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2018年11月09日21:42

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ドイツ帝国の崩壊 1918年11月9日

 1918年11月9日、ドイツで皇帝・ヴィルヘルム2世の退位と共和政の樹立が宣言された。もっともこれはドイツ政府が用意周到に準備した結果ではなく、流動的な情勢のなか、偶発的に起きた出来事だった。
 1914年7月から続いていた第一次世界大戦は、長期化に加え、主要国に甚大な被害をもたらしていた。戦闘員、非戦闘員を含め、合わせて千数百万の死者を出し、各国もまたコントロールできない状態に陥っていたのである。そういうなかで、1917年春に帝政ロシアが崩壊し、混乱の末に共産主義国家が成立した。ドイツはこれを好機とみて、ソビエトと講和を行い、東部戦線から兵士を西部に移し、1918年春まで攻勢に打って出た。
 しかしアメリカの参戦、英仏軍の抵抗によって次第に守勢に回り、夏にかけて戦線の維持が困難になっていった。秋になると、ドイツも講和に向けた動きを本格化させる。

 もっとも、皇帝ヴィルヘルム2世は退位を拒否し、軍部も戦争継続を望んでいた。そのため講和交渉も膠着化する。そうしたなか、11月入ってキール軍港でドイツの兵士や労働者たちが反乱を起こした。これをきっかけとしてドイツ国内各地で、反乱が広がる。そして9日には首都ベルリンでもゼネストが起きた。
 ドイツ政府は、ヴィルヘルム2世の同意を得ないまま、その退位を宣言する。この段階では、帝政を終わらせようとする意図も政府にはなかった。しかし、国内で労働者たちによる統治が広がるなか、このままではドイツも社会主義化、共産主義化することを懸念した政治家によって、なし崩し的に帝政の終焉が宣言される。

 文字通り、ドイツ帝国が「瓦解」した日。それが100年前の11月9日であった。

 すでに、オーストリア=ハンガリーやトルコなど、ドイツの同盟国も10月末から11月初めに連合国と休戦協定を結んでいたが、ドイツも帝政崩壊から2日後の11月11日、ついに休戦に同意する。これによって4年あまりにも及ぶ第一次世界大戦が終結する。

 日本では、9月末に原敬内閣が成立している。歴史的には、初の本格的政党内閣と理解されている。
 組閣してから間もないこの時期に、大戦の終結という変動に直面したわけで、そういうなかで国際協調を選び、政権運営をした手腕は高く評価していいだろう。
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