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2019年03月15日12:00

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NHK-BS1スペシャル 『欲望の資本主義2019〜偽りの個人主義を越えて』〜その2

(続き)

◆第4章「怪物の深層にあるのは?」
国家のスケールを超えるテクノロジーの力。
ドイツでも危機感を強めている。

マックス・ガブリエル(哲学者/独)
・・・私達の労働量はこれ迄より遥かに多い。私達は常に「データ」を発信している。例えば、SNSでのやりとりもそうだ。
私達は「意味を持たないもの」を「意味を持つもの」に変化させている。

実はGAFAは我々に膨大な「負債」を負っている。
ソーシャルメディアはカジノのようなもの。
我々はネット上の人物や投稿に「いいね!」を投票している。投票されたされた人は更に「いいね!」やフォロワーを集める。これはカジノと同じ。
ポイントを稼いだ人は大儲けができる。ユーチューバーに成功者が増えれば、ユーザー側の利益にはなるが、しかし、ここがまさにカジノと同じ構造で、最終に最も利益を上げるのは当事者でなく、カジノそのもの(胴元)なのだ。
GAFAは最もダーティなカジノだと断定できる。
今GAFAは、インターネットの世界に規制がかけられる前にできるだけ速く資本を増加させたい、それが彼等の唯一の関心事だ。
今日の私達はこうした企業に搾取されている。GAFAのために働かされていると言ってもいい。
Eメールやネットニュースを見るといった、我々がネット上で行っている行為は、全て労働であり、これが「データ」と付加価値を生み出す。
そうして、生み出された付加価値によって、何十億という金が、カリフォルニアの口座に支払われていくという仕組みだ。

これもNHK-BS1スペシャルで年始に採り上げられ、私も日記に書いたユヴァル・ノア・ハラリ(歴史学者、『サピエンス全史』『ホモ・デウス』の著者/イスラエル)が、「監視資本主義」とでも言えるものについて語った。
・・・アマゾンがあなたの取引の全てのデータを集め続けたら、その巨大なデータベースと顧客や経済への深い知見のおかげで、市場の全てが独占されるだろう。
本来は市場に行けば、いろんなトマトの売り主がいる。美味しくなかったり、高かったりすれば、他の店に行ける。これが自由な市場だ。
しかし、20年後、世界中でトマトを売っているのはアマゾンだけだ。人々は誰もコントロールできなくなる。アマゾンが、質、値段、供給量を決めるのだ。
こうした「監視資本主義」を止めなければ、結果的には中央集権型のシステムになり、それは20世紀的自由市場型の資本主義ではなく、中国に近いシステムだろう。
気をつけないといけない。今のまま何もせずに市場の力に委ねたら、全ての金と権力が一握りのエリートに集中してしまう未来もあり得る。多くの人々が経済的政治的に無力で酷い状態もあり得る。
何らかの行動を起こさなければならない。

◆第5章「市場は全て自由のために?」
冷戦時代、自由=資本主義、平等=社会主義と単純に形式的に色分けされていた。
そして、1980年代以降、国家としての社会主義は敗れ去った。

これは私見だが、その時、人々は平等より自由が大事だという選択したのだという誤解が生まれたのではないか。自由と平等はどちらかでなく、どちらも必要なのだ。
資本主義国では平等はないがしろにされていいという事はあり得ない。

最近自由の牙城である筈の米国で、マルクス主義や社会主義研究のグループが増えている。
その一人は言った、「昨年、富裕層の資産は25%も増加した。一方、大多数の人々の生活は苦しくなっている。
トップのだった8人が世界人口の半分と同じ資産を持っている。
経済成長は、給料の増加や社会保障の充実や、有色人種の保護にはならない。
ごく一部の資産家やマンションオーナーを肥やすだけだ。日々の暮らしを賄うため、仕事を掛け持ちしている我々はどうなるのだろうか?」
「今日の我々は自由の罠に陥っていると言わざるを得ない。」

◆第6章「国家 VS 市場」
自由か計画か?
20世紀を代表する経済学の巨人でケインズ経済学で知られるジョン・M・ケインズ(1883-1946/米)の宿命のライバルがハイエクだった。
2人は、国家の介入と市場の自由をめぐって激しい対立をした。

しかし、世界大恐慌(1929)から人々を救ったのは、ケインズによる施策だった。国家が積極的に金を使い、失業者を減らし、危機を救った。
ケインズの『雇用利子および貨幣の一般理論』(1936)は、「ケインズ革命」と呼ばれる程のインパクトを世界に及ぼした。

