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2023年12月16日19:42

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映画『ヨーロッパ新世紀』

12/14(木)、シネマイーラ浜松で『ヨーロッパ新世紀』を観る。
ルーマニアのクリスティアン・ムンジウ(1968- )の2022年最新作。

フォト

ルーマニアン・ニューウェーブという映画の潮流は、チャウシェスクの独裁政権が倒れた1989年以降に勃興したが、ムンジウはその中心人物のひとりである。
私は2008年にムンジウの第2作目『4ヶ月、3週と2日』を観て、日記に「泥水を飲んだような、腹に鈍重感の残る気持ちに支配された」と書いた。
以下参。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=846217421&owner_id=3341406
『4ヶ月、3週と2日』は2007年、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した。
多作家ではないが、その後に続く作品も様々な賞を獲得している。

2020年、ルーマニアのトランシルヴァニア地方ディトラウという町で、パン工場が外国人を雇用した事に端を発し、住民の反発を招いた事件があったが、ムンジウはこれから本作を発想した。
トランシルヴァニア地方はルーマニアの中心部にあるが、ルーマニア人,ハンガリー人,ドイツ人、そしてロマ(EUの指導で今はジプシーとは呼ばなくなった)等多民族が住んでいる。
古くは神聖ローマ帝国のあとオーストリア=ハンガリー帝国がこの地を治めていた事に由来する。

映画では多言語が使われるため、字幕に、ルーマニア語は白、ハンガリー語は黄色、ドイツ語や英語はピンクの色付けがされている。

この地は鉱物資源で発展したが、EUによって環境問題が提起されて廃山となり、それ以来経済は低迷している。
映画にも、削り取られ、段々になった巨大な円形の廃坑が、人のいない古代ローマの劇場遺跡のような不気味な姿で幾度か映し出される。
地元の働きての多くはやむなく西ヨーロッパ等へ出稼ぎに行く。

この映画の主人公マティアスはドイツ系の血をひく男で、ドイツの食肉生産工場に働きに出ていたが、上司に「怠け者のジプシー」と言われて腹を立て、暴力を働き郷里に逃げ帰ってきた。ジプシーは最下層民と見られていて、マティアスには侮蔑の言葉だった。
突然帰ってきた夫に、妻アナは驚いた。既に彼女の彼に対する愛情は冷えきっていた。
小学生のひとり息子ルディは失語症になっていた。
アナによると、学校に行く時通る森の中で何か恐ろしいものを見たらしく、それ以来言葉を発する事ができないのだ、と。
アナは毎朝付き添ってルディを学校に送っていた。
また、ヒツジの酪農家だった父親のオットーは病に臥せっていて、仕事に出る事もできないありさまとなっていた。

地元のパン工場で副責任者を任されているシーラはハンガリー系の女性。パソコンも使いこなし、チェロも演奏する等、知的階層に属す。
EUの助成金を得るため、工場の雇用を増やさなければならないというミッションを抱えている。
しかし、広告を出しても、働き手の男性は出稼ぎに出ていないし、単純労働の低賃金では応募してくる人がいない。
悩んでいるシーラのところへマティアスがやってきた。マティアスとシーラは以前から深い関係にあったらしい。
知識層で芸術にも携わるシーラのような女性が、何故マティアスのような短気で粗暴な男と関係を続けてきたのかは分からない。が、2人はまた情事を重ねるようになる。

マティアスは妻アナに、ルディの失語症が治らないのは甘やかしているせいだと根拠もない主張。
子供は強い男に育てなければいけないと、猟銃を持って狩りに引っ張りだしたり、(自身の失職や不倫は棚に上げ)父親の威厳を示そうとする。まるで時代遅れの家父長制のマッチョイズムとでも言うべきか。

父親を病院へ連れていくと、MRIで脳内を診る事になった。
この映画の原題は「R.M.N.」。”Rezonanta Magnetica Nucleara”(核磁気共鳴)の略で、日本ではMRIを指す。
断面画像を見ると、脳内の左半分が大きく白濁している。映画では説明されないが、どうやら大きな腫瘍らしい。

シーラはパン工場の求人を人材派遣会社に依頼する事にした。
前後してやってきたのはスリランカからの移民3人である。
彼等はじき職場と仕事に馴染んだ。
しかし、しばらくすると、SNSに彼等を異端視するヘイトが載るようになる。雇用が奴らに奪われた、とか、奴らが触れたパンは不衛生で食べられない、とか、ムスリムは群れて集団になって危険だ、とか…。
そのうちにパンの不買運動やスリランカ人殺害予告に迄発展する。追放のための署名運動も始まった。

