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2009年12月16日23:45

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パリ・オペラ座 バレエ『ラ・バヤデール』

図書館から借りたビデオで、バレエ『ラ・バヤデール』を観る。
作曲はルドウィク・ミンクス(1826-1917)、バレエの振付・演出は、あのルドルフ・ヌレエフ。
1994年、パリ・オペラ座ガルニエ宮での公演をライブ収録したもの。

映画としての監督 アレクサンドル・タルタ

指揮 ミシェル・ケヴァル
演奏 コロンヌ管弦楽団
出演
ニキヤ イザベル・ゲラン
ソロール ローラン・イレール
ガムザッティ エリザペート・ブラテル
高僧 フランシス・マロヴィク
王ラジャ ジャン=マリ・ディディエール

前の3者は何れも、パリ・オペラ座のエトワールの位にいた事があるダンサーである。

パリ・オペラ座バレエは、世界で最も古いバレエ団である。
『パリ・オペラ座のすべて』という映画(監督フレデリック・ワイズマン)が公開されている。もっとも、当地での上映は来年2月下旬から。
同バレエについては、前々から興味があったので、勉強のいい機会と思っている。
1661年、フランス太陽王と呼ばれたルイ14世の御代、同団は、まず王立舞踊アカデミーとしてスタートした。
ルイ14世はバレエに執心で、自ら出演さえした。その役がアポロンつまり太陽神だった為、太陽王と綽名された訳だ。
彼の引退した1670年、バレエの場は宮廷から劇場へ移った。オペラ座は翌1671年に創設された。

フランスのグランド・オペラというと、必ず長大なバレエ部分が挟まれるのが好例だが、これもルイ14世からのバレエ重視の歴史の影響である。
著名なオペラでも、原典版とフランス版を持っているものが多々ある。イタリア人がイタリアで作曲した曲でも、パリお披露目の時はバレエ部分を入れるのが、同地でのヒットの為の必須条件だった時代があった。

この『ラ・バヤデール』は、最初からバレエの為にルドウィク・ミンクスによって作られた。いかにも踊りの展開を考えた曲作りになっている。バレエの手法や表情を考慮し、バレエと一緒に演奏されてこそ面白い。悪口を言えば、音楽だけで高い評価を得られるとは思えない。
初演は1877年、ロシアのサンクトペテルブルク。

今回のビデオは3幕だが、当初は4幕あった。
ロシア革命後、社会主義国ソ連は、4幕のラストストーリーを良しとせず、3幕で終える事が専らとなった。
今回のものはソ連出身のヌレエフ振付という事で3幕版の採用となった。
ちなみに彼が亡命したのが1961年、このツアー時ロンドンで、つまり西側で初めて、この作品は公演されたのである。

◆第1幕1場
物語の舞台は古代インド。
戦士ソロールは寺院に舞を奉納する巫女(バヤデール)の1人ニキヤと愛し合い、結婚の約束もしている。
それを知らない王ラジャは、ソロールをいたく気に入り、娘のガムザッティの婿にしようとする。ガムザッティは、ラジャにソロールの絵姿を見せられ、結婚を承諾する。
ラジャに指示され戸惑うソロールだが、命に背けず結婚に向けて話は進む。

◆第1幕2場
寺院の高僧は、以前ニキヤに言い寄り、振られた経緯があって、2人に復讐心を持っていた。彼は2人の関係をラジャに告げ口する。
それを影で耳にしたガムザッティは、ニキヤを呼び寄せ、身を引くように命令する。しかし、ニキヤは承諾しないばかりか、近くにあった短剣を手にしてガムザッティに襲いかかる。侍女によって事無きを得るが、ニキヤは逃亡。ガムザッティはニキヤを亡きものとすべく誓う。

◆第2幕
ソロールとガムザッティの婚約祝いの式が華やかに行われる。各地の人々のいろんな踊りに応え、2人も舞う。
最後に現れた舞姫はニキヤである。侍女に渡された花籠を持って踊る。舞の終わり、花籠に潜んでいた毒蛇がニキヤを噛む。
倒れ伏すニキヤの前に高僧が現れて、自分の意に沿うならば、解毒剤をやろうと言う。しかし、ニキヤは拒否し、ソロールへの愛を全うして死ぬ。ニキヤの気持ちを思い知り、死体を掻き抱くソロール。

◆第3幕
ニキヤを失ったソロールは、自分の浅はかを責め、世を厭い、アヘンに溺れる毎日。
ある夜、バヤデール達の幻影がニキヤの亡霊と伴に現れる。ソロールは嬉々として今も美しいニキヤの手を取り、伴に踊る。

読んでお判りのように、文学的には第1幕こそ内容はあるが、第2,3幕は、その場がどんな場所なのか、殆どその意味があるに過ぎない。
ただバレエを見せる事を目的とするならば、とにかくひたすら踊りに踊るには、都合のよい設定である。
全3幕版はこれでバッサリと終わってしまう。
初めて粗筋を読まれた方は、ええ、これで終わってしまうの?と驚くに違いない。梗概を書いている私も、書きようがないのである。

◇原典の第4幕はこうなっている。
ソロールとガザムッティの結婚式が寺院で盛大に執り行われる。
そこで、ニキヤとの愛を誓ったソロールに神の怒りが落ちる。
寺院は崩れ、花婿花嫁は勿論、ラジャ、高僧始め、全ての人が死ぬ。

絶対神の罰によって人々の運命が決まる、というラストに、社会主義のリーダー達はダメ出しをしたのだろう。しかし、では第3幕の不健全な物語展開はいいのだろうか。よく判らない判断である。

斯くの如き3幕台本でも、しかしバレエが残るのは、ひとえに踊りの美しさ、多様さが、観る人の魂を揺さぶるからだろう。
特に最後の「幻影の王国」の集団のバレエは美しく、溜め息が出る。但し物語の退廃的な味わいはバレエにはない。
また、第1幕2場、短剣を持った女の闘い、こういう踊りは、少なくとも私の貧弱なクラシック・バレエ鑑賞歴では見た事がない気がする。
 
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