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2018年03月27日14:18

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戦間期の国際関係、日本外交から、現在をみる

 戦前の日中関係は、日本が一方的に中国へ侵略していった流れと思われがちだけれど、実際には複雑な経緯をたどる。辛亥革命以降、中国では軍閥が割拠する内乱状態が続いていくが、一方でナショナリズムの高まりとともに、対外的には強硬姿勢が目立つようになる。
 1920年代、中国は権益回収や、海外資本による劣悪な労働環境の改善を求めて、主要都市で反列強デモが広がっていた。このなかには日本も含まれていたけれども、イギリスはより大きな権益を有していたことから、やり玉にあげられていた。

 アヘン戦争など、イギリスが中国に対して行った恫喝的な外交は決して褒められたものではないにせよ、外交的取り決めという点では、中国の性急な権益回収運動もまた問題があった。そこでイギリスは日本を含む列強に、中国政策を協調していこうと呼びかけていた。

 この当時、日本は政党内閣期であり、外交的スタンスは政友会、民政党(憲政会)で微妙な違いはあったにせよ、「協調外交」を選択していた。けれども、ここでいう「協調」とは何に対するものだったのだろうか。
 基本的には、欧米諸国との協調を意味した。そこに中国との同調は含まれていない。しかし現実において、中国政策もまた重要であった。この頃、日本の対中外交は、自らの権益を侵害しない限りにおいて、状況を容認するという方針だった。
 その結果、権益をめぐる英中間の紛争に、日本政府は静観の姿勢をとった。イギリスにとって、中国政策を列強間で連携していくという目論見は崩され、外交方針も見直しを迫られていくことになる。

 帝国主義的な植民地政策を批判的に捉えるならば、このとき日本が中国に対してとった行動は評価されていい。もちろん、日本政府も善意でこれを行ったわけではなく、自らの利害が薄い問題に深入りすることを避けただけのことである。権益は温存しつつ、中国が発展していくのが最も日本の国益にかなうことだったからだ。しかし、欧米との「協調」を選ばなかったことは、今度は中国の権益回収運動が日本にも及ぶ段階になって、立場を難しいものにした。
 日本もまた、中国に単独で交渉を行うことになり、結果的に両国ともに態度が硬化していき、軍事衝突というリスクを冒すところまで追い込まれた。このことは中国政府にとっても、批判の対象がイギリスから日本へと移ることを意味する。そしてイギリスは、日中関係の悪化を踏まえて、中国にも妥協的な姿勢で臨むようになった。

 このように、日本の立場というものは、必ずしも欧米諸国と足並みを揃えられるものではない。原則的にはそのようにしようと思っていたとしても、海を隔てているとはいえ、北にロシア(ソ連)、西に中国という大国と接しているわけで、欧米と利害が常に一致するわけではないのだ。


 以上を踏まえて、今回のイギリスによる対ロ制裁の姿勢をみていくと、やはり同じことが言える。

 EUやカナダ、オーストラリアといった国はイギリスと同調する姿勢をみせているけれども、日本は事実解明の優先を理由に同調しないことにした。
 これは対ロ関係で無用な波風を立てたくないという姿勢であり、日本の利害からすると理解できるものではある。しかし今後、日中、日ロ関係において、イギリスおよびEUと利害が一致しない場合、今度は逆に協力を得られない場合も視野に入れなければいけない。

 近年の国際関係は、アメリカも自らの利害に敏感となり、EUも動揺するなか、中国の台頭やロシアの動き、そして朝鮮半島情勢も油断ならないことなど、非常に流動的となっている。こうした状況は、イギリスの弱体化、ヨーロッパ列強の衰退、そしてアメリカの台頭と中国の混乱という第一次世界大戦後の国際秩序とも似通っている。

 無論、全く同じというわけではないから、何でもかんでも過去に当てはめればいいというものではないにせよ、国際的な環境が揺れ動いている以上、日本もそれに応じて柔軟な外交姿勢で臨まなければいけない。しかし、事態が流動的だということは、良かれと思って決断したことが、かえって自らの立場を縛る場合もあるということも意識していく必要がある。

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■ロシア外交官の追放、24カ国に拡大 英の判断に足並み
(朝日新聞デジタル - 03月27日 11:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5044309
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