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2018年11月24日12:33

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過去と未来 オリンピックと万博

 「日本が現状維持でいられるのは、東京オリンピックの2020年まで」
 誰が言い出したのか分からないけれど、そういう認識が当たり前のように広がっていたけれど、今回の大阪万博の決定で少なくとも「2025年までは大丈夫」と言われるかもしれない。
 ただ私は、1964年の東京オリンピックに続いて行われた、1970年の大阪万博という高度成長期のシナリオを再び繰り返すような意識が広がらないか、少し心配である。なぜならこれらのイベントは、戦後の繁栄を象徴する出来事として語り継がれているからだ。

 中世日本では、過去の慶事を繰り返し演出することで、これからの安定を保証しようとしていた。国や一族の繁栄をもたらした偉大な天皇や将軍たちが執り行ったものを「先例」として、それを踏襲し、なぞることで、いわばゲン担ぎをしたのである。その意味するところは、私たちが考えていることよりも、もっと重要視されていた。

 しかし、その歴史を眺める限り、偉大な人物の振る舞いを踏襲した人びとが、同じように偉大さを発揮した事例は多くない。むしろ新たに直面した問題に苦しみ、混乱や没落を招く結果を見ている。それでも彼らは「先例」をひたすらに追い求めようとした。それを笑うのは簡単だけれど、過去の栄光がその時代に生きる人たちにとって、心の支えになっていたことを、こうした事例は物語っている。

 日本の高度成長期がいつからいつまでだったかは諸説あるけれども、1960年代から第一次オイルショックが起きる1973年までの時期というのが一般的な認識だろうと思われる。東京オリンピックと大阪万博はその間に行われているからこそ、高度成長と繁栄のシンボルとして扱われているのだろう。
 ただ、この期間が常に明るいものだったわけではない。環境破壊や公害が社会問題となっていったし、人びとが都市へと流出したことで地方の過疎化もはじまっていた。都市でも社会保障や福祉の拡充を求めて、革新知事や市長が相次いで登場している。これらの問題は、いずれも現在の私たちが抱える課題の先駆けをなすものであった。

 また、過去のオリンピックや万博も、計画のズレや遅れなど、失敗がなかったわけではない。現在も、2020年までに施設や交通などの整備が間に合わない、遅れていると指摘されているものも少なくないけれど、同じような混乱は過去にも起きていた。確かに、終わってみれば東京オリンピックも大阪万博も大成功だったと言えるけれども、すべてが予定通り、理想的だったわけではない。

 そういうわけで、過去のオリンピックや万博を「先例」として日本の繁栄再び、と息巻くのも、逆に過去を理想化し過ぎて現在を悲観的、冷笑的に眺めるのも、いずれも過去にとらわれているという点では変わらない。2020年代の日本が後世に伝えるものは何か、そういう前向きな意識こそ、いまの私たちには求められているように思う。

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大阪万博が決定、拍手と万歳
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5389434
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