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2018年11月12日21:14

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金恩貞『日韓国交正常化交渉の政治史』(千倉書房、2018年)を読む

 金恩貞『日韓国交正常化交渉の政治史』(千倉書房、2018年)を読む。

 日韓の国交正常化交渉は、1949年から断続的に日韓の外交当局によって行われ、1965年に締結した。交渉が中断、長期化したのは、植民地支配など歴史問題や朝鮮半島が南北に分断している状況、そして漁業問題、竹島の領有権などをめぐって両国の見解が大きく食い違っていたからである。通説では、政治家によるイニシアチブと、米国政府の仲介によって、交渉は進展し、妥結に向かったと考えられてきた。

 この本では、そうした先行研究を踏まえながらも、外交当局の方針が省内、そして大蔵省などの同意を得て、政府案として練られていったことを明らかにしている。つまり、正常化交渉における日本側の姿勢は、時々の首相や外相などの個人的な力量に負うものでは必ずしもなく、米国国務省の圧力が決定的な要因になったわけでもない。外務省のアジア局、条約局で検討を加えたものが交渉の土台となったことを明らかにしている。
 とりわけ、大蔵省は財政的な視点から、韓国に対する補償や賠償には否定的な立場をとっていた。外務省は、そうした大蔵省を長い時間をかけて説得した。大蔵省も、日本経済が順調に成長、拡大していくなかで、外務省の姿勢に同意するようになる。このことによって、外務省は日本側の交渉担当として主導権を握ることができた。
 岸信介首相や池田勇人内閣の大平正芳外相のイニシアチブで、交渉の方針変更や進展があったようにみられているのも、彼らが外務省の方針に同意して積極的に動いたからといえる。逆に、政治家が外務省の方針と異なる姿勢をみせた場合、交渉そのものが不安定になった。

 この本で取り上げているのは、あくまでも日本政府内の、外務省や大蔵省の動向が中心で、もう一方の当事者である韓国政府についての分析は先行研究に依存している。
 一方で、「請求権交渉は会談そのものの成否を握っていたといって過言ではない」と序論で述べているように、国交正常化交渉の焦点を「両国の」財産請求権に求めている。現在、韓国側の元徴用工が日本企業に対して賠償請求を行っているけれども、これに対する理解は私を含めて混乱しているように思われる。
 この本は、請求権問題を法的観点から分析したものではないけれども、交渉プロセスから、その性格の難しさや両国の位置づけなどが微妙に異なっていたことが分かる。

 端的にいって、この本から分かることは、日韓国交正常化交渉は金銭的な問題が多くを占めていた、ということである。特に韓国政府は、当時、社会的経済的にも不安定で、いち早く経済成長を遂げ、北朝鮮に対峙していくことを最優先としなければならなかった。そのためには少しでも日本から多くの経済支援を受けたかった。ゆえに、過去の清算を賠償するような姿勢は、交渉のなかで次第になりを潜め、経済協力というかたちに落ち着くことになる。
 当時の韓国政府が軍事政権時代であり、世論の声が直ちに政治へ反映しにくい社会であったから、「過去清算」の封印はのちの民主化を経てフラストレーションとなった。是非はともかくとしても、1990年代以降、韓国政府が対日関係の再定義を繰り返しているのは、その表れといっていい。

 繰り返すように、この本は日韓関係の国交正常化交渉を扱ったものだけれども、視点は日本政府に固定してある。ただ、そのことがかえって、当時の日本政府が韓国をどう捉え、国交正常化にどの程度、前向きだったのかがよく見えてくる。
 第一に、政府や政治家も含めて、韓国に対する謝罪意識は驚くほど薄いこと。1950年代において、朝鮮半島に対する見方は2010年代とは大きく異なっていたことは想像に難くない。歴史としてではなく、過去と地続きのものとして、よくも悪くも捉えていたのだと感じる。そのため、韓国政府が謝罪を求める姿勢をとっても、日本政府はそれに取り合おうとはしなかった。
 第二に、日韓の国交正常化を早急に実現させようという意欲が、首相などにもあまり見られないこと。朝鮮戦争、不安定な政情などもあって、朝鮮半島情勢は未だ流動的と捉えていたこともあるのかもしれない。現在と違って、北朝鮮のほうにシンパシーを寄せる人びとは少なくなかった。革新勢力をはじめ、政府も北朝鮮への帰還事業に前向きだった。サンフランシスコ平和条約や、日ソ共同宣言、日中共同宣言のときのような、政府や財界の情熱や意欲があまり感じられない。

 ただ、そうした環境ゆえに、外務省が主導した国交正常化プロセスが機能したとも取れる。歴史問題などを慎重に議題から逸らし、賠償ではなく経済協力という名目で、日韓国交正常化の合意がなされた。それは日本の負担を抑えながら、国交正常化と基本条約調印という目的の最適化だったかもしれない。けれども、「感情」を棚上げにしたことが、特に1990年以降、日韓関係を揺るがしているようにも思われてならない。

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