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2005年10月28日00:19

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●日々雑感(49)

■「任」にはあらねど 再び

 ・「普天間基地」のことを報じていた。
  沖縄に、私は行ったこともないし、「沖縄問題」について
  これまで関心をはらってきたわけでもない。
  だから、沖縄のことをほとんど知らない。知らないということは
  自慢する事柄ではない。


 ・また、私には「政治」のことは「柄」にあわない。
  どんなことを喜びとするか、と問われれば
  自分の身の回り、目の届く範囲、手の届く範囲のことがら、
  と答えるタイプの人間である。
  できれば、ボーっとしているのが、よい、と思う人間だ。


 ・にもかかわらず、私の手に負えぬし、「任」でもない
  事柄について書く。正確には「引用」し書き写す。




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  ●ご注意!!

    ・このメモは、自分のために、次の「本」から、
     「抜き書き」「書き写し」をしています。
     
    ・一部、自分の理解しやすいように、改変し、
     叙述の順も、元の「本」とは異なっています。

    ・この本は、とてもいい本です。多くの日本人に
     買ってほしい本です。

    ・そして、読んでほしい「本」です。

    
     ●チャルマーズ・ジョンソン著、屋城通子訳
      「帝国アメリカと日本 武力依存の構造」
      (集英社新書0252) ISBN:4087202526 
      定価660円
 
      ・http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=4-08-720252-6&mode=1&jya_flg=3


 ※この話題の書き起こし
  日々雑感(40)
    ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=46771766&owner_id=1040600  

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■支配される沖縄(1945年〜1990年)


 「1945年から今日まで、(一貫して)沖縄はアメリカの
  軍事植民地である」

 「1945年春の沖縄戦から1952年の講和条約まで、
  琉球諸島は戒厳令によって、米軍に直接支配されていた」

 「1952年から1972年まで、(講和条約の条項に沖縄は
  除外されたため、本土とは異なり)、アメリカ軍は特権的に
  沖縄を所有しつづけた」

 「(つまり)、すでに1947年に施行された日本国憲法を
  沖縄にも適用するよう求める運動が、沖縄で頻発しないように
  アメリカは沖縄に傀儡政権を置くことにした」

 「アメリカの琉球政府代表の、たび重なる拒否権発動で、
  日本の琉球政府は、(その命令に)いちいち従わなければ
  ならなかった」

 「アメリカの琉球政府代表をつとめたのは、常にアメリカ陸軍中将
  である」

 「琉球政府代表は、たとえば1957年には、圧倒的人気で選出された
  瀬長亀次郎・那覇市長を解任した」

 「アメリカは沖縄基地の増強のために、私有地を強制収用したが、
  瀬長市長は、これに抗議する運動の指導者だったからだ」

 「1968年になって、アメリカはようやく、これまでの任命制だった
  琉球政府主席を一般選挙で選出することを認めた」

 「沖縄の即時本土復帰を公約に掲げた元教員の屋良朝苗が
  圧倒的多数の支持を得て、当選した」

 「(この時期)、ベトナム戦争に対する抵抗の強さに、
  このまま沖縄の軍事支配を維持するのは難しいと見た
  アメリカ政府は、日本政府と示し合わせ、沖縄の主権を
  日本に返還することを決めた」

 「最近になってようやく明らかになってきたが、返還条件の
  多くは公表されず、これによって沖縄の米軍施設は手つかず
  のままになった」

 「安保条約では、たとえば沖縄にいる米軍を日本の外に出撃
  させるとき、表むきにはアメリカ政府が日本と事前協議を
  するようになっているが、現実には、日本政府はそうした
  問題にいっさい事前協議を求めないことが、未公開で合意
  されており、アメリカは日本との事前協議の義務を免れている」

 「(屋良朝苗のあと、自民党政権が沖縄を支配することになり)、
  1972年から1990年まで、多くの点で、米軍の沖縄支配の
  <黄金期>を迎えることになった」

 「アメリカは、もはや米軍が駐留していることから来る沖縄の
  人々の痛みに責任を感じる必要がなくなり、(そのかわり)
  日本政府は、少しでも本土並みに近づけるために、湯水の
  ようにカネを注いだ」

 「1972年には44万円だった、沖縄の一人当たり年間所得は
  1990年には4倍の199万円になった」

 「しかし、それでも、沖縄は相変わらず、日本で一番一人当たり
  所得が低く、失業率は最高だった」

 「中央政府からのカネには紐がついており、潤沢な地方交付税や
  特別交付金の見返りとして、沖縄県民は本土のかわりに
  45のアメリカ軍事施設を忍従しなければならなかった」

 「また、本土では、そのおかげで、これ以上基地を増やすことを
  免れた」

 「1972年に沖縄が本土復帰してから2000年まで、
  沖縄県議会が152回、つまり毎年平均5回、米軍基地の
  撤去、あるいは削減を求める決議案を採択しているが、
  ワシントンも、東京もこれをいっさい無視し続けている」



(つづく)

どこに続くのか、
それは小泉であったり、報道(NHK)であったり、
英会話教室・ジオスであったり、
「呟き尾形」さんへの回答であったり
備忘に書いた
ことどもへと続いている。



■次号(日々雑感50)を読む
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=49247120&owner_id=1040600

■前号(日々雑感48)を読む
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=48479442&owner_id=1040600

●この話題の前回(日々雑感43)を読む
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=47321426&owner_id=1040600


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