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2018年02月11日19:49

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寒い日の銭湯

 一昨日は穏やかな晴天、昨日は雨の一日だったけれど、春の兆しを感じさせる暖かさもあった。そしてその雨が上がると同時に、北風が吹いてきた。当然、気温は急降下。今日は小雪の舞う寒い一日となった。

 数年前、横浜で風呂のガス給湯器が故障するというトラブルがあった。悪いことに、正月間もない時期だったこともあって、すぐに修理ができないという。仕方がないので数日間、近所の銭湯でお世話になることにした。
 予備校に通っていた頃、西日暮里の寮暮らしをしていたのだけれど、そのときも週末に銭湯に行くこともあった。何がきっかけでそうしたのかは覚えていないのだけれど、東京も横浜も、意外と銭湯が近所にあった。冬の寒い日など、熱い湯につかるだけでずいぶんと気持ちも変わるものだ。風呂は世界を平和にする。

 郷里にも、かつては銭湯があちらこちらにあった。家から少し歩くと、小さな学生街(神社の門前町でもある)があるのだけれど、かつてはそこにも銭湯があった。現在、残っている銭湯は、やや郊外に位置する旧街道沿いのものくらい。昔は一家にひとつ浴槽があるわけでもなかったから、銭湯は近所の人たちが集まる憩いの場でもあった。その周辺も、飲食店などが並んでいて、ちょっとにぎやかな感じがある。

 そういえば、横浜駅から少し離れた、旧保土谷道沿いの銭湯も、一年ほど前になくなってしまった。隣に蕎麦屋さんがあり、それが何とも味わい深い雰囲気を出していたのだけれど。人口が多いぶん、地方と比べると昔ながらの商店が残っている横浜界隈も、やはり時代の流れには逆らえないということだろう。

 いま、横浜市歴史博物館(横浜市都筑区)では、「銭湯と横浜」という企画展が開催しているとのこと。これによると、横浜市の銭湯は、昭和40年代に340軒を数えるほど、たくさんあったという。これをピークに、現在では70軒を下回るほどに減少している。
 高度成長の時代がまさに銭湯の黄金期だった。横浜駅近くに残っている銭湯も、かつてみなとみらい地区に存在した造船所の作業員たちが汗を流す場所だったのだろう。近くには横丁もあって、当時の賑わいをしのばせる。

 郷里も、もっと近くに銭湯があればなあと思いながら、これから家の風呂に入る。
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