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2018年11月26日12:41

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精神・知的障害の人たちの雇用について

 日常生活にハンデを負う障害のある人たちへの雇用機会を増やすために、政府は障害者雇用促進法に基づいて、企業、自治体に対して一定以上の雇用枠を設けるよう指導している。この対象は、障害認定をもらってはいるけれど、その程度に応じたサポートが得られれば、一定の仕事はできる人たちである。つまり、「障害がある」ことを理由に、本来は働けるにもかかわらず、採用されないケースをなくすことを目的としている。

 このこと自体は、社会にとっても利益になる。なぜなら、障害者というだけで労働機会が阻害されるのだとすれば、彼らの生活は社会保障などによって支えるしかなくなる。けれども賃金が得られれば、生活の糧となる。不安定になりがちな障害者の経済事情を改善させることにつながるし、社会保障に支出削減にもなるからだ。

 一方で、雇用する側にとって、障害のある人たちを採用する場合、その障害が軽度かつ「分かりやすい」ものであることが望ましい。営利団体である以上、作業効率の高い人を採用したいというのは当然のことだ。しかし障害があってもそれが「分かりにくい」相手は、敬遠しがちとなる。
 障害者には、身体・精神・知的の分類がある。身体は文字通り、身体に障害がある人のこと。これに対して精神は大まかにいって後天的に、知的は先天的(生まれながら)に心の問題を抱えている人たちのことである。
 障害者雇用は、それらをひとまとめにして、一定の割合でこれを行うよう定められている。それによって何が起きているかというと、身体の場合は採用されやすく、精神・知的の場合はされにくくなっているのだ。

 なぜそういうことになっているのかというと、先に述べた障害の「分かりやすさ(分かりにくさ)」が関係している。身体の場合は、雇用者が彼らのために何をフォロー、ケアすればいいかが比較的分かりやすい。けれども精神や知的障害の場合は、それが分かりにくい。例えば同じ精神、知的障害であっても、日によって作業効率に大きなムラがある人もいれば、人間関係にデリケートな人もいる。雇う側からすると、状況に応じた対応が求められるため、効率が悪いと感じてしまいがちになる。

 繰り返すように、身体・精神・知的の障害で、働くことが可能とされているのは、就労支援や医学的な検査を受けた上で、そう認定されている人たちだけである。就労が困難な重度の人たちは、医療や福祉でのサポートがなされている。
 しかし一般的にも、障害のある人としてイメージされているのは身体障害者の人たちで、精神・知的障害の人たちに対しては「就労なんて無理」と捉えがちである。根本的なところは、そうした誤解がいまの状況を生んでいるのだと思われる。
 他方で、そうした偏見があるために、障害認定を受けることを本人や家族が拒み、結果的に経済的な困窮や事件、事故に絡む結果を招くこともある。もちろん、障害者支援も慢性的な人手と資金不足に悩むところは少なくない。無理な経営がたたって、福祉施設そのものが立ち行かなくなるケースも、まま見られる。

 こうした問題は、単に雇用者の責任、法制度の不備、人びとの偏見それだけで片づくものではない。それぞれの課題を踏まえつつ、是正と調整を繰り返していくしかない。

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「公正な採用選考」大半従わず
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5391572
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