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2019年12月15日11:00

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村上輝久と田村明子 レクチャーコンサート

12/12(木)、静岡文化芸術大学講堂で、「調律師 村上輝久のレクチャーとピアニスト田村明子のピアノコンサート」があった。文芸大の文化芸術セミナー2019の一環である。

◆第1部
〈村上輝久のレクチャー〉
田村明子も半ば同席し、村上の話題に合わせて、即妙に短い演奏を入れた。
進行 文芸大教授/文化・芸術センター長 峯郁郎(元ヤマハ・デザイン研究所長)

1) ピアノ調律師の仕事とは何か
・なぜピアノは調律が必要か

2)それぞれの時代の鍵盤楽器と音程と音域
・クラヴィーア時代 61鍵 ピッチA392 (G) 1600〜1770
主にチェンバロ
・フォルテピアノの時代 61〜78鍵 A422 (G#) 1709〜1830
 最初のピアノ考案(イタリア・クリストフォリ)
 手作りピアノの時代

3)王侯貴族から中産階級 アップライトピアノ
・工業化時代へ 85〜88鍵 A435〜440〜444 1800〜現代
 縦型ピアノ 交差弦の特許 エラール・レペティションメカ
 フランス革命、産業革命、アメリカの独立 コンサートで聴く音楽
・足踏みペダル 1783 イギリス・ロードウッド特許

4)ピアノ音色はどうして変わる
・タッチ 鍵盤の深さ10mmのコントロール
 調律・整調・整音により音に変化

5)心を揺さぶる本場の音
・ミケランジェリ初来日公演を聴いて(自分のピアノと専属調律師同行)
・ヨーロッパ一人旅行
 音楽祭・ピアノコンクール・音楽クルージングの調律

6)ヤマハピアノテクニカルアカデミーの設立
・世界に通用する調律師の養成
・不安を喜びに変える「挑戦」
・人生を豊かにする

ミケランジェリやリヒテルに信頼されて専属にもなった世界に誇るべき調律師 村上輝久の講演は昨2018年10/20にも聴いた事がある。
その模様は以下を参照頂きたい。

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968875467&owner_id=3341406

これと重複する部分は省き、特に興味深い部分についてレポートする。

1)
ヴァイオリンは4本、ギターは6本しか弦がない。現代のフルコンサートピアノは最多で243本もある。
コンサートの舞台上、僅かな時間でオーケストラの各楽器は音合わせをするが、ピアノは、これだけ弦があるとそういう訳にいかない。しかも、時代と伴に構造が大変に複雑なものになった。
ために、ピアノは調律師が必要。クラヴィーア初期の楽器は簡単なものだった。その頃は奏者がペンチとドライバーを持って調律をしていた。

2)
田村がドメニコ・スカルラッティのソナタの一部を演奏。
トリルの多用。これはチェンバロの音が伸びないため、トリルによって音が伸びているように聴かせたのである。
強弱も殆ど付けられない楽器だった。途中で二段鍵盤が発明されたが、それでもたいして大きな音は出ない。

チェンバロとピアノの音を出す機構の違いを説明。(省略)
イタリアのクリストフォリが打弦の仕組みを発明。大きな音から小さな音迄出せるようになった。
モーツァルトはチェンバロに比してピアノ(フォルテピアノ)の表現力に驚いた。
その頃のピアノは61鍵。最初はペダルなし。

ベートーヴェンの時代にピアノは次々改良された。
ペダルの発明により、音を伸ばしたり切ったりする事ができるようになった。
最初のペダルは膝で動かした。

田村、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番《月光》の冒頭を演奏。
ペダルが生れなければこの曲は作曲されなかった。

ベートーヴェンの音楽追及のあとを追って、ピアノの鍵盤数も増えていった。
実際その鍵盤を弾かない場合でも、倍音としての効果が出て、音楽世界はより拡がっていった。
第23番《熱情》で68鍵、第29番《ハンマークラーヴィア》では78鍵になった。
ベートーヴェンは(耳の悪いせいもあって)音量の拡大を求め、4本弦を造らせたが、4本を均一に慣らすハンマーができず、結局3本弦に落ち着いた。

3)
ロマン派の時代、産業革命の進展により、ピアノは手造りから工業化へ。
安価にできるようになり、ピアノは貴族のものから一般市民へ。
フランス革命後市民の意識が変わり、経済力を持つようになっていく。
貴族の邸宅からコンサートホールが音楽を聴く場となり、市民はコンサートを聴きに出かけるようになる。
部屋の広さの制限からアップライトピアノができるようになり、一層ピアノは家庭に普及する。

4)
誰が弾いてもピアノの音は同じか?
ハンマーの加速スピードの変化により、倍音の付け方により、叩き方の違いにより、音は変化する。
鍵盤の深さは10mmしかないが、その中で紙1枚(0.1mm)の変化を調律師はつくりだす事ができる。

リヒテルが村上調律のピアノを弾いた最初の頃のエピソード。
リヒテルは、コンサートのあと、とても良かったが私には弾きやす過ぎた、と言った。
それを聞いて村上は、次のコンサートでは鍵盤の深さを0.1mm拡げた。
リヒテルは大満足して、村上に、一体どうやったんだと訊いた。

ピアニストの求めるものは人によって千差万別。
どんな有名なピアニストでも、怖れず、それに挑戦すべし。

オーケストラのピッチのエピソード。
ピアノは独奏だけでなく、オーケストラと協奏曲を弾く。オーケストラによってピッチが違うため、調律師はそれに対応しなければならない。
1955年にA音を440ヘルツとする世界基準が設けられた。
それで、調律師は楽になる筈だったが、そうはいかなかった。
ニューヨークフィルはぴったり440ヘルツにしたが、オーケストラ個々に伝統の音の世界がある。カラヤンはベルリンフィルのA音を444〜445ヘルツに設定する事に拘った。
何ヘルツか聞き漏らしたが、ウィーンフィルにも同様のからくりがあり、世界完全同一ピッチは困難らしい。
日本のオケは442ヘルツが多いとの事。

フォト

これは、12/14の中日新聞朝刊の記事。
中にドルチェな音とケーキのエピソードが書かれているが、これはマウリツィオ・ポリーニの実話である。
この話は、上に貼付したリンクの日記で詳しく書いているので、お読み頂けたらありがたい。
イタリア語の(またはポリーニの求める)ドルチェはただ甘いのでなく、輝かしさが伴なわねばならない、村上はそうも付け加えた。

◆第2部
〈田村明子のピアノコンサート〉

1)ベートーヴェン ピアノソナタ第17番ニ短調《テンペスト》Op.31-2
2)ショパン 幻想曲ヘ短調Op.49

1)
3つの楽章の違いを明確に弾き分ける事は非常に難しい。
第1楽章はテンポの起伏、第2楽章は呼応する声楽の如く、第3楽章は駆け抜ける馬車のような力強さを。
特に第1楽章を緊密な統一感をもって弾き上げるのは簡単でない。ややもすると、バラバラなイメージになってしまう。

2)
ショパン唯一の幻想曲。ヘ短調で重々しく暗く始まり、即興性も加わって変イ長調となり三連符のアルペジオで華々しく上り詰めて終わる。
調と楽想が交錯する展開に妙がある。
 
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