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2019年11月02日10:12

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東京五輪・札幌会場

 2020年の東京五輪で、マラソン会場が急転直下、札幌に決定した。オリンピックはそもそも都市開催を前提としている。これは古代オリンピックが都市国家を単位として開催された経緯を踏まえて、近代オリンピックも都市を単位に行うと五輪憲章によって定められているからだ。それは国からの影響を抑えようという目的もあった。

 ただ、参加競技が増えれば、当然のことながらその都市に適した場所がないものもできてくる。そのため、1964年の東京オリンピックでも、神奈川、埼玉、千葉、長野でも一部競技が行われた。
 けれども、東京から遠く離れた札幌、しかもIOCが東京都の頭越しに決めたというのは、さすがに都市開催の前提を大きく逸脱している。

 ここから、思うところがいくつか浮かんでくる。

 ひとつは、行政のゴタゴタが改めて浮き彫りになったということ。夏の猛暑に、東京都が提案したものは、コメディ映画ならともかく、現実だと真顔になってしまうようなものが、次々と報じられた。真夏の陽射しを避けるために、マラソンの時間を早朝に、いやいや未明にと、いまさら言い出すのもどうかしていた。
 ただ、行政の混乱は、かつての東京オリンピックの成功神話ゆえに、より浮き彫りにされているところもある。というのも、大きなイベントというのは、「終わりよければすべてよし」みたいなところがあるからだ。準備段階のトラブルは、大会が無事に終わった記憶に上書きされてしまう。1964年の東京五輪だって、探せばいくらでも問題はあったし、このときもやはり「オリンピックはいらない」という世論が根強くあった。
 もっとも、そのゴタゴタが1964年と比較してどうだったのかは、改めて検証すべきところではあるだろう。

 もうひとつ、1964年は秋に開催できたオリンピックも、いまでは8月開催になっている。これはオリンピックの大スポンサーであるアメリカの意向が強くはたらいている。プロスポーツのスケジュールとの兼ね合い、放映権、そしてオリンピック開催の年は大統領選と重なるために、秋なんかにやってられないというわけだ。
 今回の東京五輪のゴタゴタが、結局のところ、夏開催という難題をどう克服すべきかというところなのも、そういう事情が絡んでいる。逆に初夏や秋開催であれば、これほどに騒がれなかっただろう。
 これを「アメリカの横暴」と断じてもいいけれど、いまやオリンピックはエンタメ化しているわけで、開催国選びから、放送枠の確保までカネが飛び交っていて、いまさらこれをどうすることもできない。
 そして、それが前提であるなら、夏に開催できる都市は極めて限られてくるのではないかということだ。亜熱帯、中東はもとより、東京も近年の猛暑からして、本来は真夏に競技ができる場所ではなくなっている。そうすると、真夏でも比較的穏やかな気候の地域、北半球だと北部地域、あとは南半球あたりに絞られてくる。

 それらを踏まえると、都市開催ではコントロールできない規模になったオリンピックは、かつてのように熾烈な誘致合戦も今後、減少していくのではないか。たった半月の大会で、国を巻き込んでインフラを行う。開催後も設備が十分に活用されるかの見通しもない。高度成長期でもなければ、そんな財政的ゆとりがあるところなんてほとんどない。1964年の日本はそういう意味でも恵まれていたし、五輪もいまほど商業主義的でもなかった。

 2020年のオリンピックも、何だかんだありながら、よほどのことがない限り、「成功した」という余韻が人びとの記憶として残るのだとは思う。しかしそれでも、「またいつかやろう」という気分にはならないのではないか。それは、日本にもう余力がなくなるからというだけでなく、オリンピックのあり方がもはや、都市開催という建前に適さなくなっているからでもある。

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五輪マラソン札幌に決定、都が了承 4つの合意点
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5848214
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