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2012年07月24日01:38

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マウリッツハイス美術館展/東京都美術館

7/20(金)上野、東京都美術館と国立西洋美術館の何れを先にしようかと考えた。それぞれフェルメールが売りである。
一般人気は、『真珠の耳飾りの少女』の方が上だろうというのは想像がつく。
だからと言って、その都美術館を、金曜の昼にするか夕方にするか、考えても答えは出ない。閉館直前になれば、確かに空いてはくるだろうが。金曜は時間延長されていて、20:00がクローズタイムになっている。
えいやっ、という事で、午後一、まずは東京都美術館のマウリッツハイス美術館展へ。
チケット売り場の混雑を考えて、前夜、チケットはネットで購入しておいた。
前売り券ではない、当日券であるから、価格は安くはない。しかし、チケットを買うのにまず並ぶというのも時間がもったいないと思い。
だが、売り場に列はなく、会場入り口で入場制限のみしていて、入る迄に10分位かかったろうか。


さて、「マウリッツハイス」とは、「マウリッツさんの家」という意味で、元はヨーハン・マウリッツ(1604-79)の邸宅である。1633〜44年に建てられた。
オランダ政府がそれを買い上げたのが1820年、王立美術館として一般公開が始まったのが1822年だそうである。
コレクションは約800と規模は小さいが、「絵画の宝石箱」と綽名されるように、珠玉の作品が集められている。
2012年4月から2014年にかけて、増改築の工事に入っている。その間、1部が休館となっている為、コレクションの内の48点が、日本を含めた世界ツアーに出る事となった次第である。

・東京都美術館会期 6/30〜9/17

これらの中に、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』がある、という訳だ。

「マウリッツハイス美術館展」とは言いながら、「『真珠の耳飾りの少女』とオランダ・フランドル絵画展」と言った様相ではある。
そういう意味では、「『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」(2007)国立新美術館他,「『地理学者』とオランダ・フランドル絵画展」(2011)豊田市美術館他,「フェルメールからのラブレター展」(2011)京都市美術館他、等と同じで、悪く言えば、フェルメール数点で客寄せをして、その他で賑やかし、それぞれひと工夫はしているけれども、正直この類の企画にもちょっと飽きがきている。

しかし、そう言いつつも、柳の下の何とかのように、私も出掛けていく。
フェルメールはその真作とされるのは世界に30数点しかない。日本に来たらその全てを観に行く、と心に決めているので、これもマスコミに毒されているようなものだが、つい観に行く。

この『真珠の耳飾りの少女』で14作、ベルリン国立美術館展の『真珠の首飾りの少女』で15作目という事になる。マウリッツハイスの『ディアナとニンフたち』は既に1度観ているので、これはカウントに入れない。


今展の構成に触れておこう。

第1章 美術館の歴史
第2章 風景画
第3章 歴史画(物語画)
第4章 肖像画と「トローニー」
第5章 静物画
第6章 風俗画

第1章では、マウリッツハイスに関わった人物の肖像等。

第2章では、ヨーロッパで初めて市民社会を構築したオランダが、世界貿易の興隆の中で相手国から求められた、オランダ紹介の為の絵画としての風景画。
その中で最も重要な画家が、ヤーコプ・ファン・ロイスダール(1628-82)で、彼の作品2点がここに含まれる。今展ではライスダールと表記している。
サロモン・ファン・ロイスダール(1602-70)の絵も1点あるが、彼はヤーコプの伯父に当る。
ヤーコプの『漂白場のあるハールレムの風景』(1670-75)は、亜麻布を晒すハールレム郊外の光景。地平線を低くとって、その上はオランダの移ろい易い光と湧き起つ雲。

第3章には前掲の『ディアナとニンフたち』他、ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)の『聖母被昇天(下絵)』(1622-25)やレンブラント・ファン・レイン(1606-69)の『スザンナ』(1636),『シメオンの賛歌』(1631)が含まれる。
ルーベンスの完成品は、『フランダースの犬』でネロ少年がその絵の前で死ぬ、アントワープ大聖堂の同名壁画である。

第4章では、肖像画と「トローニー」の違いを説明している。
「トローニー」とは、注文主がいる特定の人物画でなく、画家が自由に創作させた人物画である。モデルを使用したとしても、固有名のある人物の外面内面を表現する為でなく、画家はそれを出発点にして、自由に発展させる事に重きを置いている。
しかし、これはなかなか仕訳けが難しい。今は忘れ去られた人物でも、当時は名士だったかもしれない。注文主がいたが、買ってもらえず、目的が変更してしまう事だってあり得る。
フェルメールの女性は、『真珠の耳飾りの少女』も含め、具体名のある誰かの肖像画でなく「トローニー」と考えた方がいいだろう。
この章には、レンブラントの自画像も入っている。

第5章では、「ヴァニタス」の意匠も含めたいろんな静物画、植物,食べ物と食器食卓,鳥等々が描かれたもの。
「花の画家」と呼ばれるヤン・ブリューゲル(父)(1568-1625)は、有名なピーテル・ブリューゲル(父)の息子。
ピーテル・クラースゾーン(1597/98-1660)の『燃えるろうそくのある静物』(1627)は、ロウソクの火、その実体とグラスに映り込むそれ、そしてそれが作り出した影の表現と質感が実に素晴らしい。ある種の精神性や宗教性も感じ取る事ができる。

第6章では、いろんな事をする人間達が描かれている。
楽器を弾く、手紙を書く、呑み食べる、編み物をする、等々。
ヤン・ステーン(1626-79)の画業は、この分野で一番人間の性を物語っている。
『親に倣って子も歌う』(1668-70頃)には、呑んで楽しみ騒ぐ家族が描かれている。酔っ払った男は、少年に長いパイプを吸わせている。子供は良かれ悪しかれ親を手本として育つ、という当時の諺を表したものだろう。


もう一度フェルメールに戻る事にする。
彼には若い女を描いた絵が多いが、その背景が全くの暗闇であるものは僅かしかない。
この『真珠の耳飾りの少女』(1665頃)、そして『女と召使い』(1667-68)と『少女』(1668-69)の3点だけである。
彼はオランダ特有の光と影を描いた画家だとも言われるが、『真珠の耳飾りの少女』には、彼が繰り返し描いた光が入る窓もなければ、光の当たる壁もない。
しかし、だからと言って、光と影が描かれていないのではない。
光は、少女の顔や服装やアクセサリーに当り、そして、影を作り、結果としてそれらの質感を醸し出している。
フェルメールは、最初描いておきながら壁に掛る絵を消してしまったりするケースがままある。この『真珠の耳飾りの少女』はどうだろうか。最初から背景は真っ暗だったのだろうか。何か描かれていたのだが、それを消してしまった事もあり得ないではない。この絵がエックス線写真解析された経歴があるかどうか、そんな話題は聞いた事がない。
背景が真っ暗なだけに、よけい浮かび上がる少女の表情が印象的に見える。実にミニマルな世界だ。
『少女』も似た時期に描かれている。サイズも、前者が44.5×39cm、後者が44.5×40cmとほぼ同じ。(但し、『女と召使い』は90.2×78.7cmと倍近い。)
顔は全く違うが、やはり、左向きの姿勢からカメラ目線でこちらを見ており、頭頂部からリボンを垂らしている。

まだフェルメールには、解明を待つべき謎が多々ありそうだ。


写真1 ヤーコプ・ファン・ロイスダール『漂白場のあるハールレムの風景』
写真2 ピーテル・クラースゾーン『燃えるろうそくのある静物』
写真3 ヤン・ステーン『親に倣って子も歌う』


明日はベルリン国立美術館展について。
 
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