mixiユーザー(id:1940449)

2024年02月10日03:03

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誰だって戦争なんかしたくない 2

戦争をしたい 人を殺したいという
人類のマクロをなぜわれわれは自分はそうではないと言いはるのか?
そう答えたほうが共同体的に疎外されずに済むからだ
ていうか そういう人間を共同体は手をつくして淘汰してきたのだ
そりゃあ 隣りにいる人間が「僕は人を殺したくてウズウズしてます」とか言う人間を同じ共同体に置いておく訳にはいかない
しかし 人類の社会的にはマクロでは戦争は起き
しかも その発生は偶然なのだw
戦争がおきる頻度をグラフ化すると地震が起きたりするグラフと同じ形になる
戦争は偶然でありミクロとしての我々がどんなに戦争が嫌いでもそんなことは全然関係ないのだ
因果論ではないのである

では ミクロとしての戦争回避の方策を人類はどのような形式をとったか?
共同体の戦争を避けるというために何をしたか

現代社会ではそれは法だ
まず最初に倫理観があり
その後それは法という形をとる
カントが永久平和を考えたとき 平和の条件として民主主義をあげた
カントの言う民主主義とは 倫理観で統一された法の支配のことである
要するに理性という形の熱量(エネルギー)だ
そのエネルギーがエントロピーをに゙反して戦争への流れを逆流するきっかけだ
ミクロがそのエネルーギーを合力するには民主主義が必要で
カントはそれを理性とする
そして 民主主義でありながら多数決を使わない
それが憲法典で「法の支配」の原則だ
民主主義(多数決)の原則と「法の支配」は基本的に違う原理で
戦後の日本では立憲主義と国民主権と平和主義は同列して教えられる
あれが基本的に間違いなのだw
その3つを同じ論理で成り立たせようとすれば「法の支配」ではなく「法治主義」をとらなければならない
それが 英米法に対する大陸法の考え方だ
が しかし第二次大戦後の憲法典に対する考え方は英米法の影響が強い
ワイマール憲法を多数決で変更したナチスの影響だといわれるが
実際には その論理的不整合をなんとかしようという行為だw


つづく


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