■良寛のパラドクス
●戒語
一、ことばの多き
一、口のはやき
一、手柄話
一、自慢話
一、人の物言いきらぬうちに物言う
一、よく心得ぬことを、人に教うる
一、人の話の邪魔する
一、酒に酔いて、ことわり言う
一、人のかくすことを、あからさまに言う
一、さしたる事もなきを、こまごまと言う
一、好んで唐(から)言葉をつかう
一、わざと無造作に言う
一、さとりくさき話
一、茶人くさき話
一、風雅くさき話
九十ヶ条からなる良寛「戒語」を抜粋して、
矢代静一「良寛異聞」では、次のように書いてある。
「まだまだあるが、これだけでも分かるように
分かり切った戒めばかりだ。
良寛もむろん月並みな説教であることは
百も承知だったに違いない。
では、なぜわざわざ記したのだろう」
●矢代が「分かりきった戒めばかりだ」と言うのは、
それが、誰しもが認める、ついつい
あるいは、否応なくやることことであるからだ。
だから、戒めとしては「月並み」なのである。
矢代は続けて、こう書く。
「良寛は唐言葉を使わなかったか。
いいえ、使った。
(中略)
繰り返すが、では、なぜわざわざ『戒語』を九十ヶ条も
記したのか。
良寛自身が、他人に向かってではなしに、
極めて率直に自分を戒めているのだ、という解釈が
すぐにやってきた。
けれども、そういう反省だったら
私たちも日常のなかでよくやっている。
恐らく、老いたる良寛はこれらの嫌な言葉だけでなしに、
良い言葉(これだって裏返したら嫌な言葉になる)も使わずに
すむような、透明な境地に到達し、死に臨みたかったのでは
なかろうか」
●まじめに、この「戒語」をとらえ、
素直にそれを実行しようとすることも
困難な私でも、矢代の言わんとするところは
おぼろげながら、わかる気がする。
「いま引用した十五の戒語だけでも、
禁句として禁じて座談に臨んだら、私如き者は、
『こんにちは』、『よいお天気ですね』、『さよなら』ぐらいしか
口の端にのぼってこないだろう」
と書いてあるのには、つい笑ってしまった。
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