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2023年09月07日23:44

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『しびれ雲』ケラリーノ・サンドロヴィッチ

8/6(日)のNHK-BS「プレミアムステージ」で放送されたケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出の『しびれ雲』をようやく観る事ができた。

フォト

KERA・MAPに位置付けられる作品で#010のナンバーが付されている。

これ迄に私はケラリーノ・サンドロヴィッチ(1963- )の作品を5本(『祈りと怪物』(2012/初演),『グッド・バイ』(2015/同),『パン屋文六の思案』(2014/同),『ドクター・ホフマンのサナトリウム』(2019/同),『陥没』(2019/再演))観ている。何れも放送による。
多作家で、多様な作品を作ってきたケラだが、今回の『しびれ雲』はこれ迄のどれとも違うようだ。

収録は2022年11月、下北沢の本多劇場公演。
新型コロナの蔓延で開演が1週間程遅れたが、その後、兵庫県立芸術文化センター、北九州芸術劇場、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館と巡回した。

インタビューに答えケラ本人がこう言っている、
「観客にとっての求心力となるものを事件に置かない、という事を最初に決めていた。
出来事で見せていくっていうのはさんざんやってきた、今回はそれに頼らずに書くって事に挑戦してみたかった。
それで思い浮かんだのが小津安二郎(1903-63)の一連の映画作品だ。
つつましやかな市井の人々を描き続けた監督だが、彼が、晩年にもう少し起伏のあるドラマティックなものを撮らないのかって質問を受けた時、小津は、自分は”豆腐屋”なので豆腐しか作れないんだ。カツレツやビフテキはその専門家が作ればいい、そう言った。
僕は、今迄いろんな料理を作ってきたけれども、50歳代の終わりを迎えて、今回は、敢えて豆腐を作ってみようという宣言をした。
豆腐というのは、何も大きな事件を起こさず、人々の小さな怒りや悲しみ、小さな喜びやほっとした時間、そういうもので作品を紡げないかという挑戦をしたくなったんだ」。

これ迄のケラ作品には、不条理、ブラックユーモア、皮肉、ナンセンス、反日常、歴史を書き換える試み、等がいっぱい詰まっていて、コメディであっても苦い後味が残った。
『しびれ雲』には、表向きと異なる後味はない、平凡な人々のほのぼのとした日常に笑い、そしてしんみりとする。

場と時は、「梟島(ふくろうじま)」という都会から離れた架空の小島、昭和10年代のある年の秋から年末。
独特な方言をしゃべる人達の小さなコミュニティ、その生活ぶりがゆっくりとしたテンポで表現される。
タイトルの「しびれ雲」とは、この島で秋から冬に稀に見られる雲で、この雲が空に現れると島の潮目が変わる、そう昔から信じられていたとの事だ。

6年前に亡くなった夫国男の七回忌法要を迎えた波子(緒川たまき)は出席者達を待っている。
妹の千夏(ともさかりえ)は、前日帰宅しなかった夫文吉(萩原聖人)を迎えに友人万作(菅原永二)の家にやってきた。二人は愛し合っているのが傍からよく分る程だが、まるで子供のように何かといがみあってばかりいる。
波子は千夏と出会い、遅いではないかと言うが、どうやら開始時間を間違えて伝えたのは波子だったようだ。姉妹のとぼけた会話は、法事が間際に迫っても、少しも深刻に聞こえない。

近くの桟橋に停泊していた小船から呻き声がする。
姉妹と文吉は驚き、怖々近づくと、頭に血が付いた男(井上芳雄)が倒れていた。
見た事もない顔で、言葉からすると都会から来たらしい。
話しが嚙み合わないのは、男が記憶を失っているせいだ。

ここ迄がプロローグで、暗転しクレジットが映像で表示される。

記憶喪失の男の登場で、しかし、島の人々の実直な暮しが変わる訳でもない。
波子の亡夫の実家で七回忌の法要は無事終わる。
その家の2階で男は休んでいる。
皆は、男の噂をする中で、名前がないのはややこしいと仮にフジオと名付ける。
島の住人の目撃者から、男は前夜自殺を試みたらしい事が分るのだが、少しばかりのケガで済んだ事から、不死身のフジオという訳だ。(笑)
人々は異邦人を怖がるでも排斥するでもなく、親身になって受け容れる。
フジオは記憶を取り戻さないが、じき方言を真似る等、表向き悲壮感も焦燥も葛藤もない。
文吉の友人万作が勤める島のネジ工場で働き始め、島の生活に馴染んでいく。

