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2021年07月13日01:00
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「没後70年 吉田博展」/静岡市美術館〜その2
(続き)
◆第3章「特大版への挑戦」
1926(大正15)年、ヤマザクラの希少な大木が伐られ、売りに出される事を知った博は、特大サイズの木版画制作を思いつく。「特大版」とは1辺が70cmを超える、当時にあっては並外れた大画面木版画である。
まずは明治期の自作水彩画を翻案した《雲井櫻》(1926)と〈富士拾景〉シリーズの《朝日》(同)を仕上げ、1928(昭和3)年迄に全6点を完成させた。とりわけ博の木版画の中で最大サイズの《雲海 鳳凰山》(1928/54.5×82.7cm)には、登山家でもあった吉田博ならではの神々しく壮大な展望美が描かれている。
伝統的な木版画は、湿らせた和紙に色を摺り重ねてゆく。湿ると伸び、乾くと縮む紙の性質を計算に入れて線と色を合わせなければならないが、特大版では日頃の勘が活かされず、《雲井櫻》初摺においては、摺師2人がかりで当たったものの、サクラの枝と花がずれてしまう等、苦労したというエピソードが伝わっている。
◆第4章「富士を描く」
吉田博は時に「山の画家」あるいは「山岳画家」と呼ばれる。幼い頃から山歩きを好み、山を主題に絵を描いたが、大正の始め頃からそれは本格的な登山となり、画材を求めて毎夏日本アルプスに行く事が習わしとなった。
登山に際し、博は案内人等と伴にパーティを組み、気長に滞在して、理想的な天候や描きたい雲、光をひたすら待った。学友の高村真夫によれば、博は「何んでも高い山を見ると其テッペンを登り切らないと腹の虫が収まらない」人間であり、幾度も出かけた富士山等は「自分の家の庭位に考えて居る様」だったという。
博は愛する山を繰り返し画題に選び、中でも富士山は〈富士拾景〉シリーズ(1926,28)等数多くの作例がある。登山家が描いた姿だけに、山頂から、山腹から、麓から、と次々に視点が変わり、海や湖、川といった水辺と併せる等、豊かなヴァリエーションを実現している。
本レポートその1に貼付したチラシの裏に〈富士拾景〉の《朝日》(1926)が掲載されている。
・コラム「山が映しだす博の人柄」
吉田博は、制作においては完璧を追求するためあらゆる手段を尽したが、登山では無理をしなかった。常に余裕のある日程で臨み、詳しい山案内人を伴った。
日本アルプスに分け入る一方で、阿蘇山のような雄大な裾野も愛した。絶壁や絶頂を目指すだけでなく、麓からの眺めも尊重した。北米のロッキー山脈やヨーロッパアルプス、ヒマラヤにも足を運んだが、鉄道や自動車も効率よく利用した。案内人等の忠告はよく聞き、彼等への気遣いも忘れなかった。
また、世界の山々と日本のそれの優劣を論ずる事もなかった。
自然との対峙の仕方、描き方についてはアメリカ人画家ホイッスラーに傾倒した。だが、やがて西洋の人文主義的美学とは距離を置き、「けれども私は自然を崇拝する側に立ちたい」という言葉に表れているように、東洋的美意識を自覚している。
◆第5章「東京を描く」
吉田博は17歳で上京してから亡くなる迄の55年余りを東京に暮らしたが、山々の壮観や旅先の絶景を描く事が多く、東京に取材した作品は意外に少ない。
本章は、シリーズ〈東京拾二題〉(1926-29)を中心に、博が描いた東京の姿を集めた。
そこには過ぎし日の美しい東京が詩情豊かに表現され、画の中には、花見や金魚すくいに興じる人々、和服でそぞろ歩く女性達がいる。が、中心は街の風情であり、人々はその部分である。どちらかと言えば、博は人物表現をあまり得意としなかったようだ。
連作《墨田川》(1926)は、私淑したアメリカの画家ホイッスラーのテムズ河景を想起させる。
