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2019年12月04日21:27

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横浜丸井の変遷

 横浜駅東口のスカイビルは、1996(平成8)年に建て替えられて、地下2Fから8Fまで、丸井がテナントとして入っている。私が横浜に住み始めたのも、だいたいこの頃で、横浜駅からこのビルには何度も足を運んだ。

 丸井自体は、御茶ノ水の予備校に通っていた頃、新宿へ足を伸ばして服を買っていた。モールラックというタケオキクチ系のブランドで、店長さんとなぜか仲良くなった。横浜の丸井にも同じブランドがあって、モールラック自体がなくなるまで、横浜でも買い物をしていた。

 1990年代は、若者向けの服が多様にあって、横浜の丸井も大勢の人たちが詰めかけていた。セールの頃は、開店前に列ができていた。それが2000年くらいになってくると、ユニクロの台頭によって、アパレルの雰囲気も変わっていく。モールラックというブランドがなくなったのも、その頃だった。

 それでも、丸井は若者をターゲットに商品を展開していたけれど、だんだんとテナントの雰囲気が変わっていった。同じようなブランドがフロア全体を占めていたのとは違って、それこそユニクロなども入るようになったからだ。その後も、100円ショップのセリアが入り、ポケモンセンターがランドマークタワーから引っ越してきた。そして駿河屋もオープンする。
 時代とともに店舗は変わっていくとはいえ、丸井はとりわけ大きく変化したといえる。90年代、丸井でプラモデルが売られているなんて考えもしなかった。

 少子化が進んで、若者の数が大きく減ってきていることは、とりわけ丸井のような店舗にとって、業態の転換を含めた運営をせざるを得なくなる。ポケセンや駿河屋がフロアに入ったことは、従来のようなアパレルのみに頼るのではなく、グッズやエンタメなどにすそ野を広げて、顧客を確保しようという姿勢のあらわれといえよう。

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マルイが駿河屋と資本業務提携契約 実店舗、EC販売ともに拡大を目指す
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=5889462
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