だが、ハイエクは「国家の介入」の先にあるのは社会主義で、その延長線上にナチズム等のファシズムもあるとして、国家が介入を強める事を「隷従への道」だと非難した。「計画」が独裁を招く、と。

前出のスキデルスキーの解説によれば、ケインズはハイエクの指摘に対して、市場の行き過ぎこそ独裁を生むと主張した。
自由に任せ過ぎて経済が不安定化し、職を失った人々やどん底に落ちた人々は、もはや自由を望まず、結果、これこそが独裁的なシステムにつながってしまう、と。
ハイエクという人は、全ての失業を自発的なものだと勘違いしていた。賃金次第で仕事はいくらでも見つかるだろうとさえ言った。

時代は進み、新自由主義が跋扈する中、2008年になってリーマン危機が起こった。
しかし、これに対して採られた政策は、ケインズ主義的手法の復活であった。
新自由主義を推進した時の大統領ジョージ・W・ブッシュは言った、「FRBは保険会社AIGの破綻を防ぐために手を打った。さもなくば金融市場は崩壊し、世界経済に脅威を及ぼしただろう」。
つまり、自由に任せる事では問題は解決できないと認めたのである。


国家と市場のせめぎ合いは、お金の問題に迄行きつく。
ハイエクの後継者で、新自由主義の指導者として影響力を持ったのはミルトン・フリードマン(1912-2006/米)だ。
彼は貨幣供給量こそが経済変動に大きな影響を与え、インフレもそれが決定的影響力を持つと考え、中央銀行を政府から独立させる事を提唱した。政治的思惑から中央銀行は自由になって、お金の供給をコントロールするべきだ、と。

その延長線上に、国家とは無関係なお金という発想が生まれる。
〈後編〉では、直近において熱を帯びる仮想通貨について議論が戦わされる。
これについて、私は格別興味を持たないので省略するが、一部以下をピックアップしておきたい。

◆第12章「合理的思考のパラドックス」
自由の擁護者ハイエクの言葉、
「社会や人間の行為はおよそ物理学の用語で定義する事等できない」。(『科学主義と社会の研究』)

市場の自由を擁護し続け、結果的に新自由主義の教祖とハイエクはまつりあげられた。
しかし、ハイエクの追随者であるセルギンは、今になって「ハイエクは新自由主義者ではない」、彼の思想と生産性のみを重んずる超合理主義思想は異なる、と言う。
その言葉から判るのだが、つまり、セルギンも今の世界の新自由主義の暴走はマズイと思っているのだろう。その結果の発言である。

私は思うのだが、ハイエクを擁護する事にどんな意味があるだろうか。
問題は、ハイエクをまつりあげた者達が、新自由主義を暴力的に増大させた。その新自由主義の問題の実態を炙り出し、経済のためでなく人間のためにどう解決するかが大事なのであって、実はハイエクの真髄は新自由主義とは違う等と今更言って、何の意味があるのか。何の足しにもならない。

トーマス・セドラチェク(経済学者/チェコ)は言う、
・・・今の経済は資本主義ではない、「成長資本主義」だ。成長に囚われて資本主義の本当の価値を捨てようとしている。人間の自由より経済成長を優先するならば、それは本当の資本主義ではない。経済成長すれば素晴らしいが、成長への偏愛はやめよう。
ハイエクの思想は、偏った考えの人達に、ある意味でハイジャックされたのだ。

ハイエクは「マルクスを殺した男」とも異名を持つ。
彼は、社会主義が誕生するシーンを目の当たりにした。そこで過敏なアレルギー反応を起こしたのではないか。
彼は自由主義者である前に、反共産主義者、反社会主義者だったと言うべきかもしれない。何よりも社会主義の拡大を防ぐために、計画を批判し経済の自由を訴えた。
ハイエクの経済思想は実は反共のための方便だったようにも思えなくない。
1950年代に吹いたマッカーシズムは、ハイエク思想と根において似たものがある。

勿論これは私の直感的感想に過ぎず、番組の結論ではない事を言っておかなければならない。
しかし、世界における新自由主義の暴走、それに任せて何もしない事の危険、これがこのシリーズの基底トーンである事は間違いない。私もそれに大いに賛同するところだ。

『欲望の資本主義2020』があるかどうか知らないが、1年後が愉しみであり、また怖ろしくもある。
その時、世界はどんな様相を呈しているだろうか。


プロデューサー 丸山俊一
ディレクター 大西隼,三好雅信
 
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