波子の義父、つまり亡夫の父一男(石住昭彦)は最近どうも認知症らしき気配がある。
昔は寿司屋を営んでいたので、時々子供達を客と勘違いし、注文を訊いては寿司を握る手つき。家族は嬉しそうな一男の様子を見て、客のフリを続ける。
フジオと認知症の一男は、記憶という観点では似た者同士だと言えるだろう。
一方波子はその対岸にいる。6年経っても夫への愛が生きるよすが、夫の記憶によって彼女は生きている。
国男の家族は再婚を勧めるが、波子は笑ってとりあわない。

生前国男の親友だった3人の男、医者の新太郎(松尾諭)、バー経営者の柿造(緒方宣久)、ケーキ屋の一介(佐久間弘城)は揃って波子に惚れていた。結婚すると聞かされると、出し抜いた国男と3人は殴り合いをする程だった。それも仲が良ければこそである。
2階でフジオの様子を診たのは新太郎だが、周囲からはヤブ医者だと思われていた。
3人の中で、特にケーキ屋の一介は、今でも波子が忘れられず、きっかけがある度に試作のケーキを持ち寄る等した。
亡くなって6年も経つのだから、と、自分の気持を波子に伝えたい思いに駆られるが、引っ込み思案の一介になかなかチャンスは訪れない。
観客には彼の気持ちがよく分り、つい応援したくもなる。

それぞれ細やかなエピソードが重ねられ、それぞれの生活の営みや心模様が起ち上ってくる。
この作品に悪人は一人もいない、皆愛すべき人達だ。

やがて、東京からある男がフジオの正体が書かれているという分厚い書類を持ってくる。男は国男の七回忌のあと、人妻と駆け落ちして僧職をやめた元生臭坊主で、今は自称ジャーナリスト。
フジオの本名を明かし、「すごい経歴の持主」なのだと。
だが、それは島の人達が聞いた事もない名である。
皆はともかく書類を受け取り、すごい人だったのだと感心しながら、港にいるフジオの許へ歩いていく。
これで記憶も戻るし、良かった、と。

だが、不思議な事にフジオは受け取りを拒否する、
「僕は今僕の人生を生きてるんよ。こがいに楽しゅう生きてるのに、わざわざ別の人に戻るなんちゅう事は考えられん」、
「僕の名前は不死身のフジオです」と。
驚きつつも、彼の決心を喜ぶ人々。
無理やり書類を手渡されたフジオは、にこやかな顔つきで防潮堤に上がり、読みもせずに撒いてしまう。紙は風に乗ってばらばらと海へ。

やっとの事で文吉と仲直りした千夏は、(客席の背後の方の)空を指差して、しびれ雲を見つける。そして、「来年はいい年になるとええねえ」と。
波子も、千夏の手を取り、笑顔を見せて「来年はきっといい年になる」と言う。
人々も口々に、それぞれの思いを籠め、「きっといい年になる」。

人は、過去がどうであろうと、どんな経歴であろうと、前に向って生きるしかない。


作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
美術 柴田隆弘
映像 上田大樹
照明 岡田裕二
音楽 鈴木光介
衣裳 黒須はな子

出演 井上芳雄,緒川たまき,ともさかりえ,萩原聖人,石住昭彦,三上市朗,安澤千草,森準人,富田望生,松尾諭,尾方宣久,三宅弘城,菅原永二,清水葉月

収録 2022年11月/本多劇場
放送 2023年8/6、NHK-BS「プレミアムステージ」


以下は、私の勝手な想いである。
紙に書かれていたフジオの経歴はどんなだったか? それを読めば、東京を逃げだして自殺しようとした訳も分かったに違いない。
それはそれとして、フジオは過去を捨てる選択をし、本当のフジオになって島で暮らしていく決心をしたのだ。
ひょっとしたら、書類を貰う前に、記憶は戻っていたとという事もあるかもしれない。

一番気になるのは七回忌を済ませた波子の「いい年」がどんな年か?である。
 
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