村人らは日曜の礼拝時に、問題を神父に訴えた。しかし、神父はそれに対する答えを持っていない。ただ神に祈りましょう、と。
村人は、何語で祈ればいいんだと神父に問う。

ある晩、シーラとスリランカ人達が夕食のテーブルを囲んでいると、窓が割られて火のついた松明が投げ込まれた。
問題は危険なステージに進展した。
シーラが追うと、暗闇の中にクマの縫いぐるみを来た男達がいた。それはトランシルヴァニアの伝統的な祭りで使われているものだった。

集会所に当地に古くから住むルーマニア人,ハンガリー人,ドイツ人ら村人が集められた。シーラや工場経営者も加わったが、スリランカ人は入室を拒否された。
どだい、求人広告を打っても村人からは応募がなかったのだし、工場は衛生対策を講じている、またスリランカ人が全員ムスリムとは限らない。村人等の主張は科学的な根拠がないのだが、集団になって興奮した男女は、シーラらの発言に耳を貸さない。

スリランカ人問題が発端だった筈だが、そのうちにルーマニア人,ハンガリー人,ドイツ人らが言い争う様相となる。彼らが諍い興奮していくさまは1カット17分にも及ぶ長回しで映像に収められた。
日頃の鬱屈が堆積し爆発しそうで、神父も村長も警察署長も説得できない。

加えてEUと傘下国民との間のしこりも表面化してくる。
先にも例を掲げたが、鉱山の廃止、人種差別撤廃、移民対策、野生動物の保護等、EUから(頭ごなしに)降りてくる諸政策は確かにポリティカル・コレクトネスかもしれないが、自分達の日常生活は無視されているとの被害者的な思いもある。
差別された人々は、自分達の下に更に下層民を作りだす事で劣等感を解消しようとする。人種問題を構造的に見ると、それがヨーロッパではロマであり、難民であるかもしれない。単なる人種間の偏見ではなさそうだ。
マティアスの家父長的で粗暴な態度も、同じ根からきているだろう。
次第に大きくなって生命を脅かす腫瘍と、今日のヨーロッパの諸問題や病巣は、共にMRIでスキャンされたかのように浮かび出てくる。

集会所でマティアスは後ろからこっそりシーラの手を握り、だらしなくノンポリを決め込んでいた。おまえの意見はどうなんだと問われると、しどろもどろ。
そこへ、警察官が飛び込んできて大声でマティアスの名を呼ぶ。森で彼の父親のオットーが首吊り自殺をしたと言うのだ。
マティアスは驚き駆けだしていく。集会所にいた男女も多くが彼のあとを追っていった。その中には、アナもルディもいた。
森の奥で枝からぶらさがった父の姿をマティアスは発見する。
追いついたルディはその姿を見て大声で叫び、マティアスの足にしがみつく。
マティアスは、綱を切って父親の遺体を下し、肩に担いで悄然と森を下りていく。

答えも救いもなく、映画は暗転する。

オットーは何故自殺したのだろうか?
ルディの失語症はどこから来たのだろうか?
トランシルヴァニアでは一体何語をしゃべればいいのだろうか?
祖父の自殺のショックでルディの失語症は果たして治ったのだろうか?
粗野で乱暴で、ルディを無理やり強い男にしようとしたマティアスは、彼にとって何だったのだろうか?

ムンジウの脳裏には、大先輩でルーマニア演劇界の巨匠であったリヴィウ・チウレイ(1935-2023)の映画『首吊りの森』(1964)があったかもしれない。
第一次大戦下、オーストリア=ハンガリー帝国の臣下として従軍を余儀なくされたトランシルヴァニアのルーマニア人将校が、ルーマニア王国を敵として戦う事となり、そのジレンマに絶望する。


監督・脚本 クリスティアン・ムンジウ
美術 シモナ・パドゥレツ
撮影 チューダ・ウラジミール・パンドゥ
編集 ミルチャ・オルテアヌ

出演 マリン・グリゴーレ,エディット・スターテ,マクリーナ・バルラデアヌ,オルソヤ・モルドゥヴァン,マーク・ブレニッシ 他

2022年/ルーマニア・フランス・ベルギー
 
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