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2019年02月10日13:59

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垣根涼介『室町無頼』(新潮文庫、2019年)上下巻を読む

 垣根涼介『室町無頼』(新潮文庫、2019年)を読む。上下巻の大作だけれど、ぐっと引き込まれてしまう魅力のあるお話だった。

 舞台は室町時代後期、応仁の乱前夜の京である。主人公の才蔵は、赤松遺臣の息子。この時点で赤松家は、嘉吉の乱で将軍・足利義教を暗殺し、それで征伐されていた。世にいう嘉吉の乱である。
 才蔵はその後、父と母を亡くし、その日暮らしを強いられていた。そんななか、土倉の用心棒をしていたところで、骨皮道賢に出会う。道賢は、のちに応仁の乱で足軽たちを率いて戦場を荒らし回ることになる。この時点では、幕府侍所に仕える目附、つまり治安維持を目的とする警察組織の部隊長のような役職にあった。
 才蔵が主に接することになるのは、道賢のような時代が変わろうとしていることに気づき、そこに自分のあり方を見出そうとする人びとである。


 小説ながら、室町時代後期の社会がしっかりと描かれている。時代考証には、『室町幕府論』(講談社選書メチエ、2010年)や、最近では『徳政令』(講談社現代新書、2018年)を書かれた中世史家の早島大祐先生も関わっておられるようだ。

 物語からは少し離れて、室町時代中期から後期にかけての社会について考えてみたい。
 しばしば言われるように、15世紀の日本は第一次世界大戦前後のヨーロッパと似た特徴があった。すなわち、勢力均衡のなかで、各勢力が一応の「安定」を得ていた時代から、その矛盾が一気に表面化し、体制崩壊につながっていった点である。

 19世紀のウィーン体制と呼ばれる近代ヨーロッパの安定については、かつて国際政治学者の高坂正堯が、「道徳的、文化的紐帯」をその理由として指摘していた。各列強は、王族や貴族同士が交流を持ち、歴史や文化、社会について共通の理解が前提にあったというのである。それゆえ、利害対立があっても、他者をせん滅するまでには至らず、一定の範囲内での共存が可能だった。

 室町時代中期も似たような理解ができる。将軍権力は決して絶対的なものではなかったけれども、将軍は公家や有力守護たちの間で教養や文化的サロンを形成していた。花鳥風月を愛で、茶をたしなみ、連歌や作庭に興じる。その中心にあったからこそ、将軍は直轄地の大小、軍事力の多寡によらない権威を維持し続けることができた。

 しかし、ここでいう「安定」とは、社会全般に当てはまるものではなかった。近代ヨーロッパにおいても、室町時代中期においても、それは貴族社会に限定したものであり、それを維持しようとするあまり、民衆たちは負担を強いられ、不満を募らせていた。
 たとえば、近代ヨーロッパでは産業革命によって生産性が大幅に向上し、そこから都市生活者が存在感を強めてくる。資本家はもちろん、そのもとで働く労働者も無視できない。彼らは低賃金で酷使され、劣悪な環境に置かれていたから、不満は蓄積し、やがて爆発していくことになる。
 室町時代中期も、農具や土壌の改良が進み、生産性が上がっていた。その構造は地域ごとに国人領主と民衆の連合により生まれていった。しかし同時に、この時代は飢饉も相次ぎ、困窮した農民は田畑を捨て、流民となって都市へとなだれ込んだ。守護家の内紛や取り潰しによって生じた大量の牢人もまた、京に集まっていった。
 そういうなかで、幕府は自らの「安定」を維持するために、徴税を強化し、各地に関所を設けて人の往来を阻害した。人びとの不満は間もなく、土一揆や徳政一揆として表れるようになっていった。


 長々と小説とは関係ない話をしたけれど、『室町無頼』に横たわる背景は、まさにそうした庶民たちの困窮がある。自らの「安定」にのみ執着する幕府や公家、守護たち、その秩序そのものに対する憎悪があった。これを描けているからこそ、物語が引き締まっているのだと思う。

 骨皮道賢に見出された才蔵は、その身柄を今度は蓮田兵衛に預けられる。兵衛は牢人ながらも、周囲の人びとに一目置かれる存在だった。そして道賢と兵衛は、立場こそ異なるけれども、いまの「安定」をいつの日か崩そうという意識は共有していた。
 彼らに限らず、この物語には、「安定」のために抑圧されながらも、自らを力で生きていこうとする人物が登場する。才蔵は、そうした人びとに接しつつ、成長していく。

 このように、室町時代中期の「安定」には、いまを生きることに精いっぱいで、明日のことなど考えられない民衆を犠牲にして成り立っていたものともいえる。物語にも登場する相国寺大塔は、110メートル近い、当時はもちろん、20世紀に入るまで日本最大の建造物であった。これがお話のなかでは幕府の権威と「安定」の象徴として描かれている。
 しかし、やがて起きる応仁の乱は、骨皮道賢が率いる足軽たちが「安定」を過去のものにし、その間に大塔も落雷によって焼失する。過去にも落雷で焼失した大塔だけれども、この後、二度と再建されることはなかった。幕府の権威は失墜し、「安定」も過去のものとなった。室町時代後期はそういう社会へと移り変わっていく。

 時代小説、エンターテイメントとしても面白い本だけれど、同時に室町時代中期から後期にかけて、歴史の本だけでは気づきにくい視点を私たちに気づかせてくれる。

https://www.shinchosha.co.jp/book/132978/
https://www.shinchosha.co.jp/book/132979/
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