mixiユーザー(id:2502883)

2019年03月04日17:51

134 view

物語の時代設定について

 読んでいる学術書のペースが上がらないので、息抜きついでに、篠原悠希『湖宮は黄砂に微睡む』(角川文庫、2019年)を読んだ。「金椛国春秋」シリーズの第六弾である。
 唐代の中国をモデルにしていると思われる金椛帝国で、族滅の憂き目にあった少年が主人公の物語である。本格的時代小説ほど重たくもなく、ライトノベルほどに軽くもない。だいたい半年足らずの間隔で続刊が出ている。個人的にはちょうどいい読みやすさで、新刊が出るとだいたいすぐに読んでしまう。

 歴史ものの小説を描く場合、設定しやすい時代とは何だろうか。いわゆる西洋ファンタジーの場合、よく目にするのが中世風のそれである。ただ、実際には舞台となる都市や社会の様子は、ルネサンス期以降の重商主義的な姿をしていることも多い。宗教色が薄く、東西の交易や航海も頻繁に行われているような描写もあるからだ。
 これが東洋、中華ファンタジーになると、春秋戦国、漢代、そして唐代あたりが描きやすいのかもしれない。それは中国史のなかでも私たちがイメージしやすい時代だからというのもありそうだ。ただ、後漢末から三国時代あたりは、「三国志」の影響が強すぎて、かえって物語にはなりにくいところもあるのかもしれない。

 「金椛春秋」シリーズも、唐代と一部に漢代の設定を取り入れている。その後の宋代になると異民族の流入が活発になるし、元はモンゴル帝国となる。シルクロードのイメージが強い唐代が、私たちにとっては想像をかき立てる上で使いやすいのはあるだろう。のちの明清王朝も含めて、時代史的にはとても面白いのだけれど、中国のイメージとしては唐代が最も強いようにも思われる。

 ただ、これまで描かれていない時代に敢えて光を当てるような物語も増えてきていい。たとえば、日本の時代小説となると、やはり江戸時代が多くなるけれど、先日読んだ『室町無頼』(新潮文庫)は、文字通り室町時代、それも応仁の乱前夜の京が舞台だった。なかなかイメージしにくい時代ではあるけれど、時代考証もしっかりしていて、よくできたお話だった。
 そうした、歴史研究を通じた各時代の社会を、物語に落とし込んでいくような手法が増えていけば、時代劇というと江戸時代、あるいは戦国、幕末だけみたいな日本のドラマや小説にも違った風が吹いてくるのではないか。同じことは西洋、中華ファンタジーにも当てはまる。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する