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2018年06月30日14:09

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 NHK「TOKYOディープ」で有楽町を紹介。谷田ディレクターが紹介

 街がかかえる歴史、人物、エピソードを深く取り上げて紹介しようというNHKの番組TOKYOディープ。2018年6月18日「回る回るよ 時代が回る有楽町」ということで、今回は有楽町を紹介。
 この番組はかつて私の親しい友人が営む神田・神保町の古く小さなショットバーを紹介したとき以来、気にかけていた番組。
 とらえどころがなかなかの番組。この度も、かつて闇市のイメージを強く持つ有楽町をいっきにおしゃれな街に変身させた流れを的確に追っていた。
 新宿に移転するまで都庁は有楽町にあっただけに、ここはまさに昔からの政治の中心だった。大岡越前守の裁きがあった場所、戦後のいこいの場のなごりをいまも持ち続けるガード下の焼き鳥屋、そしてかつて大きな新聞社が寄っていていて、記者たちに定食を提供した店、映画館、東京交通会館と紹介。
 もちろん「有楽町」では欠かしてはならない「有楽町で逢いましょう碑」の紹介も。その前で、ビクターの谷田ディレクターが思いで深くその誕生秘話を語った。
 有楽町はその名のイメージがいい。楽しいことがありそうな街。戦後の暗く汚いイメージの街をいっきに若者のデートの街にイメージ変換させたのは、まさに「有楽町で逢いましょう」の曲。
 皆が知るように大阪から東京に進出してきた百貨店そごうの開店キャンペーンの中からだった。これがすごいのは、ここで後にも先にもない一大連携が実現したことだ。
 まず、そごう宣伝部は米映画「ラスベガスで逢いましょう」からヒントを得て「有楽町で逢いましょう」というキャッチ・フレーズを思いつく。
 始まったばかりのテレビ放送の番組名を得る。ビクターの代表的な作詞家佐伯孝夫が、このキャッチからインスパイア―を受けて流行歌の詞を書く。そして新進の吉田正が作曲を受け持つ。実際に有楽町に取材、屋根におとする雨音からあのイントロができる。
 芸能界の宣伝を一手に展開する雑誌平凡では同名小説の連載を開始する。そればかりか映画大峡が映画化で参加するというところまで発展した。時代のムードが生んだ異様で強力なユニットが実現した。
 当初そこうは「有楽町で逢いましょう」をビクターの最大人気歌手で歌わせようとした。だが、吉田正は当時自分の歌謡曲での独自色の表現に悩んでいて、フランク永井の声質と歌唱に新たな展開を模索していた。
 有楽町で繰り広げられているかつてなく、これからもないだろう一大連携作戦という大チャンスに、フランク永井を起用することに情熱をかけて押し切った。とにかく「デモ・テープを聞いてみてくれJ と。
 確かにそれまでは哀愁を前面に感じる高音の望郷哀愁歌謡とは、まっこうから対峙する刺激的な曲と歌唱だった。有楽町の未来を予感させるに十分な曲だった。
 恩師吉田正のもくろみどおり、実際に歌は大ヒットだった。雨にもかかわらずそごうの開店には長い行列ができた。
 吉田正はこれまで自分の肩書を「作曲家」と記載することに躊躇があったのが、この成功を機に自信をもって以後書けるようになったと振り返っている。
 映画も大成功だった。モノクロが普通の時代に気張ってフルカラーで、ドラマを明るく仕上げているだけではない。都会のデパートというものがどのようなものかを、あますところなく宣伝することにも貢献した。
 全国から若者が東京に集まってくる。来る人にも、来れない人にも、東京という都会のイメージを強烈に植え付けたのが、こうした映画とフランク永井が歌う「有楽町で逢いましょう」だった。
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