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2024年02月21日00:01

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イザヤ6:9-13

【イザヤ6:9-13 霊的なことを拒むという預言】
預言者イザヤが民に伝えるよう命じられたことの中には,人は自分の選択の結果には完全に責任を取らなければならない,というメッセージがあった。人は自分の行いに対して言い逃れができないのである。『モルモン書』で9節に相当する箇所では,主がイザヤに向かって,民は大方にわたって御言葉を拒むと語っておられることが記録されている。「主は言われた。『行ってこの民に必ず聞けと告げなさい。』しかし彼らは理解しなかった。『必ず見よと告げなさい。』しかし彼らは悟らなかった。」(2ニーファイ16:9)
民は,自分たちは聞いているし,見ていると主張していた。しかし,伝えられていることの精神を理解していなかったのである。
「この民の心を鈍くし,その耳を聞えにくくし,その目を閉ざしなさい」との命は,民に責任を持たせる過程を描くために使われている。この命は,当然のことながら,「霊的な物の見方,聞き方,感じ方」(カイル,デリッチ『注解』7:1:200)について言ったものである。「悪事のために自ら心をかたくなにすることがある。......罪はその性格上,必ずそれ特有の罰を伴う。悪い行い自体,人が選択の自由によって自ら決定を下したことの結果なのである。」(カイル,デリッチ『注解』7:1:201)真理に反抗したりそれを拒んだりすれば,必ず霊的にかたくなな状態になる(『教会歴史』4:264参照)。ユダ王国に対するイザヤの告発は,『新約聖書』でも再び引用され,その当時の人々も大差のなかったことが分かる。たとえ話を理解できない人が数多くいるが,これもイザヤの預言の成就である(マタイ13:10-17;ルカ8:9-10参照)。多くの奇跡の重要な意味もやはり誤解されている(ヨハネ12:37-41参照)。メシヤと御子についての証は,少なくとも部分的には,弟子たちは理解したが,ほかの人々はそれを拒んだ(ルカ10:21-24参照)。
預言者イザヤはある人々について,彼らはいつまで真理に対して心をかたくなにするのかと主に尋ねた(11節)。それに対して主は,人がこの地上にだれもいなくなるまでと答えられた。
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