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2010年12月07日02:20

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M・プロヴォスト 映画『セラフィーヌの庭』

12/6(月)、浜松シネマe-raで、マルタン・プロヴォストが監督した映画『セラフィーヌの庭』を観る。

タイトルのセラフィーヌとは、本名(だと思うが)セラフィーヌ・ルイという実在したフランス、オワーズ県サンリスの女性画家である。
彼女の後半生にスポットを当て、特に画商ヴィルヘルム・ウーデとの関係から彼女を描き出している。

セラフィーヌ(1864-1942)は、41歳にして絵を描き始めた。しかも、守護天使の啓示によって始めたというから、変わっている。
貧しく生まれ、絵の勉強等していない。18歳から20年間は修道院に務めた(多分、賄いから掃除洗濯迄何でもやったのだろう)。
41歳から急に絵を描きだし、勿論それは売れる訳もない、売って生活の足しにしようという発想もなかったろう。ただ、描く事が、自分の生そのものだった。高価な絵の具は買えず、自然の植物や川泥等を工夫して色を作り出し、板切れに直接描いた。

48歳(1912年)の時、画商ウーデと偶然出逢う。セラフィーヌが掃除婦をしていた館に、間借り人として入ってきたのだ。

ウーデ(1874-1947)はドイツ人である。美術好きが嵩じ、蒐集家の延長で画商になったと言えばいいか。パリに移住したのも、当時の美術マップからして当然ではある。パリの北60km強、小さなサンリスの村には、避暑か息抜きか。この時、38歳。セラフィーヌとは10歳年が離れている。

ウーデの経歴の最も大きなものは、アンリ・ルソー(1844-1910)を見出した事である。ルソーはご存知の通り22年税関吏として働き、趣味の日曜画家だった。彼の代表作の殆どは、税関を退職した後の50歳代に描かれている。1886年(42歳)からアンデパンダン展に出品を始めたが、その評価は散々なものだった。
何しろアンデパンダン、つまり独立展は、無審査、無報酬、自由出品である。
1894年に『戦争』、1907年に『蛇使いの女』が描かれた。今でこそ著名な代表作であるが、当時は無視された。
ウーデが『税関吏、アンリ・ルソー』を上梓したのが1911年。ウーデがこの書でルソーを喧伝しなければ、彼はそのまま埋もれてしまったかもしれない。

上で書いたように、ウーデがセラフィーヌと初めて会ったのがその翌年1912年であり、これは意味のある連続だと理解すべきだろう。ウーデがルソーと出逢わなければ、セラフィーヌと会う事もなかったに違いない。

ルソーを素朴派(ナイーヴ・アート)と呼ぶなら、セラフィーヌもそこにカテゴライズするのが妥当だろう。映画では、ウーデは素朴派の名称を嫌い、モダン・プリミティヴと呼ばせたがっていた。
名は何にせよ、絵を正規に学ぶ事なく、趣味で描き、悪く言えば素人臭く素朴な、または原始的な絵を描き続けた人達の系譜である。
後にはアール・ブリュットとかアウトサイダー・アートとかいう呼称も生まれた。ルソーの絵には、見方を変えるとキュビスムやシュルレアリスムの要素も含み持つが、結果的なものであって、あくまで本人のつもりは具象である。

対して、セラフィーヌの絵は、殆どが植物なのだが、現実の草花というよりも何故かアブストラクトに見えてくる。描かれた花も葉も、全部が全部正面を向いている。彼女の頭の中を見たような気にもさせられる。
彼女の精神的な病が生来のものか、後年、あるきっかけからかは判断が難しいが、彼女の画風がそれに根差していると考えるなら、エイブル・アートという、近年の日本発の呼び名も充てられるかもしれない。
以前観た映画『ニキフォル』,『非現実の王国で〜ヘンリー・ダーガーの謎』も、これらジャンルの画家をテーマとした。
以下参。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=359937736&owner_id=3341406
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=866717973&owner_id=3341406

まあカテゴライズはここではどうでもいい。時間軸での理解の為、ウーデを挟んだルソーとセラフィーヌの連続性にだけ注目しておこう。

さて、セラフィーヌとウーデの2人の関係をどう読めばいいだろうか。
プロヴォストは、嘘になる事に用心しながらも、この事に最大限の関心を寄せている。
要素を拾い上げると、年齢は前述したように48歳と38歳、そして、認められない絵描きと画商、田舎のフランス人とフランスにやってきた異邦人としてのドイツ人、恋愛をした事もなく歳をとってしまった女性と独身を通す同性愛者、こんなところか。
どれもまるで鏡で見合ったような関係ではないだろうか。