《中里之雪》(1928)では、初めて墨版に亜鉛凸版を用い、版を巧みにざらつかせ、降りしきる雪が見事に活写されている。
中里は東京都北区の南東部にある町で、豊島区とも接している。
こんなに深い雪が降った事があったのにも驚く。
・コラム「吉田博と上野」
1901(明治34)年、吉田博は満谷国四郎等と伴に、黒田清輝が結成した「白馬会」に対抗し、「明治美術会」を継ぐ「太平洋画会」を結成した。
彼等の第1回展は、嘗て内国勧業博覧会に際し上野公園に建設された第5号館で開催された。同館は、太平洋画会が白馬会とはっきり対立する事になる1907(明治40)年の東京府勧業博覧会の際に取り壊され、その跡地に第2号館が建設された。
その館は、博覧会終了後に東京帝室博物館に委譲され、「竹の台陳列館」と呼ばれて明治から大正にかけて数々の美術展の舞台となる。
竹の台陳列館は、プロローグで、漱石『三四郎』との縁の解説でも触れている。
ついでに言えば、竹の台陳列館の役割を引き継ぐかたちで建設されたのが、1926(大正15)年に開館した東京府美術館(現在の東京都美術館)である。
上野の地は、多くの芸術家にとってそうであったように、吉田博にとっても特別な場所だったと思われる。本章出品の《上野公園》(1938)は、満開のサクラの下を歩く大勢の人々を描いている。
同画面中央に建つ五重塔は、江戸時代、上野東照宮に寄進されたものだが、明治初期の神仏分離令で各地の神社の仏塔や仏像が取り壊される中、寛永寺の所属に移される事で危うく難を逃れた。その後、1958年になると、寛永寺から東京都に寄付され、現在は動物園内で「旧寛永寺の五重塔」として当時の美しい姿を伝えている。
山々の壮観や旅先の絶景を描く事が多かった吉田博だが、慣れ親しんだ東京の街の風情もまた良い。
◆第6章「親密な景色：人や花鳥へのまなざし」
吉田博は、身近な樹や草花、動物にもこまやかなまなざしを向けた。写生帖には、牛馬や大小の鳥、高山あるいは庭の花々が数多くスケッチされている。
シリーズ〈動物園〉(1926)では、オウムの羽毛に空摺(絵具をつけずに摺り凸凹を出す技法)が用いられ、迫真に迫る効果を上げている。
博は望む表現を形にするために、彫りを自ら手がける事もあった。
木版画に表わされた家族の姿は、観る者を和やかな気持ちにさせてくれる。
1926(大正15)年に生れた次男の穂高(ほだか)を描いた《こども》(1927)、スケッチをする長男の遠志と穂高、妻ふじをを池の手前から捉えた《池の鯉》(1926)。
《秋之銀杏》(1929)では子犬の太郎と遊ぶ遠志をイチョウの大木の下に表わし、《つゝじの庭》(1935)は東京の下落合の自庭にくつろぐ女性達を描く。
硬派イメージの濃い博だが、自宅の設計や装飾にも深い関心を寄せ、子や孫とよく遊ぶ家庭人でもあった。
次男の名「穂高」は、実に山を愛した博ならではだ。
◆第7章「日本各地の風景�� 1926-30」
吉田博は旅を好んだ。数ヶ月に及ぶ登山や旅行をする事も、日常的な事であった。国内では、1898(明治31)年初夏に丸山晩霞と日本アルプスを踏破したほか、仲間達と瀬戸内海や沖縄へ長期の写生旅行に出かけた事もあった。
1925(大正14)年に私家版による木版画制作に着手してからは、夏場は旅先でスケッチや水彩画・油絵を描き、秋から春にかけてはアトリエで木版画を制作するのが毎年の習わしとなった。
本章では、昭和の初め頃に制作した日本各地の風景画を紹介している。
シリーズ〈日本南アルプス集〉(1928)と〈瀬戸内海集 第二〉(1930)は、何れも博が愛し、しばしば訪れた山と海に取材している。後者は1930(昭和5)年に船頭と料理人付きの小舟をチャーターし、2ヶ月に亘り画友等と瀬戸内海に過ごした時の収穫である。博は瀬戸内海に浮かぶ小島の群れを、雲海に山の頂がいくつも顔を出しているように見たて、その美しさを称揚したという。
