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2019年03月27日18:39

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私が住んでいる団地の中にも古墳がある

昨年は我が家から近い場所にある古墳に、あれこれ行ってみたが、考えたら、私が住んでいる団地の中にも古墳があるのだった。
今日は改めてそれを見てきたので、レポートしようと思う。

・名称「陣内平(じんないびら)古墳群」

浜松市北区細江町(当時は引佐郡細江町)中川に団地が造成される過程で6基の古墳が発見されたが、調査後全て壊された。
その後1基のみ復元され、団地内の公園となっている。
神宮寺谷(じんぐうじや)という地区にあったので「神宮寺谷古墳公園」と呼ばれている。
「陣内平」という呼称と、「神宮寺谷」という地区名との関係はよく判らない。
「神内平」という表記をしている書物もある。
(ちなみに、ここから大分離れた北区引佐町に神宮寺町という似た町名があるが、それとの関係もよく判らない。神宮寺町の南側には、都田川の支流である神宮寺川が流れている。)

陣内平古墳群の説明板には、以下のように書かれている。

・・・・・・

中川と都田との境に位置する恩塚山(*1)から、西に伸びる尾根の上には、6基の古墳があった事が知られ「陣内平古墳群」と呼ばれている。
1号墳〜4号墳は、昭和48年(*2)、宅地造成に先立ち発掘調査が行われた。
5号墳と6号墳は円墳で、遺体を納めた主体部は横穴式石室だった。
これらの古墳群は宅地造成により全て取り壊された。
3号墳は6世紀始めの帆立貝式前方後円墳だったと言われている。
全長15.4m、後円部径12.2m、前方部幅6.6m。後円部高さ2.3m、前方部高さ1m。
遺体は木の棺に納め、粘土でくるんで墳丘に埋められたと言われている。
墳丘の裾には、約1m間隔で円筒埴輪が並べられ、墳丘からは人物(力士,女性)、動物(馬,犬,ニワトリ)、器材(盾,家)等、多種多数の形象埴輪が出土した。
これらは細江町教育委員会に保存されている。

          〜細江町教育委員会(*3)

・・・・・・

(*1)恩塚山にも古墳が発見されていて、「恩塚山古墳」と呼ばれている。
この古墳は昨2018年4月に訪れている。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1966338610&owner_id=3341406
恩塚山古墳は7世紀前半に作られているで、こちらの陣内平古墳3号墳の方が100年程古い事になる。

(*2)私がこの団地に移り住んだのが昭和57(1982)年。陣内平古墳群の発掘調査が行われた9年後という計算になる。

(*3)細江町教育委員会は、現在は浜松市に吸収されているので、この表記からして、この説明板は引佐郡と浜松市が分かれていた頃の製作だろう。
出土物は今どこに行けば見る事ができるのかは判らない。調べてみようと思う。


・復元された陣内平古墳3号墳、私が撮ってきた写真。
フォト

前方後円墳の形が判る。
宅地がすぐ近くに隣接している。

・説明板写真。
フォト

興味深い人物埴輪の出土された時の写真が左下に載っている。
 
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