、般若等、悪相の面で時折りある。何の役にも立たないしろものだが、どうやらその瘤は角の名残りらしい。
能の面はあの世とこの世の間を繋ぐものでもあるのだ。

三島景太は今回の抜擢を受けて、演出の梅若猶彦に面の歴史や意味について簡単に教えてもらったそうだ。
面を被ると、自分の身体に何か別のものが下りてくるような感覚がある事に驚きがあった由。
さて、練習が進むと、梅若に言われて、面の内側の支えを取る事となった。
それ迄は支えが面と顔の間にあったのだが、支えを取り払うと、頬や額にペタッと貼り付く感があって、演じているうちに、面が取れなくなりそうな怖ろしさを感じるようになった、と。
また、自分が演じた大文字マリコと女性との恋愛において、女性は面を付けている能役者本人でなく、面そのものを愛しているのではないか、と思い悩むようになる。自分が認識している自分と人が見ている自分は違うのではないか。(これは、実は、仮面を着けていようがいまいが、誰も人生の途上で幾度も苦悩する、世界普遍的な哲学的テーマでもある筈だ。)
面が取れなくなるとは、つまり別人格に自分が呑み込まれてしまうという事である。『イタリアンレストラン』の能役者大文字マリコは、そんな状況の中で、境界を生きる定めを負う事になった役柄だと言えるだろう。能役者梅若猶彦だからこそ書ける作品だ。

写真は、11/24の中日新聞朝刊記事である。
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