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2023年07月14日21:21

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ストロング小林さん追悼(443)

79年新日本プロレス創立7周年記念「ビッグ・ファイト・シリーズ」は2月23日、千葉公園体育館で開幕。タイガー・ジェット・シン、スタン・スタージャック、ジョニー・マンテル、ペーロ・アグアヨ、ベビー・フェイス、ハン・リー、サイレント・マクニーの外国人レスラーが参加。

外国人ヒールサイドとして「狼軍団」の上田馬之助、マサ齋藤がシリーズ全戦参加、首領のヒロ・マツダがシリーズ後半戦に特別参加。

また、75年6月にメキシコ武者修行に出発し、現地でスペル・エストレージャとなったリトル浜田(浜田広秋)が「グラン浜田」として3年8か月ぶりに凱旋帰国を果たします。

外国人エース格のシンは、前78年8〜9月の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」以来5か月ぶりの来日、前回は凶悪コンビの相方、上田と壮絶な仲間割れ、両雄の一騎討ちの舞台となった9月19日、大阪府立体育会館は9,500人超満員札止めの観客を動員、特別レフェリーの猪木に暴行を加えて14分45秒、反則負け。

2日後の9月21日、品川プリンスホテル・ゴールドホールでは猪木のNWFヘビー級王座に挑戦、大阪での上田戦で負傷を負わせた左肘を集中攻撃しましたが25分37秒、大逆転のバックドロップでフォール負けを喫しました。今回、猪木のNWFヘビー級王座を再び狙っての来日となりました。

元WWWFヘビー級王者、「狼男」スタージャックは74年4〜5月の「第1回ワールド・リーグ戦」以来約5年ぶり、2度目の新日本プロレス来日となります。

1937年4月13日、カナダ・ケベック州出身の当時41歳。少年時代からアイスホッケー、ボクシング、レスリングなどのスポーツで活躍し、モントリオール地区のスターだったユーボン・ロバートにスカウトされプロレス入り。58年のデビュー後、カナダ各地やアメリカ中西部を転戦してヒールとしてのキャリアを積み、60年代初頭にはメインイベンターとしてNWAの本拠地セントルイスを中心としたセントラルステーツ地区にて、ルー・テーズ、ジョニー・バレンタイン、パット・オコーナー、カウボーイ・ボブ・エリスなどのトップスターと対戦しました。

65年、カナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにてドン・レオ・ジョナサンを破り、カルガリー版のNWAカナディアン・ヘビー級王座を獲得。

同年より太平洋岸北西部をサーキット・エリアとするドン・オーエン主宰のPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)に進出、6月18日にマッドドッグ・バションからNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を奪取。以降、キャリア末期までPNWを主戦場に活躍、看板タイトルである同王座には、ムーンドッグ・メインやダッチ・サベージらを降して通算7回に亘り戴冠しています。

初来日は66年12月、東京プロレスの旗揚げ第2弾、及び単独最終シリーズとなる「チャンピオン・シリーズ」。12月14日、仙台・宮城県スポーツセンター、12月19日に東京体育館にて、猪木のUSヘビー級王座に連続挑戦しました。

帰国後、カルガリーのスタンピード・レスリングでは68年9月16日にアーチ・ゴルディー(モンゴリアン・ストンパー)を破り、NWAカナディアン・ヘビー級王座の後継タイトルであるNWA北米ヘビー級王座を獲得。

69年3月、国際プロレス「ワールド選抜シリーズ」に再来日、ストロング小林は欧州武者修行中の為、スタージャックとの対戦はなし。

4月12日、埼玉県熊谷市民体育館でタンク・モーガンと組んで豊登&サンダー杉山組のTWWA世界タッグ王座に挑戦。1−1から反則負けとなり、王者組はルールにより27度目の防衛戦を果たしたものの、王者組は反則負け防衛を潔しとせずベルトを返上し、豊登&杉山組連続防衛記録は27でストップしました。

4月20日、名古屋市金山体育館で杉山がパートナーを豊登からラッシャー木村に代えて、スタージャック&Tモーガン組と王座決定戦を行い2−1で勝ち第3代王者チームとなっています。このあたりはIWA世界タッグ王座が新設されることになっており、欧州武者修行中のS小林と組んで初代王座決定戦に出場する豊登と入れ換えを行った感じです。

