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2019年07月06日22:33

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政界再編のホープたちのいま

 7月4日、参院選の公示が行われ、選挙カーが街を走り、候補者の演説もあちらこちらで聞かれるようになった。私の印象でしかないけれど、今回の参院選に対する有権者の熱はあまり感じられない。序盤は、自公が過半数を維持、現有議席前後を確保する見込みと報じられている。野党は立憲民主が議席増の見通しとのことだけれど、ほかは伸び悩んでいるという。


 今回の選挙、神奈川では前県知事、前横浜市長が揃って立候補している。選挙区には前知事の松沢成文氏が維新から出馬している。比例代表では前横浜市長の中田宏氏が自民から出ていた。
 二人とも、キャリアが似通っている。初当選はともに1993年の衆院選。松沢氏は新生党から、中田氏は日本新党に属してそれぞれ当選している。その後、新進党を経て民主党(中田氏は推薦)で衆院議員三期を務める。
 その後、2002年に中田氏が横浜市長選に立候補、2003年には松沢氏が神奈川知事選に立候補して、それぞれ当選している。両者とも二期務め、盟友関係にあるとみなされていた。

 ただ、首長の退任については、中田氏の場合、任期半ばで辞職しており、松沢氏は二期務めたあと、都知事選に出馬して落選している。それからは古巣の民主党には戻らず、中田氏、松沢氏ともに第三極の政党を行き来した。現在は上述したように、中田氏が自民、松沢氏が維新の公認を得て、参院選に立候補している。


 1990年代の日本政治は、まさに政界再編の時代だったといえる。彼らはともに若手のホープとして、メディアにもよく出ていた。自民党に代わり得る政権政党の樹立が、彼らの目標だった。

 そんな彼らが2002-03年にかけて、国政から自治体の首長に転出する。そのまま民主系にいれば、代表候補にもなっていたに違いない。それがなぜ離党して、知事選、市長選に出馬したのか。
 この当時は小泉政権の頃で、2005年の郵政解散を経て06年に退陣するまで、政界を引っかき回していた。このため、野党の影はどうしても薄くなってしまう。地方分権もまた、彼らの目指すところであったから、国会議員よりも首長として現場を指揮しようと考えたのも、おかしなことではなかった。実際、この転身を評価する声もあった。


 ところが、首長を退任してからの彼らは、古巣の民主系ではなく、いわゆる第三極の政党に属した。そして今回、中田氏に至っては、自民党比例区からの出馬である。
 かつて、政界再編、政権交代を目指した人びとの自民転身が、このところ目立っている。民主系の長島昭久氏、細野豪志氏も自民入りもしくはその意向を示している。彼らは民主系のなかでは保守政治家であり、希望の党に参加したものの、その後は無所属となっていた。

 何というか、1990年代から2000年代にかけて、二大政党制を夢見た人たちが相次いで、その限界を目の当たりにして、自民や維新に接近するようになっている。旧民主も、いまでは立憲民主と国民民主に分裂しているけれども、選挙協力は行いながらもスタンスに違いが出ている。立憲民主はリベラルに寄り、国民民主は保守寄りである。何だか昔の社会党左派、右派みたいになってきている。
 社会党も、最初は右派が強かったのが次第に左派が力を持ち、万年野党化していった。反自民の受け皿としては、どうしても左派的なものに支持が集まりやすく、右派は離党して民社党になるものの、選挙では勝てなかった。

 政界再編と二大政党制の実現に奔走した人たちが、いまでは民主系から離れ、自民に接近している状況は、政権交代がこの先もままならないことを示しているようにも思われる。そして選挙はあっても、政権選択がそこにないのであれば、有権者の関心も高まることはないのだろう。
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