本章に展示された《中房川奔流》(1926)の画像は、冒頭のリンク文中に見る事ができる。博の水の表現力には舌を巻く。
(続く)
◆第3章「特大版への挑戦」
1926(大正15)年、ヤマザクラの希少な大木が伐られ、売りに出される事を知った博は、特大サイズの木版画制作を思いつく。「特大版」とは1辺が70cmを超える、当時にあっては並外れた大画面木版画である。
まずは明治期の自作水彩画を翻案した《雲井櫻》(1926)と〈富士拾景〉シリーズの《朝日》(同)を仕上げ、1928(昭和3)年迄に全6点を完成させた。とりわけ博の木版画の中で最大サイズの《雲海 鳳凰山》(1928/54.5×82.7cm)には、登山家でもあった吉田博ならではの神々しく壮大な展望美が描かれている。
伝統的な木版画は、湿らせた和紙に色を摺り重ねてゆく。湿ると伸び、乾くと縮む紙の性質を計算に入れて線と色を合わせなければならないが、特大版では日頃の勘が活かされず、《雲井櫻》初摺においては、摺師2人がかりで当たったものの、サクラの枝と花がずれてしまう等、苦労したというエピソードが伝わっている。
◆第4章「富士を描く」
吉田博は時に「山の画家」あるいは「山岳画家」と呼ばれる。幼い頃から山歩きを好み、山を主題に絵を描いたが、大正の始め頃からそれは本格的な登山となり、画材を求めて毎夏日本アルプスに行く事が習わしとなった。
登山に際し、博は案内人等と伴にパーティを組み、気長に滞在して、理想的な天候や描きたい雲、光をひたすら待った。学友の高村真夫によれば、博は「何んでも高い山を見ると其テッペンを登り切らないと腹の虫が収まらない」人間であり、幾度も出かけた富士山等は「自分の家の庭位に考えて居る様」だったという。
博は愛する山を繰り返し画題に選び、中でも富士山は〈富士拾景〉シリーズ(1926,28)等数多くの作例がある。登山家が描いた姿だけに、山頂から、山腹から、麓から、と次々に視点が変わり、海や湖、川といった水辺と併せる等、豊かなヴァリエーションを実現している。
本レポートその1に貼付したチラシの裏に〈富士拾景〉の《朝日》(1926)が掲載されている。
・コラム「山が映しだす博の人柄」
吉田博は、制作においては完璧を追求するためあらゆる手段を尽したが、登山では無理をしなかった。常に余裕のある日程で臨み、詳しい山案内人を伴った。
日本アルプスに分け入る一方で、阿蘇山のような雄大な裾野も愛した。絶壁や絶頂を目指すだけでなく、麓からの眺めも尊重した。北米のロッキー山脈やヨーロッパアルプス、ヒマラヤにも足を運んだが、鉄道や自動車も効率よく利用した。案内人等の忠告はよく聞き、彼等への気遣いも忘れなかった。
また、世界の山々と日本のそれの優劣を論ずる事もなかった。
自然との対峙の仕方、描き方についてはアメリカ人画家ホイッスラーに傾倒した。だが、やがて西洋の人文主義的美学とは距離を置き、「けれども私は自然を崇拝する側に立ちたい」という言葉に表れているように、東洋的美意識を自覚している。
◆第5章「東京を描く」
吉田博は17歳で上京してから亡くなる迄の55年余りを東京に暮らしたが、山々の壮観や旅先の絶景を描く事が多く、東京に取材した作品は意外に少ない。
本章は、シリーズ〈東京拾二題〉(1926-29)を中心に、博が描いた東京の姿を集めた。
そこには過ぎし日の美しい東京が詩情豊かに表現され、画の中には、花見や金魚すくいに興じる人々、和服でそぞろ歩く女性達がいる。が、中心は街の風情であり、人々はその部分である。どちらかと言えば、博は人物表現をあまり得意としなかったようだ。
連作《墨田川》(1926)は、私淑したアメリカの画家ホイッスラーのテムズ河景を想起させる。
《中里之雪》(1928)では、初めて墨版に亜鉛凸版を用い、版を巧みにざらつかせ、降りしきる雪が見事に活写されている。
中里は東京都北区の南東部にある町で、豊島区とも接している。
こんなに深い雪が降った事があったのにも驚く。