4月22日に大田区体育館にてビル・ロビンソンのIWA世界ヘビー級王座に挑戦、2−1で敗れています。

70年はジム・バーネットが主宰していた時期のオーストラリアに遠征して、12月4日にキング・イヤウケアから豪州版IWA世界ヘビー級王座を奪取、72年はテキサスのダラス地区の「ビッグタイム・レスリング」(フリッツ・フォン・エリック主宰)に参戦、6月24日にレッド・バスチェンを破り、NWAテキサス・ヘビー級王座を獲得。ブラスナックル王座にも戴冠し、フリッツ、ベアキャット・ライト、ブル・カリー、ミル・マスカラス、ワフー・マクダニエルらと抗争するなどトップヒールとしてポジションを確立しました。

ダラス地区のルートから、73年2月にはクラッシャー・スタージャックのリングネームで全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ結集戦」に3度目の来日を果たしましたが同シリーズではブルーノ・サンマルチノ、ハーリー・レイス、ボボ・ブラジル、パット・オコーナーら大物が特別参加した為、目立つ活躍は出来ず。

同年後半よりWWWF地区に登場、グラン・ウィザードをマネージャーにトップヒールで活躍、チーフ・ジェイ・ストロンボーやトニー・ガレアなどのベビーフェイスの人気選手から勝利を収め、ブラックジャック・ランザやラリー・ヘニングと共闘してアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦しました。 

73年12月1日、ペンシルベニア州フィラデルフィアにてペドロ・モラレスを破り、第5代WWWFヘビー級王座を獲得、僅か9日後の12月10日、ニューヨークMSGでブルーノ・サンマルチノに敗れ短命王者に終わったものの、モラレス政権から第2次サンマルチノ政権への「橋渡し役」を担ったことで、イワン・コロフ、後のアイアン・シークと並び、彼の名は世界のプロレス史に永久に刻まれることとなりました。

74年4月、元WWWFヘビー級王者」という肩書のもと、ビンス・マクマホン・シニアのブッキングで新日本プロレスの「第1回ワールド・リーグ戦」に4度目の来日。外国人選手の招聘ルートがまだまだ脆弱だった当時の新日本にとっては大物の扱いであり、東京プロレス以来の猪木との再戦も注目されました。

スタージャックはこれで、日本プロレスを除く東京プロレス、国際プロレス、全日本プロレス、新日本プロレスの昭和4団体を完全制覇した外国人レスラー第1号としても日本プロレス史に名を残したことになります。

日本人vs外国人別総当たりリーグ戦となった予選リーグ公式戦では猪木、坂口征二に負け、M齋藤、山本小鉄と両者リングアウトとなり、キラー・カール・クラップ、ジ・インベーダー(ビル・ドロモ)に次ぐ外国人側3位で予選を通過し決勝リーグに進出。

しかし、日本人、外国人全員での総当たりリーグ戦となった決勝リーグ戦では、星野勘太郎とジート・モンゴルに勝ち、クラップと両者リングアウト、後は負けで2.5点と不調に終わりました。

帰国後も全米各地で活躍し、デトロイトではザ・シークと流血戦を展開。75年3月にはデトロイトおよびカナダ・トロントにてジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦し敗退。

主戦場の一つであるトロントでは、翌76年1月11日にもテリー・ファンクのNWA世界ヘビー級王座に挑戦したほか、古巣WWWFでも11月22日にはニューヨークMSGでWWWFヘビー級王座を明け渡したサンマルチノに挑戦、4月26日にスタン・ハンセンに首の骨を折られ不調のサンマルチノにドクターストップ勝ち、12月20日、同所での再戦では「シシリアン・ストレッチャーデスマッチ」(敗者担架退場マッチ)でサンマルチノの執念の前にKO負けしています。

翌77年11月20日にはサンマルチノを破った第7代WWWFヘビー級王者、スーパースター・ビリー・グラハムにも挑戦。78年1月8日にはニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座にも挑むなど当時の世界3大王座に再三挑戦するなどアメリカでは大活躍。

猪木、坂口、星野、小鉄らとは5年ぶりの対戦、藤波辰巳、S小林、長州力とは初対決となります。

Jマンテルはシンと同様、前78年8〜9月の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」以来5か月ぶり2度目の来日、元NWA世界ジュニア・ヘビー級王者のケン・マンテルを兄に持ち、レスリングの上手さで試合巧者ぶりを如何なく発揮。

前回の初来日では9月1日、福島県会津体育館でシンと上田が仲間割れし、両者がタッグを組むことがなくなり、シン、上田とそれぞれ別個にタッグを組み安定した試合を披露。ベテランの実力者、ピート・ロバーツとタッグを組み、藤波、木戸修ともテレビマッチで対戦しています。(この項続く)
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