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2018年02月16日18:44

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「ルドルフ2世の驚異の世界展」/Bunkamuraザ・ミュージアム

(続き)

2/11(日)、ミューザ川崎でTBSK管弦楽団の定期演奏会後、知人である同楽団員の親御さんと会い、近くでお茶を飲みつつ約40年振りに会話をした。話題は今日の演奏からいろいろと拡がった。
その後、JRでお茶の水迄出て、宿泊するホテルにチェックイン。

翌12(月)の午前は、10:00から渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「神聖ローマ帝国ルドルフ2世の驚異の世界展」である。

・会期 1/6〜3/11

ルドルフ2世(1552-1612)の神聖ローマ皇帝在位は、マクシミリアン2世の後、1576-1612年の間だった。
政治能力には欠け、ハンガリーで反乱が起きる等した。ハンガリー王は弟マティアスに譲った。しかし、教養には富み、芸術や学問を保護した。
即位から7年後の1583年には、帝都をウィーンからプラハに遷すという何とも大胆な事をした。
この時代はカトリックとプロテスタントの争いが激しく、プラハはその面で落ち着いていた事、オスマントルコの南方からの脅威から距離を置く事できる等が主たる遷都の理由だったと言われるが、親族との権力争いや自身の結婚問題への圧力等を嫌ったのも理由の1つだったようだ。
ルドルフは生涯に一度も結婚せず独身を貫いた。(身分違いの女性との間に隠し子はいたらしい。)
ハプスブルク家は政略結婚で国土を拡げてきた家柄であるし、皇帝という立場にいて結婚せず嫡子を儲けないというのは、それだけでも周囲から不適格と見られたに違いない。
兄と対立していた弟マティアスは、1611年、ハンガリー貴族を利用してプラハに侵攻させ、ルドルフ2世を帝位から引き摺り落とし、自ら帝位に就いた。
その翌1612年にルドルフ2世は亡くなっている。60歳だった。

この間、彼は自分の周りに芸術家や科学者等を抱え、多様で膨大なコレクションを築いた。
プラハはマニエリスム美術様式におけるヨーロッパの中心地となった。
また、天文学や化学も発展した。当時は占星術や錬金術もそれらの一翼であった。プラハは錬金術の街とも謳われ、チェコのガラス器(ボヘミアングラス)は世界有数のレベルを持つに至った。
時は大航海時代でもあり、世界各地から珍しいものが皇帝の周囲に集められた。プラハ城内には、珍しい生物による動植物園迄も作られた。
これら芸術・工芸品や珍奇な品、望遠鏡や時計等の最新技術の品々は皇帝の「驚異の部屋(クンストカンマー)」に収められた。
ルドルフ2世没後は、それらの内主だったものはウィーンに移動させられ、現在の美術史美術館、自然史博物館所蔵品の基礎の一角ともなった。
「驚異の部屋」という呼び名は今も使われていて、映画『グレート・ミュージアム〜ハプスブルク家からの招待状』は、その部屋の改装がテーマだった。
参)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958960440&owner_id=3341406

彼のコレクションの中で最も規模が大きかったのは、3,000点にも及ぶ絵画である。
例えば、ピーテル・ブリューゲル(父)の《バベルの塔》(昨2017年東京都美術館で観たのはボイマンス美術館の所蔵品)を含む12点は、全てルドルフ2世の下にあったもの(直接収集したのは彼の弟でネーデルラント総督だったエルンスト・von・エスターライヒかもしれない)で、現在はウィーン美術史美術館が持っている。

昨年国立西洋美術館で大企画展があったアルチンボルドは、フェルディナント1世、マクシミリアン2世、そしてルドルフ2世の3皇帝に仕え、あの特異な作品世界を創り出した。
今展には、《ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像》(1591)1点と、後の追随者による似通った作品が並べられている。
当作品は、アルチンボルドが晩年プラハからミラノに帰ってから描き、ルドルフ2世に送ったものである。
ウェルトゥムヌスは四季を司るローマ神話の神で、画中には、様々な果実,野菜,花が織り込まれ、ルドルフ2世の統治の永遠性を称えている。
参)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961476445&owner_id=3341406

同様の意図をもって描かれたのが、ヤン・ブリューゲル(父)の《陶製の花瓶に生けられた小さな花束》(1607頃)である。ここには四季の花々が一斉に咲き誇っている。
彼は前掲のピーテル・ブリューゲル(父)の次男で、「花のブリューゲル」と呼ばれた。
この作もウィーン美術史美術館所蔵である。

他に、画家としては、ルーラント・サーフェリー、ディルク・ド・クワード・van・ラーフェスティン、ハンス・von・アーヘン等がルドルフ2世を囲んだ。
今展にはサーフェリーの作品が13点も来ている。他に彼の原画による版画が7点。
彼はルドルフ2世の動植物園を記録した。その経験を基にして、《動物に音楽を奏でるオルフェウス》(1625)のように、様々な動物が一堂に集う夢のような絵を描いた。

ルドルフ2世のリアリティに富んだ肖像画は、von・アーヘンのものが有名だが、今展に来ているのはその「コピー《ハプスブルク家、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の肖像》(1600頃)」となっている。
描き写した人物の名は書かれていなかったが、優れた手腕を有した画家だったに違いないと思われた。
帰ってから調べたところ、von・アーヘンの原画はやはりウィーン美術史美術館にあって、2009年の「The ハプスブルク」展/国立新美術館で私は観ている。同展図録によると原画は1600-03年頃の作となっていて、同時期のコピーのようだ。図録に自身何枚か描き写しているとの記述もあるから、これも本人の手によるコピーの可能性があるのではないか。

今展の構成は以下の通り、

プロローグ ルドルフ2世とプラハ
第1章 拡大される世界
第2章 収集される世界
第3章 変容する世界
エピローグ 驚異の部屋

プロローグはルドルフ2世の家系を、第1章は天文学との関係を示し、ティコ・プラーエ、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイ等の関連物(著書や望遠鏡等)が展示されている。
第2章は彼の動植物園に連なる夢のような博物世界、第3章はアルチンボルド他宮廷画家達の作品群、エピローグでは工芸品や稀覯品の数々、大航海時代の観測機器、果ては「イッカクの牙」なる展示迄ある。
謂わば「巨大なるオタク」だったマニエリスト ルドルフ2世のその頭の中を覗き見るかのような展覧会ではあった。
Bunkamuraマガジン1月号には「ヨーロッパ史上最強のオタク」との表現もあった。


12:00少し前には出て、来る前に立ち寄って予約しておいたVIRONで昼のランチ。
さて、次は上野でバレエである。

(続く)
 
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