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2008年10月14日22:30

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●うみうし独語(283)/■良寛のパラドクス

■良寛のパラドクス

 ●戒語

  一、ことばの多き
  一、口のはやき
  一、手柄話
  一、自慢話
  一、人の物言いきらぬうちに物言う
  一、よく心得ぬことを、人に教うる
  一、人の話の邪魔する
  一、酒に酔いて、ことわり言う
  一、人のかくすことを、あからさまに言う
  一、さしたる事もなきを、こまごまと言う
  一、好んで唐(から)言葉をつかう
  一、わざと無造作に言う
  一、さとりくさき話
  一、茶人くさき話
  一、風雅くさき話


  九十ヶ条からなる良寛「戒語」を抜粋して、
  矢代静一「良寛異聞」では、次のように書いてある。



  「まだまだあるが、これだけでも分かるように
   分かり切った戒めばかりだ。
   良寛もむろん月並みな説教であることは
   百も承知だったに違いない。
   では、なぜわざわざ記したのだろう」




 ●矢代が「分かりきった戒めばかりだ」と言うのは、
  それが、誰しもが認める、ついつい
  あるいは、否応なくやることことであるからだ。

  だから、戒めとしては「月並み」なのである。




  矢代は続けて、こう書く。

  「良寛は唐言葉を使わなかったか。
   いいえ、使った。

   (中略)

   繰り返すが、では、なぜわざわざ『戒語』を九十ヶ条も
   記したのか。
  
   良寛自身が、他人に向かってではなしに、
   極めて率直に自分を戒めているのだ、という解釈が
   すぐにやってきた。


   けれども、そういう反省だったら
   私たちも日常のなかでよくやっている。

   恐らく、老いたる良寛はこれらの嫌な言葉だけでなしに、
   良い言葉(これだって裏返したら嫌な言葉になる)も使わずに
   すむような、透明な境地に到達し、死に臨みたかったのでは
   なかろうか」




 ●まじめに、この「戒語」をとらえ、
  素直にそれを実行しようとすることも
  困難な私でも、矢代の言わんとするところは
  おぼろげながら、わかる気がする。


  「いま引用した十五の戒語だけでも、
   禁句として禁じて座談に臨んだら、私如き者は、
   『こんにちは』、『よいお天気ですね』、『さよなら』ぐらいしか
   口の端にのぼってこないだろう」

  と書いてあるのには、つい笑ってしまった。




  
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