・コラム「吉田博と上野」
1901(明治34)年、吉田博は満谷国四郎等と伴に、黒田清輝が結成した「白馬会」に対抗し、「明治美術会」を継ぐ「太平洋画会」を結成した。
彼等の第1回展は、嘗て内国勧業博覧会に際し上野公園に建設された第5号館で開催された。同館は、太平洋画会が白馬会とはっきり対立する事になる1907(明治40)年の東京府勧業博覧会の際に取り壊され、その跡地に第2号館が建設された。
その館は、博覧会終了後に東京帝室博物館に委譲され、「竹の台陳列館」と呼ばれて明治から大正にかけて数々の美術展の舞台となる。
竹の台陳列館は、プロローグで、漱石『三四郎』との縁の解説でも触れている。
ついでに言えば、竹の台陳列館の役割を引き継ぐかたちで建設されたのが、1926(大正15)年に開館した東京府美術館(現在の東京都美術館)である。
上野の地は、多くの芸術家にとってそうであったように、吉田博にとっても特別な場所だったと思われる。本章出品の《上野公園》(1938)は、満開のサクラの下を歩く大勢の人々を描いている。
同画面中央に建つ五重塔は、江戸時代、上野東照宮に寄進されたものだが、明治初期の神仏分離令で各地の神社の仏塔や仏像が取り壊される中、寛永寺の所属に移される事で危うく難を逃れた。その後、1958年になると、寛永寺から東京都に寄付され、現在は動物園内で「旧寛永寺の五重塔」として当時の美しい姿を伝えている。
山々の壮観や旅先の絶景を描く事が多かった吉田博だが、慣れ親しんだ東京の街の風情もまた良い。
◆第6章「親密な景色：人や花鳥へのまなざし」
吉田博は、身近な樹や草花、動物にもこまやかなまなざしを向けた。写生帖には、牛馬や大小の鳥、高山あるいは庭の花々が数多くスケッチされている。
シリーズ〈動物園〉(1926)では、オウムの羽毛に空摺(絵具をつけずに摺り凸凹を出す技法)が用いられ、迫真に迫る効果を上げている。
博は望む表現を形にするために、彫りを自ら手がける事もあった。
木版画に表わされた家族の姿は、観る者を和やかな気持ちにさせてくれる。
1926(大正15)年に生れた次男の穂高(ほだか)を描いた《こども》(1927)、スケッチをする長男の遠志と穂高、妻ふじをを池の手前から捉えた《池の鯉》(1926)。
《秋之銀杏》(1929)では子犬の太郎と遊ぶ遠志をイチョウの大木の下に表わし、《つゝじの庭》(1935)は東京の下落合の自庭にくつろぐ女性達を描く。
硬派イメージの濃い博だが、自宅の設計や装飾にも深い関心を寄せ、子や孫とよく遊ぶ家庭人でもあった。
次男の名「穂高」は、実に山を愛した博ならではだ。
◆第7章「日本各地の風景�� 1926-30」
吉田博は旅を好んだ。数ヶ月に及ぶ登山や旅行をする事も、日常的な事であった。国内では、1898(明治31)年初夏に丸山晩霞と日本アルプスを踏破したほか、仲間達と瀬戸内海や沖縄へ長期の写生旅行に出かけた事もあった。
1925(大正14)年に私家版による木版画制作に着手してからは、夏場は旅先でスケッチや水彩画・油絵を描き、秋から春にかけてはアトリエで木版画を制作するのが毎年の習わしとなった。
本章では、昭和の初め頃に制作した日本各地の風景画を紹介している。
シリーズ〈日本南アルプス集〉(1928)と〈瀬戸内海集 第二〉(1930)は、何れも博が愛し、しばしば訪れた山と海に取材している。後者は1930(昭和5)年に船頭と料理人付きの小舟をチャーターし、2ヶ月に亘り画友等と瀬戸内海に過ごした時の収穫である。博は瀬戸内海に浮かぶ小島の群れを、雲海に山の頂がいくつも顔を出しているように見たて、その美しさを称揚したという。
本章に展示された《中房川奔流》(1926)の画像は、冒頭のリンク文中に見る事ができる。博の水の表現力には舌を巻く。
(続く)
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