フランス人とドイツ人の国民感情は、第1次世界大戦をはさんで最悪な時期だったろう。
ウーデは、フランスで共感され得ないドイツ人、しかも同性愛者で、この事は妹を含め、直近の人達にも秘密にしている。
セラフィーヌは画家として認められていないだけでなく、変わった女として大概の隣人からは理解されず、掃除婦として働く場では命令と服従があるだけ。
つまり、ここには黒々と不理解と没コミュニケーションが横たわっている。
ある意味で似た者同士と言えなくない。
そうしたネガティブの土壌の上で、ウーデはただ美術に対してだけ新しいものへ心は開かれており、セラフィーヌはただ自分なりの絵を描く事が生の証である。
歳の開きを越え、恋愛とは違う求心力が互いに発生したとしてもおかしくない。プロヴォストは敢えてそう見ようとしている。

象徴的な場面が真ん中とラストにある。

ウーデがふとしたきっかけでセラフィーヌの絵を見つけ感動する。その後、いろんな場で、いろんな言葉や態度で、この感動と彼女の才能をセラフィーヌに理解させようとするが、一向会話にならない。
ウーデは、セラフィーヌの手を取り、庭に連れ出し、椅子を置いてそこに座らせる。ウーデは中腰になって、セラフィーヌの目を見て話す、個展を開こう、と。
掃除婦のセラフィーヌは、雇い主から、即ち上から命令されて従うだけの半生を送ってきたばかりで、椅子に座って話を聴いた事等ない。

ラストはこうだ。(これから映画をご覧になる方は、ここでお止めになっておいた方がいいかもしれません。)

第1次大戦が始まり、敵国人であるウーデはフランスから逃げ出さざるを得ない。
戦争が終わって再会は果たされるものの、続く大恐慌(1929〜)、世の中全体、美術の価値は下がり、彼女の個展計画も儘ならない。
事情の判らぬセラフィーヌは、被害妄想に陥り、幻覚を見、幻聴を聴き、言動がおかしくなる。病院に入れられると、絵を描く事も止めてしまい、益々状況は悪化する。
ウーデは見舞おうとするが、医者からは許可されない。小さな窓から彼女の不幸を見るだけ。1935年になって、セラフィーヌは病院から環境の良い個室を与えられる。病状の改善もあるだろうが、ウーデの内々の経済援助もあったろう。
白い壁の部屋で、窓からは明るい光が入ってくる。庭の緑が見える。ふと庭に続くドアのノブを手を取ると、それは音もなく回る。
まぶしいテラスには椅子が1つある。その椅子の説明はされないが、観る者には、あの時の椅子が想い起こされる。
セラフィーヌはその椅子を持って、庭をゆっくり歩いていく。少し昇るとそこには大きな木がある。
以前、セラフィーヌは、ウーデが1人、部屋で泣いているのを見た事がある。しばらくして彼女は彼に言ったものだ。
「だんな様、悲しい時は田舎に行き、木に触るといいですよ。植物や動物と話すと、悲しみが消えます。」
セラフィーヌは椅子を大きな木の前に置いてゆっくりと腰掛けた。

後はテロップのみ。
・・・
1942年、セラフィーヌはその病院で亡くなる。78歳。
1945年、ウーデの提唱により、セラフィーヌの最初の個展がパリで開かれる。


監督・脚本 マルタン・プロヴォスト
脚本 マルク・アブデルヌール(共同)
撮影 ロラン・ブリュネ
美術 ティエリー・フランソワ
衣装 マドゥリーヌ・フォンテーヌ
音楽 マイケル・ガラッソ

出演 ヨランド・モロー,ウルリッヒ・トゥクール,アンヌ・ベネット他

受賞 2009年仏セザール賞作品賞/主演女優賞/脚本賞/撮影賞/作曲賞/美術賞/衣装デザイン賞、他多数

2008年/フランス,ベルギー,ドイツ合作


(*)写真はセラフィーヌ・ルイの作品。
 
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